ペットを飼育すること。
ペットを飼育することは良くない事でしょうか。
犬が一番多いと思います。犬はそれなりに考えて人と一緒に歩んで行けるかと思います。
他はどうでしょうか。
私は魚を飼育しています。
彼らは感情を伝える事が出来ず、大切にしていても幼くして死んでしまう者がどうしてもいます。
金魚なんかは、背景に恐らく選別されて販売され、処分されているものも沢山いるかと思います。
魚に限らず、小動物もそうして血統を維持していると予想します。
愛情かけていれば幸せというのは、人の勝手な思い込みで、
飼育されている動物は恋することも、自由に歩く事も、羽があるのに生涯飛ぶことを許されず、可哀想に思うことも有ります。
動物園や水族館も同じです。
彼らは幸せでしょうか。
また、動物、虫、魚を飼育するのは良くない事でしょうか。
私も、魚を飼育した以上、放棄するわけにいかず、せめて一生懸命面倒を見ていますが心がモヤモヤします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
私は生き物が大好きです
特に野生の生き物が大好きです。なので、原則としては、ペットという形は人間の傲慢さを感じて好きではありません。
ただし、世の中には自分の家族のように大切な存在として共に暮らしている方もあったり、もう野生には存在してない命もありますよね。
なので、飼うならば最後まできちんと面倒を見る覚悟が必要だと思います。
私の大好きな写真家の岩合さんは、動物の気持ちや感情が人と同じと思ってはいけないし、そういう風に生き物を見てはいけない、と言っていました。
写真を撮るときでも、ただお邪魔する…邪魔にならないように注意しながら…という意味の事を言っていました。
なので私も、動物に人間の感情をのせて番組にするテレビなどは見ない事にしています。
そのように他の命に対して、尊厳をもって接するべきだと思います。
うちでは、蜂やハエ、ほとんどの入ってきた虫は、網でとらえて逃がしています。
もしかしたら、他の生き物の幸せ…という人間が考えた物差しで考えること自体も違うのかもしれません。
大事な事は、他の命もできる限り大切にしなければいけない…という事だと思います。人よりも他の生物の方が多いので、人が1番と考えること自体が驕りのように思えてなりません。
命を扱う事は難しい事なので、逃がしたり戻したりできない命は、せめて精一杯愛してあげることしかできませんよね?
このような質問をするあなたは、きっと優しくて、命を大切に思う方のような気が致します。これからも様々な命を大切にしていって下さい、そして、大いにお互いに悩み、考えていきましょう。
幸せかどうかは分かりません
仏教的には他の生き物の自由を奪う事は悪いことです。もちろん命を奪う事もです。
とはいえ、私達は他の生き物の命をいただいて生きているのですから、日々感謝しなければなりません。
食事の時に「(お命を)いただきます」と言うのもその感謝の表れです。
ペットが幸せかどうかは私達には分かりません。少なくとも悪い飼い主よりも優しい飼い主の方がペットは幸せでしょう。
水槽という限られた中でも、懸命に泳ぎ続ける姿、諦めず不貞腐れず、ただ自分ができる事をひたすら努める姿、そのような魚の生き様から私達は何か学ぶ事があるような気がします。
面倒を見ているようで、実は反対に、生き方を教えられているのかもしれませんね。
質問者からのお礼
ありがとうございます。