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永遠に幸福になりたいです

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有り難し有り難し 15

永遠に幸福でありたいです。「諸行無常」とは、幸福は永遠には持続しないという意味でもあるのでしょうか。もし永遠に幸福であれるならば、私にできることはなんでしょう。私は人に優しくしたり人を愛することは当たり前で、そこに見返りを求めないことが自分の生きる意味だと思っております。それはきっと、どんな貴金属や財産と違ってあの世に持ち帰ることのできる宝だと思っているからです。お知恵をよろしくお願いします。

宗派は浄土真宗ですが、自分だけでなく、全ての命あるものみんなで愛し合い、みんなで永遠に幸福でありたいと思っております。私は病気で才能も実力も無いので、その辺は他力本願7割(仏様に助けを求める)、自力3割(縁を結んだ全ての人を愛する)ですが…。

2022年7月14日 20:37

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「幸福」とどう向き合うか

こんにちは。

「諸行無常」は、「幸福は永遠には持続しないという意味でもあるのでしょうか」とお尋ねです。「幸福」が、何を指すかは具体的ではありませんが、文面から推察するに「幸福」感という意味であるならば仰るとおりです。

何故ならば、人間は心が一定で有り続けることは至難であるから、他者よりも自分を優先する心が動くから、他者と自分の「幸福」は少なからず相違するからです。

「諸行無常」、「永遠には持続しない」という意味であるとともに、「持続しない」からこそ今という一瞬が二度と帰ってこない最高に輝いた瞬間である、ということも教えてくれています。後者の意味で、「人に優しくしたり人を愛すること」の実践をあなたがしているならば、それは大変意義深いことです。

ただ、先にも述べましたが、人間は心を一定にし続けることは至難です。調子の良い日もあれば、良くない日もある。あなたは「病気」とのことですが、調子のよくない時にはできないでもいい、そういう日もあるさと思えることが大切です。

また、人間は、他者よりも自分を優先する抜き難い性、煩悩があります。これは、「縁を結んだ全ての人を愛する」ことを難しくする原因です。煩悩とどう向き合うか、これを並行して学んでいくことも大切です。

自分のできるところで、できる範囲で「人に優しくしたり人を愛すること」をこれからも実践していく。ただ、そこに「幸福」感の間断なき「永遠」は必ずしも付随しない、という認識が大切なのだと思います。「幸福」感が途切れるところに、返って「幸福」、「幸福」感が貴重だと知ることもできます。逆説的ですが、「幸福」感が「永遠」でないところに、「幸福」、「幸福」感のありがたさを知る。私はそう思います。

※補足です。ご宗旨が「浄土真宗」とのことなので、付言しておきます。
「他力本願7割」「自力3割」とは、当宗派の教えでは正確ではありません。「他力」10割です。また、「自力」という場合は、浄土往生に直接関わりのある行について述べる言葉であり、一般的な道徳レベルでの行い(「人を愛する」など)を直接指していないことに留意してください。本願寺のHPで法話が聞けますから、お勧めします。

2022年7月15日 8:03
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有り難し
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釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
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質問者からのお礼

ありがとうございます。永遠の不変が存在しないならば、せめてその時その時のグラフのようなものが平均して幸福に傾いているような生きる道を歩みたいです。これからも神様仏様の使徒として、愛に生きようと思います。あなたさまもどうか永劫に幸福でありますように。

「諸行無常」問答一覧

「無常」について理解出来た気がするが…

初めて質問させて頂きます。長文になってしまい申し訳ございませんが、宜しくお願いします。 私は歴史が好きなのですが、とりわけ源平合戦が好きです。二つの氏族が覇権をかけて争う中での栄枯盛衰や、その過程での日本中を巻き込んだ争乱の数々。これ程までに歴史のダイナミズムを感じられる出来事は中々無いと思ったからです。 なので、先日神戸に行った際、一ノ谷の戦いの戦跡を巡ろうと思い立って観光し、道中、是非見たいと思っていた須磨寺に立ち寄りました。須磨寺には、宝物として平敦盛の武具や青葉の笛が置かれていることが有名ですが、これらを見た時、私は非常に大きな衝撃を受けました。 勿論、平家物語の「敦盛最期」は作中屈指の有名な悲話として、私も知ってはいました。しかし、それはあくまで「物語」としての認知に過ぎなかったのです。知識としては現実に起きた事だと知りつつも、現代とはあまりにもかけ離れた武士たちの世界観や壮絶な出来事の数々に、実感としては完全に物語上での出来事でした。 ですが、敦盛の遺品と、敦盛を殺した苦悩から出家した熊谷直実が、彼を弔うために書いた「南無阿弥陀仏」の掛け軸は、実際に寺にあったのです。 こうして、到底現実の出来事だと実感出来なかった源平合戦を、現実の出来事として否応なく突きつけられ、私は恐ろしくなりました。平家物語に登場し、様々な運命を辿った武将たちの人生もまた現実の物だと、同時に思い知らされたからです。 都での優雅な生活を捨て、戦いに身を投じる事を憐れみつつ奮戦して亡くなった者。戦いに勝利しつつも、哀れにも反逆者となり亡くなった者。戦乱の中で志半ばに自害した者。そして、熊谷直実のように出家した者。 また、源平合戦だけでなく、数々の戦争や動乱に人生を左右された無数の人々…。 歴史という大きな流れの中で翻弄されていく人々が現実に居たのだと、心から実感出来た時、歴史の中での個人の無力さと儚さに恐怖を感じ、平家物語が言わんとしている「無常」を、心の底から理解出来たような気がしました。 果たして、無常について理解出来たようなこの感覚は、悟りに近いような物なのでしょうか? 仏門に入ってもいない者が、軽々しく悟りなどと申し上げるのは気が引けるのですが、世の中に対する一つの見方が生まれたような感覚が不思議だったため、質問させて頂きました。

有り難し有り難し 5
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諸行無常について教えてくださいませ。

いつもお世話になっております。 私の母方の祖父、伯父は菩提寺の総代を務めさせて頂いておりました。 私が小学校中学年の時に、祖父が亡くなりました。祖父が親しくおつきあいさせて頂いていた先代のご住職様は既に亡くなっていらっしゃいました。次の代のご住職はご本山からやって来た地域にまだそんなに根差しておられない方でした。 祖父の葬儀の時に、その新しいご住職は手を合わせてはいるのですが、カセットテープのボタンを押し、お経のテープを流したのです。 その場にいた大人達は驚き、小声で「テープだ。」と囁いていました。親族は怒っていました。私も子どもながらに「お坊さんなのに何でお経を読まないの?」と不思議でした。 法話もありませんでした。 祖父は生前、先代のご住職とは親しくてご住職を交えて祖父の家で一緒に食卓を囲んだりしておりました。古い木造のお寺なのでもし何かあった時にと山から木を切り出してきてすぐに使える状態にしておいたり、祖父は総代という事もあり、何かと菩提寺の為に肉体労働で尽くしておりました。祖母もご飯を作る時には「典座しなくちゃ」等とお坊様の言葉を真似ているほどでした。 祖父はご本山から感謝状を頂きました。 そして祖父が亡くなった時にはテープのお経でした。私は今までずっと喉につかえた小骨のように、その事が気になっておりました。 先代のお坊様と家族で食べた楽しい食卓の思いでがテープのお経のせいで黒く塗りつぶされてしまった様な気がしていたのです。 でも最近、諸行無常なのかな。と思うようになりました。 私の諸行無常の理解は間違っていますか? 教えてくださいませ。

有り難し有り難し 8
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諸行無常について

①3ヶ月前に奥歯が三本グラグラして近い将来三本とも抜けると言われショック。これは因果応報か。 ②一週間前に生まれてはじめてアレルギー性鼻炎になって辛かったが、それまで分からなかった花粉症の方の気持ちが分かって良かった気がする。 ③何日か前にうつ病の薬が変わって上手く効いてくれて人生がハッピー?になった。 ④先週の(土)に股関節の痛みで発育不全がわかり、生涯続けたかったマラソンはドクターストップがかかった。将来は人工関節になると言われショック。でも、人工関節の知り合いの痛み苦しみが少しだけ分かった気がする。 ⑤戻りたかった福祉の仕事に戻れた。 と、ここのところ色々体の老いや病気がドドッときたり、逆に悪かったところが良くなったりしてます。良いこと悪いことがイッパイ起きました。 それを冷静に見れるようになったのはハスノハの僧侶の皆様や周りの方々のお陰です。ありがとうございます。喜びにも悲しみにも、老いの不安にも囚われず今を大事に生きようと思えています。 諸行無常とは、ありとあらゆることは変わっていくものだから、未来にも過去にも囚われず今この瞬間を大事に生きることだと思ったんですけど、ありですか? なんか訳のわからない書き方になってすみません。

有り難し有り難し 27
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ