永遠に幸福になりたいです
永遠に幸福でありたいです。「諸行無常」とは、幸福は永遠には持続しないという意味でもあるのでしょうか。もし永遠に幸福であれるならば、私にできることはなんでしょう。私は人に優しくしたり人を愛することは当たり前で、そこに見返りを求めないことが自分の生きる意味だと思っております。それはきっと、どんな貴金属や財産と違ってあの世に持ち帰ることのできる宝だと思っているからです。お知恵をよろしくお願いします。
宗派は浄土真宗ですが、自分だけでなく、全ての命あるものみんなで愛し合い、みんなで永遠に幸福でありたいと思っております。私は病気で才能も実力も無いので、その辺は他力本願7割(仏様に助けを求める)、自力3割(縁を結んだ全ての人を愛する)ですが…。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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「幸福」とどう向き合うか
こんにちは。
「諸行無常」は、「幸福は永遠には持続しないという意味でもあるのでしょうか」とお尋ねです。「幸福」が、何を指すかは具体的ではありませんが、文面から推察するに「幸福」感という意味であるならば仰るとおりです。
何故ならば、人間は心が一定で有り続けることは至難であるから、他者よりも自分を優先する心が動くから、他者と自分の「幸福」は少なからず相違するからです。
「諸行無常」、「永遠には持続しない」という意味であるとともに、「持続しない」からこそ今という一瞬が二度と帰ってこない最高に輝いた瞬間である、ということも教えてくれています。後者の意味で、「人に優しくしたり人を愛すること」の実践をあなたがしているならば、それは大変意義深いことです。
ただ、先にも述べましたが、人間は心を一定にし続けることは至難です。調子の良い日もあれば、良くない日もある。あなたは「病気」とのことですが、調子のよくない時にはできないでもいい、そういう日もあるさと思えることが大切です。
また、人間は、他者よりも自分を優先する抜き難い性、煩悩があります。これは、「縁を結んだ全ての人を愛する」ことを難しくする原因です。煩悩とどう向き合うか、これを並行して学んでいくことも大切です。
自分のできるところで、できる範囲で「人に優しくしたり人を愛すること」をこれからも実践していく。ただ、そこに「幸福」感の間断なき「永遠」は必ずしも付随しない、という認識が大切なのだと思います。「幸福」感が途切れるところに、返って「幸福」、「幸福」感が貴重だと知ることもできます。逆説的ですが、「幸福」感が「永遠」でないところに、「幸福」、「幸福」感のありがたさを知る。私はそう思います。
※補足です。ご宗旨が「浄土真宗」とのことなので、付言しておきます。
「他力本願7割」「自力3割」とは、当宗派の教えでは正確ではありません。「他力」10割です。また、「自力」という場合は、浄土往生に直接関わりのある行について述べる言葉であり、一般的な道徳レベルでの行い(「人を愛する」など)を直接指していないことに留意してください。本願寺のHPで法話が聞けますから、お勧めします。
質問者からのお礼
ありがとうございます。永遠の不変が存在しないならば、せめてその時その時のグラフのようなものが平均して幸福に傾いているような生きる道を歩みたいです。これからも神様仏様の使徒として、愛に生きようと思います。あなたさまもどうか永劫に幸福でありますように。