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「親・家族・恋人・大切な人の死・亡くした後悔」問答(Q&A)一覧

やはり後悔の繰り返し

また、来てしまいました。私はあの日、主人が、長男が死んだ、と言ってた日からやはり動けずに居ます。繰り返し繰り返し思うのは、警察署で会った棺の中で眠っている私の可愛い息子。そしてやっと帰って来た霊柩車に乗った息子、葬儀会場で静かに眠っている息子、最後に触れた冷たくなった息子。…ふとした瞬間繰り返し眼の前に現れ、頭の中で息子が最後に見たであろう最後の夜空。痛かっただろう。一人で淋しかっただろう。繰り返し思います。何故、何故、ばかりを繰り返しながら。もっと早くに会いに行っていれば、もっと早くに悩みを聞いてやれば、けど、あの子は、私にはいつも大丈夫だよ。と、嘘ばかり。…わかってたのに。自分が情けなくて、悔しくて。私にはまだ次男が居ますが、次男に何もしてやれていない。情けないです。こんな自分が親で申し訳なくて。私でなくて、もっとしっかり見ていてくれるお母さんの元に生まれていたら、長男も次男も今よりもっと幸せだったのに。長男には、一人で苦しませてしまい申し訳なく、次男にはたった一人の兄弟を奪ってしまい申し訳なくて。悔しいです。何で私が親になってしまったのか。私が親でごめんなさいと、ずっと思っています。私が親じゃなかったら、長男は自分で命を落とすことなど選ばなかったはず。次男も兄弟を失う苦しさを味わなかったはず。全て私がだめな親だから。自分の周りの人に迷惑ばかりかけて、私はまだ生きている意味が無い。ずっとあの日から、一人思います。最後にした長男との約束…守れそうにないです。自分が情けないです。長くなりすいません。

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故人のためにできること

いつもありがとうございます。 他の方の問答、法話なども拝見、拝聴しておりますが、良く分からないのでご指導ください。 大切な彼が亡くなりました。 彼を支えられなかったことを後悔しています。 あんなに素敵で優しい彼は死を選ぶほど辛かったにも関わらず、彼の優しさに甘えるばかりの自分勝手で未熟な私は今もこうして息をして食事をとって、生きています。 毎月お墓参りを欠かさず、ご先祖さまの供養やや親孝行をしていた彼がこんなに苦しみ、ご先祖さまのお墓参りも行かない私は生きています。 毎日彼を想って、お経や念仏を唱え、思い出を辿り、彼の好きな曲を聞き、彼に話しかけ涙しています。 しかし、これらは結局遺された私のために行っていることで、彼のためにはなりません。 もちろん、優しい彼は、私の幸せを祈ってくれていると思います。逆の立場でも、私は彼の幸せを願います。 それでも、これ以上ない愛と優しさで包んでくれた彼に何も返せないことが辛くて辛くてたまりません。 亡くなったことで、彼は苦しみから解放されたのだと思います。 それでも、なぜ皆に優しかった彼があんなに苦しまなければいけなかったのかと考えると悲しく悔しく、彼が報われないと思ってしまいます。 遺された私のためにではなく、彼のためになることは何があるのでしょうか。

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父親の死後

先日は父親の突然死について 相談させていただきありがたい お言葉をありがとうございました なんとか生きています しかしながら少し落ち着いて きたのですが 今になって父親が亡くなる前に 歯が痛いや足が痛いなど 言っていたことを思い出し 病院に連れて行っていれば まだ死なずに済んだんではないか など考える日々です 母親は入院していますし 兄は実家から少し離れたところに 住んでいます 父親も免許は返納していますし 行くのにも私が運転しかありません 父親は私が忙しいと思って 病院に行きたいと言わなかったんでは ないかなど今になって後悔が 襲ってきます 私は勝手に父親は健康だと思って いました 2年前にも起き上がりできなくなり 救急車で病院に行き全て検査しましたが 異常がないとのことで帰ってきましたし 亡くなる日も私が届けた ご飯もよく食べお酒は少しだけ飲んでいました 母親も長生きするね笑なんて 言っていましたし 安心していました まさか心疾患の疑いで突然死ぬなんて まだ実感がわきません でも72歳でしたし 不眠に少し鬱の傾向があり 薬を服用していたので 体調は悪かったのかもしれません 天寿をまっとうした と思っていますが 今更ですが自分を責める日々です

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最愛の母を死なせました

膵臓癌を患っていた母が、1年9ヶ月の闘病の末、今月11日に67歳で亡くなりました。 前日10日には私も母の通院に付き添い、主治医からは「腫瘍マーカーが少し上がってきたものの、まだまだ化学療法の余地がある」と言われた矢先のことでした。 母の状態は常に気になっていたので、仕事の昼休憩時間には、毎日家に一時帰宅し、母の様子を見ていまして、母が亡くなった11日の昼にも帰宅し、いびきをかいて寝ている母に声をかけましたが、眉をひそめる程度の反応があるだけで、起きようとはしませんでした。 そして、私はその反応を、前日の通院による疲れで熟睡しているものと安易に考え、職場に戻ってしまったのです。 仕事を終え、18時に帰宅した際には、母は既に息を引き取り、死後硬直が始まっていました。 実は母は糖尿病も患っていまして、昼にいびきをかいて熟睡していたのは、今思えば低血糖による昏睡だったのです。そして、私が放置したことで、そのまま心停止に至ったのです。 昼に母の様子を確認した際に、異変に気付き救急搬送をしていれば、恐らく母は今もまだ存命であった可能性が高いのに。 私はよりにもよって、自身の不注意で誰よりも大事な、最愛の母を死なせてしまいました。それも、誰にも看取られることもなく。 逝く時の母は、どのような気持ちだったのか。苦しみながら、私の名前を連呼しながら逝ったのではないのか。 今となっては知ることはできませんが、母を淋しく逝かせてしまった自分を、どうしても許すことができません。 亡くなる数日前には、母は「淋しい、ずっと一緒にいたい」と言っていました。 私も同じ気持ちです。今すぐ母の元に駆けつけたい。 どのようにして亡くなったのか、母の口から聞きたい、そして謝りたい。現世で母を守れなかった分、あの世で現世以上に母を支えたい。償いたい。 仏間に安置している母のお骨に、こう語りかければ、母は迎えに来てくれるでしょうか。

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母が先月亡くなりました

初めまして。お世話になります。 母が先月脳出血で倒れ、1週間後に亡くなりました。 実家と私が住んでいる場所は遠方で、倒れたと連絡があってすぐ帰ったのですが、コロナ禍で感染対策上入院している母には会えませんでした。 倒れてから意識はあった様ですが、その日の晩に容態が急変し、緊急手術になりました。以降、意識は回復せず、面会ができたのが入院から4日後でした。 呼びかけても、母は、返事もできず、目もあけてはくれません。その週に亡くなりました。 年末年始は、毎年帰省していましたが、コロナ禍もあり、今年は帰省を諦め、2月に帰るからねと年末年始話をしていたところでした。連休がある度に、帰省をしていたのですが、昨年はコロナの影響があり、夏に帰省して以来、帰ることを自粛していました。 元気な母に直接会えずに、この様になったことや、意識ある際に、何かしらの手段で声をかけたりできなかったのだろうかとか、母の健康管理をもっと前から私ができなかったのだろうか等、、、悔やむことばかりです。 母は、いつも家族のことを優先に考え動いていた母でした。 苦労も多かった人生だったと思います。 私も母には迷惑や心配をたくさんかけてきました。 倒れて帰省しても、面会もなかなか許されず、実家にいるだけで、倒れた際も、倒れてからも何もしてあげれなかったことが悔しいです。 まだまだ母としたいこともありましたし、頻繁にメールをしていたので、メールもしたしいですし、母と色んな話をしたいです。 母がいなくなり、父も私も心にポッカリ穴があくとは、この様な状況なんだなぁ…と思いました。人生で1番辛いです。母がいなくなり、こんな辛く悲しい人生、生きている意味なんて無いとも思えてしまいます。 母は、嫌だと言うかもしれませんが、来世でも、また母の子供でいたいです。来世では、ほぼ異なる人生を歩むと聞きますが、来世も親子でいることは難しいのでしょうか。

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大好きな彼女が亡くなった

先日、遠距離恋愛中で結婚を約束した大好きな彼女が亡くなりました……てんかん持ちの子でお風呂場で発作が出て亡くなったようです。 自分は仕事が終わって先輩とご飯に行き、家に帰り自分が寝てしまいその後彼女からの「寝ちゃった?」のLINEが最後でした…自分が起きてて寝落ち電話して起きていればそんな事にはならなかったのに……と自責の念でいっぱいです。 お通夜の時、彼女の家族にすみませんって謝ったら「娘は気にしとらんよ、あなたはまだ若いから次の人見つけて幸せになって、貴方の幸せが娘の幸せだから」と言われました……自分があの時起きていれば、電話していれば…御両親に申し訳ないです…… 自分はずっと彼女の事忘れずに生きていきます。「49日、一周忌も来てや」って言われましたがこんな自分が行ってもいいのか。分かりせん。 今後仕事していく気が起きません。この先どうやって生きていけばいいのかも分かりません… 自分が憎くて憎くて仕方ない…どうして彼女なのか、どうして自分じゃなかったのか 気持ちの整理が追いつきません……このまま彼女を、思いながら生きてていいのでしょうか もう一度彼女に会いたいです……彼女に会ってまた、いっぱい話したりギューってしたりしたい……

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母の死と後悔

はじめまして。 苦しくてこちらのホームページにたどり着きました。 昨日、病院に長期入院中の母が亡くなりました。 血流が悪くなる病気で、1年ほど前から痛みが酷くなり、足指から壊疽が始まり、痛みのために1人では何もできなくなった時点で大学病院に入院。足指を切断しました。手術後、今度は肺気腫が悪化、肺炎を起こし、何度かは覚悟を、と言われながらも、なんとか持ちなおし、病院を転々としながら半年が経ちました。 術後の傷口は塞がら無いまま、痛みも続く中、リハビリも無理で、ほぼ寝たきりになったため、家に帰りたがる母を我慢させて、入院を続けさせました。 コロナのせいで、半年間で会えたのは、手術時や転院の際の5回のみ。最初のうちは携帯を使えていましたが、だんだんと通話も無くなり、会話もほぼなくなりました。 結果的には痛みと孤独に耐えさせて、ひとりぼっちで、旅立たせてしまったのです。 最善は何かと探り続けていましたが、コロナの規制が厳しく、私の判断が鈍っていたのかもしれません。 病院にいることが母にとって最善だったと、今になって思うことが出来なくなり、一人で旅立ってしまった母が、かわいそうで、悲しくて、心が潰れてしまいそうです。家に連れて帰り、在宅看護を検討できなかったか、入れる施設は必死に探したものの、在宅は無理だと最初から諦めた自分に一生後悔をすると思います。 もっと母と一緒に居てあげたかった。母とおしゃべりしたかった。 自分の家族の前では明るく振る舞うため、心と身体が分離していく感覚が恐ろしく感じています。 どうやって心を保っていけばいいでしょうか。 よろしくお願いします。

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母が亡くなりました。

先日、母が体調の悪化により69歳という若さで亡くなりました。 母は2度の入院をし、2度目の入院のあと在宅介護になり、介護をしていました。 入院後、歩けなくなってしまったので、入院しなければなどと言っていました。 私が入院を進めなければと思いがよぎります。 介護中も、疲れから、辛くあたってしまうこともあり、優しくできなったことに、後悔しています。  もし、早く救急車を呼んでいたら違ったのかな?などとも思ってしまいます。 後悔しか頭によぎりません。 母は口癖のように、死にたいと言っていました。 母は楽になれたのでしょうか? 悔いはないのでしょうか? 私に対して怒ってないのでしょうか? 本当に極楽浄土はあるのでしょうか? 私が亡くなった時に母に会えるのでしょうか? それとも、もう産まれ変わっているのでしょうか? 母に会いたい時、話したい時、どうしたらいいですか? 後悔ばかりしていたら、悲しんでいたら成仏されませんか? あと、火葬の日に、息子の誕生日でした。 ケーキも頼んであったため誕生日をお祝いしました。 動画を撮ったのですが、電気を消しロウソクを立てて、のをあとから見ると、ロウソクの炎が(ロウソクとは別)上のほうで反射してるかのように、ユラユラ揺れてみたり、移動してみたり、そんな不思議な動画になっていました。 あれは母もお祝いしていたのでしょうか?

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祖母の死後、後悔ばかりをどうしたらいい

昨日祖母が急死しました。 つい4日前までは元気に私の子(祖母のひ孫)と外で遊んでいたのに、今でも信じられません。 生前の祖母に対しては、愛憎のような複雑な思いがありました。 私が結婚して家を出る前までは、実家で同居しており、高校生くらいの頃から次第に、祖母の仕切り屋で一々口を出してくることを鬱陶しいと思い、邪険にすることが多々ありました。その都度、夜に後悔してなんであんなことを、と落ち込んでいました。 私が7年前に子供を産んでからは、週に1回程度は実家に帰っていました。毎回子どもの面倒を本当によく見てくれて、誰よりも子どもと同じ目線で飽きずに長く遊んでくれていたと思います。ですが、ひ孫可愛さにお菓子や果物を際限なくあげるので、何度も強い言い方で注意もしました。祖母の言っても聞かない性格や、子供がそんな祖母になつくのが少しだけ悔しくて、結構冷たい言い方をしてしまっていたと思います。何か聞かれても「後でまた見るわー」や、「また今度来たときに」と適当に流すときもありました。 一緒にカラオケで歌ったり、誕生日のお祝いをしたり、楽しい思い出もたくさんあるはずなのに、何故か今思い浮かぶのは上記のような酷い行動の後悔ばかりです。 もっと子供と遊ぶ姿をしっかり近くで見て、動画や写真を残しておけばよかった。カラオケに私の作った曲が入ったときに「入れるから」と嬉しそうにタイトルを聞いてきたときに、照れたりせずに一緒に喜んで教えれば良かった。子どもの成長をもっと一緒に笑って分かち合えばよかった。 コロナが治ればまたカラオケやお出かけして、子どもの買い物もしたかったのに。 今更遅いですが、やりたかったことがたくさんあるのです。 祖母はきつくてわがままな人でもありましたが、面倒見も良く素直な人だったので、先に逝った祖父と穏やかに見守ってくれているとは思っています。私を恨んでいないとも思います。 ただ、私の後悔ばかり押し寄せるこの気持ちはどうすればいいのでしょうか?時間ぐすりとは言いますが、祖父の死に比べてあまりに急で、心の準備ができていなかった分、事あるごとに祖母を思い出し後悔が浮かび涙が出てきます。 自分は本当に酷い人間で、これから家族や実家に顔向けできるのか不安です。 どんなふうに気持ちを持っていけば、心は落ち着くのでしょうか。笑いながら祖母の思い出話をできるくらいになりたいのです。

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一人娘が家を滅ぼしました。

おはようございます。 後から母に聞きましたが、母は男の子を死産してその後かなりの年数が経ってから私が生まれました。このことは大人になってからしりました。 一人娘で溺愛されて育った私は、子供の頃から悪い子になってしまいました。感謝するどころか反発をしたり(今思えばその頃の心の成り立ちが理解できません)、家を継ぐ、どんなに大切なことかも全く考えておりませんでした。 大切にしてくれた祖父母を亡くし、父を亡くし家を無くし、最後に母を亡くし、今ひしひしと悲しみにくれています。母を亡くした時は自業自得だと自分を責め、自殺も考えました。 皆に可愛がっていただいたのになんて悪い子(人間)だと。罪を背負いながら生きるのは辛いと。でも、命は残ってしまうようです。 日々感謝するしかないとはわかっていながらも罪悪感からは逃れることがなく、涙が止まることもありません。母には永代供養を頼まれましたが、できる限り自分で供養したいとは思っています。 自分の心、懺悔、陳謝、感謝はどうすればご先祖さまに届くのでしょうか。苦しい思いが続くので、西洋医学的には問題のない呼吸のしづらい胸の苦しさが続きます。どうぞよろしくお願い致します。

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母が亡くなり、後悔がある。謝りたい。

先日、母が50歳と若くして亡くなりました。 タイトルの通り、母の死に後悔があり、謝りたいです。 母は脳にガンの転移があり、4ヶ月ほど前から、日常生活全てにおいて介護が必要な状態になりました。 まず、母の介護に関して、私はよくやったと思っています。 オムツの交換や、服薬、食事の補助、病院への付き添いや運転など、ほとんど私が行っていました。 客観的に見ても、介護や家事の負担は、私が大部分を負っていました。 他の身内には介護に時間を裂けない事情がありましたし、私にも長男としての責任がありましたので、そのことに不満は全くありませんでした。 母は、よく「感謝している」「申し訳ない」と言っていました。 他の身内や、医療関係者の方も、私はよくやっていると言ってくださっていました。 そのことは誇りに思っています。 本題になりますが、私の後悔は、母が亡くなる1ヶ月ほど前からの私の振る舞いのことです。 その頃から、母の体調が悪くなり、助けを求められる回数が多くなりました。 夜に起こされることも多々あり、最終的には丸一日側にいなければならないような状態でした。 そのストレスから、私の介護がどんどん荒っぽくなりました。 冷たくあしらったり、適当に介護したり、言動が荒くなったりしました。 特に、母が亡くなる2週間前には、かなり高圧的な態度で話してしまいました。 その時に、母に「だったら死なせて欲しい」と言わせてしまいました。 同時に、「私を愛している」とも言ってくれていたのですが、つまらない意地を張り、「私も愛している」と伝えられませんでした。 その次の日から、母がうまく話せなくなってしまい、その喧嘩が母との最後のまともな会話です。 また、その次の日から母の姉が介護に来てくださったので、私はあまり介護に関わらなくなりました。 そして、母の容態が急変し、亡くなってしまいました。 あの喧嘩のせいで、母は喋れなくなったのではないか。容態が急変したのではないか。 なぜ最後の最後で介護に関われなかったのか。 なぜ最後の会話があんなものになってしまったのか。 後悔が溢れます。 母の遺体に謝罪し、「愛している」と語りかけましたが、母は死ぬ前に聞きたかったはずです。届いたのかも分かりません。 私はどう懺悔すれば良いのでしょうか。 また、どうすれば母に謝れるのでしょうか。

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父の死のあとに生まれた命

私には二人息子がいます。 次男を出産する1ヶ月前に、父が突然心筋梗塞で亡くなりました。 私の出産は母子ともに命の危険があり、自宅で絶対安静にしていなければなりませんでした。そのため、1歳半の息子を私の父と母にお世話してもらっていました。 母は私の家に住み込みで、父は実家から私の家に朝来て夜帰る生活でした。 夜、実家で一人、父は突然心臓が苦しくなって亡くなりました。 私は自分を責めました。 父のそばに母がいれば、こんなことにはならなかったと。父から母を奪った私が全て悪いのだと。 家族を誰よりも大切にしていた父にとって、私とお腹の子の事が心配でしかたなかったに違いありません。 元々心臓が弱かったのに、孫の世話もさせてしまって、病院に行きたくても行けなかったのでしょう。 後悔してもしきれなく、父しか頼りがなかった母を一人にしてしまったことにも罪悪感が消えません。 次男は無事に産まれてくれました。もうすぐ一年が経とうとしています。 母親失格なのはわかっていますが、私がこの子を身篭らなければ今も父は居てくれたのではと思ってしまいます。 一年経っても、私が父を殺したという思いと、この子を産まなければ父はまだ側にいてくれたのではという思いで夜も涙が溢れ、眠れない日々が続いています。 大好きな父を失い、大好きなはずの次男を素直に受け入れられない私は行き場がない思いでぐちゃぐちゃになっています。 どうか、どなたか、お話を聞いてくださったら嬉しいです。

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