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「動物・ペットについて」問答(Q&A)一覧

犬が諦めきれません。

パピーウォーカーをしていました。立派に盲導犬になり、大役を務め引退しました。 その犬を引き取れなかった事が引っかかって辛いです。 引き取らなかったのは、年月が経ち私が、仕事をはじめて留守がちだからです。本当は引退があと2年先の予定でしたので、その頃にはと思っていたのですが、今となるとどうしても子供の教育資金や私の学校があり、厳しいと判断しました。 せっかくお仕事が終わってのんびり出来る余生に、お留守番の寂しい思いをさせたくないのが1番の理由でした。 ですが1週間ほど里帰りしてきてくれて、家族の気持ちは昔に戻り何と愛しい存在なのかと再認識してしまいました。仕事なら夜出ればすむんじゃないか。学校も、急がなくても卒業までは伸ばせることに気が付き、引取りを申し出ましたが、すでに引退犬ボランティアさんが、決まってしまっていてダメでした。 引退犬ボランティアさんの元で幸せになれるのはわかってるんです。並大抵の愛情では老犬を引き取ることなんて出来ないと思いますので。 私の元にいるより幸せなれるとわかってるのですが… どうしてもっと考えて返事しなかったのか。あの子の幸せが1番なのなら、こんなに自分が悲しいのはおかしいのではないか。あの子を独占したいだけで、あの子の幸せになんて考えたない酷い人間なのではないか。 家に帰ってきた時、家族が揃った時本当に嬉しそうで、あの子の中で私たちはずっと存在していられたんだと嬉しかったのに… 長年連れ添ったユーザーさんと離れ、元家族に再会はしたものの、また離れ。犬は悲しまないのかもしれませんが、申し訳なくて。 終わったことをクヨクヨしても意味が無いのに、堂々巡りで気持ちが晴れません。 どのように考えれば前を向けるでしょうか。よろしくお願いいたします。

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実験動物について

自分は医療系を目指す大学生で先日、先輩の話を聴く機会がありました。先輩は研究室に入ったばかりで、最近は、毎日ラットをさばいて神経をとる練習だけをしていると言います。 もちろん自分の目指す道にはあからさまな殺生を行わない分野もありますが自分の志す分野ではどうしても必要になってきます。 自らの手で殺さねばならないということ、その覚悟はできていたはずなのですが、食べて自分が生きるためでもなく、練習のために自分の手で殺さねばならない、きっとその後も実験を通じて沢山の殺生を繰り返すことになる、ということが現実感を持って迫ってくるとどうしても胸が苦しくなります。 今はそのことから目を背ければいいのですが、そのうち逃げられなくなったときに自分が潰れてしまいそうで怖いです。 命と真正面から向き合えるようになりたいです。 そして、結局は自己満足の正当化に過ぎないのかもしれず、また、動物たちにも失礼ですが、自分の中で折り合いをつけたいです。 どう向き合うのが正しいのでしょうか。 先日、実習でヒヨコの胚を殺してDNAをとりました。自分の毛根で代用できる実験なので、先生の感覚が分からないと友人に話したところ変な顔をされました。 お坊さんにこんなことを相談するのも失礼かもしれませんが誰に相談すればいいのかも分からないので相談させていただきました。 お返事よろしくお願いします。

有り難し有り難し 20
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猫を助けられませんでした

1ヶ月ほど前に祖母の家の床下に野良の母猫が子猫を連れて入り込んだらしく、祖母の家に行く度に鳴き声を聞きました。母と救出しようと何度も試行錯誤したのですが母猫に任せる判断をして実家に帰りました。祖母には家の中から子猫が出てきたら絶対に連絡して欲しいと念を押しました。 数日後祖母の家から子猫が2匹出たらしいのですが、隣人と保健所に連れて行った後引き取って貰えず、そのまま祖母の家から離れた遠い所に子猫を逃がしたと聞きました。猫が出てきた時に祖母からの連絡はなく、話を聞いた時には終わった事として話されました。それからという物の猫を助けられなかった事をずっと後悔して涙が止まりません。 母も私も猫好きで現在も実家で元野良猫と保健所で引き取った2匹を飼っています。祖母の家にいた子猫も元々里親を探す前提で助ける予定だったのですが、それから祖母の家で子猫の鳴き声を聞く事もなくなったらしく結局何も出来ませんでした。あの時祖母の家に泊まっていればあるいは、壁を破ってでも子猫を助けていれば…と思い返す度に考えてしまいます。 祖母の家の近辺では無責任に野良猫に避妊手術もせず餌を与え続ける家庭があり、そういった事が原因で近隣の人にとって猫は迷惑な存在だと思われている事を知ってやり場のない怒りを感じました。あまりにも辛い出来事で忘れたいです。どうすれば前に進めるのでしょうか。長文で申し訳ありません。回答よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 15
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飼い犬を手放しました

はじめまして。20代女です。旦那と2人で暮らしております。 ペットショップで買った愛犬がいなくなってしまいました。私がというよりは、24時間鳴き続ける犬に付きっ切りでノイローゼになった私を見兼ねた旦那が…。私は里親探しや、友達に譲ることを提案しましたが元々鬱っぽいところやノイローゼ状況を見た旦那が見つかるまでどうするんだ、もう君には無理だ、と言ってどうやってやったかはわかりません、殺めたか捨てたかもわかりません。朝起きたら愛犬はもう居ませんでした。 私がもう少し耐えれたなら、ノイローゼにならなければ、と考え始めてとても悲しい気持ちが押し寄せて何もする気になりません。 とても可愛い子でした、まだ2ヶ月半でした。甘噛み夜泣き、四六時中鳴き続けるあの子に私がもっと耐えれたら旦那もこんなことをしなくて済んだのではないでしょうか。どう悔やんでも、後悔しか浮かんできません。旦那もとても辛そうです。許してもらえるなんて微塵も思っていません。 この子を供養するにはどうすればよいでしょうか。大事にできる自信がなくなったのでもう犬を飼う気はありません。仮に老後になって何かの機会で次に飼う時は、保健所から貰ってこようと思います。これから旦那と普通に幸せに生きていくのはいけないでしょうか。忘れることはもちろんありませんが、この子のことをどう思いながら生きていけばいいでしょうか。

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野生動物の命について教えてください

仕事の帰り道で山あいから車のとおる所まで野生動物の赤ちゃんが2匹さまよっいて周りには母親もおらず車にひかれたりカラスがねらってはいけないと思わず心配になりとっさに車から降りて近づくと一匹は母親と思ったのかひざにのり、もう一匹は溝に落ちかけていました。放っておくことができずどうしてあげたらよいかわからなくて動物病院に電話するとつれてくるかは自身で判断して下さいと言われたので動物病院へ連れていきました。 この子たちはあらいぐまの赤ちゃんでした。せんせいは外来種で畑を荒らしまわる害獣だから保健所にいき殺処分されるといわれました。こんな小さな命で明日も生きられるのかわからないのにそんな言葉は受け入れられずそれなら元の場所に返してきますというとそれは出来ません、法律違反で罰金をとられるしそんな安い額じゃないですときつく言われました。すがる思いで助けを求めにいったのに私のせいでこの子たちの命を奪うことをして取り返しのつかないことをしてしまったらどうしよう、連れてきてしまった後悔と不安と恐怖におちいりました。それでも私はなにもしていないこの子たちの命は人間の手で奪われてしまう、そして一生その事を後悔しながら生きていくのは法律違反や罰金なんかよりも比べものにならないくらいにこの子達の命のほうが大事に思えました。この子達はなにも罪がないのだから連れてきた私を殺処分してほしいくらいです。動物病院のせんせいもどんな命にたいしても平等に助けてくれると思っていたのにきっと犬やら猫絶滅危惧種なら助けるのでしょう、どうして同じ生き物なのにみんなただ必死に生きているだけなのに人間は自分たちの危害をおよぼすからと殺す法律なんか人間のえごだと思います。私はせんせいのいうことなど受け入れられずそのまま無視して連れて帰りごめんねと泣く泣くもとの場所に返しました。食べるものがなくて明日は生きられなくてももしかしたらどこかで生き延びてくれているかもとそのほうが希望がもてそうです。私は賢くないので命の選別ができません。自然界ではこの世のものはすべて平等の命なのに人間界においてはそうではない確かに牛や豚や鳥の命をいただき生かされていると感謝はしてます。そういいながら、蚊や虫を殺す自分もいます。どうしてもこの不条理に悲しくたえられません。どうしたらわりきって生きていったらよいのでしょうか。

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標本集めで多くの命を奪ってきました。

中学校から昆虫採集にはまりました。 野に出て虫を取り,ただ見ていたり持ち帰って飼ったらしました。 いつしかその美しさを永遠に我が物にしようと標本集めを始めました。大きな網を購入し,昆虫針,三角紙、展翅板…道具揃えて,いざ採集に。 捕まえた蝶々はすぐに胸を圧迫し,動けないようにして三角紙と言う包みに入れます。甲虫はエタノールの入った瓶にすぐ浸します。蛾類は分厚い上鱗粉が落ちたらいけないので注射器でエタノールを注入します。 そして得られた死虫は展翅、展足と言って,好きな形に,針で固定します。しばらくすると乾燥して,出来上がりです。 このような標本は何箱もたまっています。たまに出して見るとほんとに美しい物です。 やはり人間には収集欲ってあるだなとしばしば思います。昔のヨーロッパの宮廷貴族だって、アフリカを踏破した冒険家だって、狩りをして、珍奇な鳥獣で家を飾っていましたから。 このことを自分の行為の解釈にしました。 このような貴族趣味が続くと思うと、そうではありませんでした。 高校入学で忙しくなり、野に出る時間がなくなります。そして,仏教に興味を持ち始めました。完全に趣味で本を読み始めたもので、教養になればなあと思っていました。 そして休校になり、時間に余裕ができます。そうすると、野に出たくなります。 いざ,装備を掘り出し採集へ。しかし,思ったより、手を下しにくい。さっきまで花の蜜を吸っていた蝶を捕まえ、手にします。動いている,とてもよく動いています。逃げようとしていますね。そしていつものように胸をつまんで圧迫しようとすると,すごく波動を感じます。羽ばたこうとしているんですね。 その後も何匹か捕まえて,標本にしました。 どうもあの感覚が忘れません。 最近朝起きたら、必ず鼻水がひどいです。夜もまともに眠れません。9時に消灯しても寝付くのは11時近くです。 これまで虫たちを殺してきたことへの報いなのか。とか、その申し訳なさがずっと積もっているからではないかと思っています。 何か,気分を転換したり,心を安らかにする方法はありますでしょうか? 変な質問ですが,どうかよろしくお願いします。

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「天命」の意味とは

「人事を尽くして天命を待つ」の意味を教えてください 私は今、行方不明の愛猫を探しています。 モットーに「人事を尽くして天命を待つ」と掲げ、折れそうな心を励まして探して来ました。 しかし、素人なりにかなりいろいろな捜索活動をしたのですが、ちっとも情報が来ません。 「天命」を待つ間、眠れず食べられずイライラキリキリして張り裂けそうになっている時、hasunohaに出会いました。私の質問に答えていただき、また過去似たような状況で苦しんでいる人の問答を読んで、現代社会のドライな価値観とは違う広大なものの捉え方にとても慰められました。 気づいたのですが、私は「天命」を「よい知らせ」とだけ捉えていたようです。しかし、ハスノハで問答を読むうちに、「天命」とは、よい知らせという意味ではなく、いいことも悪いことも、命のありよう全てを含んだもっと大きなものなのではないかと気づきました(上手く言えなくてすみません)。 「なぜ必死で手を尽くしているのによい知らせが来ないのか、努力が足りないのか、大切なあの子に、辛く苦しい残酷な死に方をさせてしまったのではないか」と焼け焦げそうにイライラして泣いてばかりいましたが、猫という命と人の命、その別々の命が出会ったことにもっと感謝して、自分のこれまでの生き方など全てを大きく受け止めることが「天命を待つ」の本当の意味なのではないかと、気づきました(分かりにくい文章ですよね?すみません) よい知らせばかりを待ち望んでいた私にとって、この意味に気づいたのは衝撃でした。「天命を待つ」とは、いい結果も悪い結果もそのまま大らかに受け止めることではないかと思ったとき、全く違う世界が広がったのです。 私は、愛する猫を危険な目に遭わせるどうしようもない飼い主です。人によっては、動物と関わる資格がないと言うでしょう。けれど、少しずつ自分を許していかないと、今後呼吸すらできなくなり猫の捜索に向かうパワーがなくなってしまうと感じています。 ごめんなさい、ほとんど独り言の懺悔になってしまいました。 まとめると、お坊様に聞きたかったことは、「人事を尽くして天命を待つ」という言葉についての、仏教的解釈です。もとは儒教の言葉だと聞きかじりましたが、「人事を尽くして天命を待つ」とはどういうことなのか、教えていただきたいです。

有り難し有り難し 28
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動物保護はエゴか

こんにちは。いつもお世話になっております。 今回はカラスを保護したことで、思うことがあり意見を聞かせていただきたく質問します。 脚に障害がある、巣立ち前に巣から落ちた子ガラスを保護しました。 放っておけば死んでしまう状況でした。カラスが寿命を迎えるまで快適に暮らせるように、できることをし続ける覚悟はしてします。 今までも動物を保護したことは何度かあります。私が飼っている動物は皆保護したものです。積極的に保護したいとは思いませんが、目の前で困っている動物は助けたいと思います。動物は死にたいと思わないでしょうし、生きていてほしいからです。 ほとんどの人は、子カラスが落ちていても素通りしますよね。カラスはゴミを荒らすし、ヒトを襲うこともある嫌われものですから。でも私はどんな動物でも区別なく生きる手助けをしたいです。この考えは子どもっぽいでしょうか。 それに私は肉を食べますし、大学で動物実験をすることもあるのです。 動物を殺しながら家では保護するのは矛盾していますよね。私はエゴイストなのでしょうか。 お坊さんはどう思われますか? カラスの飼育は自治体により扱いが異なりますが、私の住む地域では届け出が要らないので、ここでは法的な話ではなく思ったことを回答していただけると幸いです。

有り難し有り難し 17
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愛猫が行方不明

愛してやまない大切な猫を、私たち家族のだらしなさで行方不明にしてしまいました。 完全室内飼いの約束でもらった子猫を、飼ううちに脱走を許してしまい、そのうちずるずると外出猫にしてしまいました。 一番の原因は、「猫が家だけで暮らすのは残酷だ」という中途半端な優しさです。当時は、約束を破るのは嫌だけど、田舎だからみんな外出させているし猫は幸せそうだし、という言い訳で自分を許してしまいました。猫の幸せを考えたつもりでいたけれど、今思うと私は本当の愛猫家ではありませんでした。 猫がうちにきてからから6年後の今、行方不明になり8日間帰ってきません。 探し方を勉強して友人たちと家族の手を借り、素人なりにかなり徹底的に探し目撃証言を集めましたが、今のところ情報はありません。若くして死なせてしまったこともだんだん覚悟してきました。 辛く苦しい思いをしていたのではないかと、心が潰れるようです。 探してくれた友人たちは優しいけれど、獣医さんにはびしばしと叱られました。猫が4歳のときに同じような事件を起こしていたのに、結局完全室内飼いトレーニングに失敗し、また同じことを繰り返したことについてです。本当にその通りだと思い、後悔でいっぱいです。 世界で一番愛してるつもりでしたが、私はただ都合のいい、中途半端な可愛がり方をしているだけでした。身に沁みてわかりました。うちにくるまで猫を愛情をもって世話してくれていた最初の保護主さんに、合わせる顔がありません。 ダメな飼い主ですが、猫を愛している気持ちだけは本当です。もう一度会えるチャンスをもらえるなら本当に最後と思い、今度こそ心を鬼にして室内飼いにし、最後のときまで一緒にいます。 うちの猫が帰ってきても帰ってこなくても、これを機に世間の猫を助け猫に恩返しがしたいです。こんな人間にもう動物と関わる資格はないとも思うのですが、ダメだから役に立てることもあると思いたいです。 うちの猫は、こんな飼い主でも親愛の情を持ってくれていました。愛おしいところばかりの本当に素敵な子です。私たち家族はだらしなくて惰弱だけれど、猫を心から愛する気持ちは本当です。 連日連夜捜索の準備と不安とで眠れず、私はとうとう倒れてしまいました。早く体を治さなければと思うものの、やはり心配で眠れないので治りません。完全に自業自得ですが、なにか回復のヒントをいただければ幸いです。

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野良猫を放置したことを後悔

8年ほど前、家に寄り付いた野良猫が子猫を生み、里親を探しましたが見つからず、山に放しました。 その時は家では犬と猫を飼っていたのでこれ以上は保護できませんでした。いけないことと思いながらも見捨てられず、餌を与えてしまったら庭に住み着いてしまったようで、最初は人間を警戒していましたが私たちには心を開き、子猫を連れて戻ってきたのだと思います。可愛いので庭にいてくれることも嬉しく、しばらくの間見守っていました。 しかし近所の方にも迷惑になるし、これ以上子猫を産んだら良くないと思いましたがどうすることもできず悩んでいました。すると親が、野良猫がたくさん住んでいる山に放せば、生きていけるだろうと言いました。(餌をやりにくる人たちもいる山です。) 今から思えば不法遺棄になるのでやってはいけないことですが、その当時は猫のためにも私たちのためにもそうするしかないと思いました。 捕まえて車で連れて行きましたが、捕まえる時に逃げ惑った猫の姿があまりに可哀想で、ごめんねと泣きながら連れて行きました。山に放した途端猫たちは怯えて母猫と子猫はバラバラに走って逃げました。母と子猫は一緒に暮らせると思っていた私は、初めて酷いことをしてしまった、これでは生きられないかもしれないと思いました。 人間に裏切られた猫の気持ちや、怖くて寒くて寂しい思いをした子猫たちの気持ちを考えると今でも自分を強く責めてしまいます。 もっとよく考えて懸命な行動をすればよかった、猫を見殺しにしてしまったも同然だと後悔の念に苛まれています。 家族みんな動物が大好きですが動物を愛する資格もないと思います。こんな私はこれからどのような思いでどんな償いをして生きていけばいいでしょうか。

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友達のペットを殺したかもしれない。

当時、私は小学校中学年でした。 友達の家はペットにフェレットを飼っていて みんなでよく遊んでました。 ある日 私がゴム製の星の形をしたおもちゃ(フェレットではなく友達のもの)をフェレットにひきつけて遊んでいたら 角の先っぽ部分1cmほど食べてしまいました。 私はびっくりして遊ぶのをやめました。 おもちゃを欠けさせてしまった事で 嫌われるのが怖くてその事を全て友達に黙っていました。 それから期間は曖昧ですが しばらくしてフェレットは亡くなりました。 死因は聞いていません。 あれから10年も経った最近になって初めて フェレットの誤飲が命に関わる事だと知りました。 今更になって私が殺してしまった可能性が高いんじゃないかと疑っています。 もし誤飲なら想像を絶するほど苦しく痛かっただろうし むごい事をしてしまったと申し訳なくやりきれない気持ちでいっぱいになります。 我が身可愛さに黙っていなければ 助かってたんじゃないかと考えてしまいます。 そうすると眠れなくなります。 罪の意識で潰れそうでとても苦しく 私は生きている価値がない人間に思えてきます。 嬉しい事があっても幸せになるべきではないないと当時がよぎり 心から喜べません。 故意ではなくても人の家のペットは殺してしまったかもしれないくせに 自分の家のペットは大事にしているのも最低だと思います。 疎遠になっているので友達の連絡先は知りませんが まだ地元にいるはずなので頑張れば連絡を取れる状況です。 死の真相かもしれない事を黙っているのは フェレットを2度殺していることになりますか? 一生恨まれる覚悟で打ち明け、もしかしたら自分の誤飲のせいで亡くなってしまったかもしれないと謝罪するべきですか? それとも墓場までこの話は持ってくべきですか? あと、私がフェレットにしてあげられる償いはなんでしょうか? 罪悪感に潰されそうで 心から笑いたいけど笑ったら 友達とフェレットの事が頭に浮かび 苦しくなります。 殺したくせに楽しく生きたいと思うのは傲慢で最低だと感じ、 生きている心地がしません。 とりかえしがつかないことをしてしまった自分が憎いです。 フェレットと友達家族に申し訳ない気持ちでいっぱいです。 長い文を読んでくださってありがとうございました。

有り難し有り難し 23
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亡くなったペットの気持ちと生まれ変わり

先日ご相談させていただいたものです。 3月のはじめに愛猫を亡くし、生まれ変わってまた再会できることを信じて、毎日自分なりに供養をしながら過ごしています。 いまだ気持ちが追い付いてきません。嘘ならいいのにと何度も考えてしまいます。 私は普段から野良猫のお世話や避妊などもしています。 その子たちはまた別の可愛さがありますが、不思議と連れて帰ろうという気持ちにはなりません。 ところが、あるペットショップのサイトを見ていたらなんとそっくりな子猫がいたのです。どの写真を見ても似ていて、愛猫が撮った写真と同じポーズの写真まであり驚きました。 はじめは、猫を「買う」ということに抵抗があったのと、まだあの子が亡くなって2週間ほどでしたのでそんな気持ちにはなれませんでした。 でもつい毎日その子の写真を見に行ってしまいます。 まだ写真しか見ていないのに、その子に愛猫の面影を重ねてしまいます。 その子も愛猫と同じく体が弱いようでした。結局、気になって仕方がないので家族と話し合いおうちへ迎えることにしました。 実は写真を見たとき(もしかして生まれ変わりなんじゃ?)と思いました。 でも愛猫が亡くなるより3か月も前に生まれた子です。 生まれ変わりに時間軸はないとどこかのサイトに書いてあったのですが、同時にこの世界に存在しているのはさすがに混乱します。やっぱり違う子ですよね… 生まれ変わりであればどんなに嬉しいか…でもそれを確かめる術はないですし、その子はその子として迎えるべきですよね… 主人には、もっと自然な出会いを待ってもいいんじゃない?と言われました。特に反対はしていませんが、あの子の生まれ変わりではないと思っているようです。 私自身、あの子の生まれ変わりを信じて待つといいながら、亡くなるより3か月も前に生まれ生まれ変わりではないと思いながらその子を飼うと決めたことに罪悪感があり、愛猫に申し訳ないです。 ただ似ているから家に来てほしかったという私の我儘ですよね… これから先、もしピンとくる出会いがあればまた迎え入れることもあると思います。 勝手な想像ですが、四十九日前で、暗くて長い天国までの道を一人で歩いているかもしれないあの子は新しい子を迎えることをどんな気持ちで見ているのでしょうか? 僕は一人なのに、こんなに早く新しい子を迎えるなんてと、寂しく思っているのではないかと心配です。

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飼い猫を事故死させて生きる意味がみえない

自分はなぜ生きてしまっているのか、飼い猫を事故死させてからなんの為に生きているのかわからなくなりました 自分は独身で怠惰、なんの取り柄もない人間ですが、せめて自分の両親と飼っている兄妹猫2匹の最後を看取る、寿命がくるまで家族楽しく生きていければそれでいいと思っていました 昨日、いつものように早朝だけ猫を外に出すといつものように朝方には戻ってくると思っていましたが、その日オスの猫だけは帰ってきませんでした 母親はその日休みなので自分は母親に猫の捜索を託して仕事にいきましたが、見つからないと聞き、午前中で仕事を切り上げ、早退して家に戻り徒歩で捜索を開始しました 創作開始して20分程度経って家から約50メートル先の道路に遠目で横たわる猫を見つけました、それは紛れもなく自分の飼っていたオス猫でした すでに死後硬直し外傷がほとんど見られないので、そのまま手で抱えて家に向かいました、申し訳ない気持ち、悲しい気持ちでいっぱいになり、ごめんねごめんねとつぶやきながら家に戻りました オス猫の生前お腹を撫でると、猫が両手で自分の手を抱えようとしながらゴロゴロする光景が目に焼き付いています、そのときに自分は「俺が君たちを守るからねー」と言っていたのですが、それがこのようなことになり、口だけでしかなかった自分の言葉が悲しくて仕方がありません 元々室内飼いだったのですが、オス猫だけある時粗相したり餌を食べなくなってやせ細って病院にいっても何も異常はなかったことから、ストレスが原因であり外に出せばストレスがある程度解消できると思い、放し飼いをするようになりました、実際それからは元の食欲に戻り、粗相もなくなりました それでも危険なことには変わりないことはわかっていたつもりでした、なのに軽率にも放し飼いを続け、結果として最低限守りたかった家族を失いました、自分の浅はかさ、見通しのなさが悔しく、いつものオス猫との日々がもう戻らないことの悲しみに何度も涙を流しながら過ごしています せめて生前のオス猫の過ごしやすい家の雰囲気を守っていこうと家族と仲良く、雌猫は室内飼い徹底しようと決意し、明るく振る舞おうとするのですが、ふいに悲しくて仕方なくなり、泣いてしまいます 自分は本当に家族を守るだけの資格があるのでしょうか、家族すら守れない自分は生きていても仕方なく、オス猫の後を追ってやるべきなのでしょうか

有り難し有り難し 10
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