看取るのが辛いです
私の家族に老猫がいます。
しかしかなり衰弱してしまい、もう間もなくお迎えが来るのだと思います。
日に日に弱っていくあの子を見ているのがとても辛く、死を看取ることを、あの子がいなくなることを考えると怖くて仕方ないです。。
家族としての責任なのは充分分かっていますが、目の前の現実から目を逸らして逃げ出したくなるのです。。
この数ヶ月延命治療と介護をしてきましたが、それも自分が看取る覚悟ができないから、ただの私のエゴだったのかもしれません。
私のせいであの子にとってはただ辛い思いをさせただけだったのではないかと思うと申し訳ない気持ちにもなり、私の事を恨んでいるのかなとか考えてしまいます。
本当は人生の半分近くを共に生きてくれたことを感謝しながら、笑顔で看取りたいのですが、なかなか気持ちが整理できません…。
大切な存在の死というものはどのように受け止めるべきなのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
今この時を大切に
拝読させて頂きました。おっしゃるとおりみとっていくことはとてもつらいことかと思います。あなたのお気持ちよくわかります。
だからこそその子はあなたにとってかけがえのない存在ですしこの上なく大切な子です。
そして共に生きる時間が本当にかけがえのない大切な時であるのです。
私達は有限な存在ですから普通に出会うこと自体奇跡的なことです。
そのような中で出会い共に毎日を過ごして幸せに生きらたことは本当の私達の財産ですからね。
人の命はわからないものです。様々な巡り合わせの中で生きているのです。
いつの日か誰しもがその終わりは来るのです。
だからこそ今この時やそのご縁やいてくれることのありがたみを感じて下さいね。
あなたとその子がこれからも仲良く幸せに生き抜いていかれますように、そして天寿を全うなさっていかれますよう心よりお祈りさせて頂きます。
卒業式
この世を卒業して極楽浄土に向かうのだと思って、卒業していく先輩を見送るような気持ちで祝ってはどうでしょうか。
死別は寂しいですが、悲しいこと(不幸)ではありません。
誰でも通る節目は全て「おめでとう」で良いのです。
苦しい娑婆世界からの卒業式です。
南無阿弥陀仏と念仏を称(とな)えて、来世のことは阿弥陀様に託しましょう。