私の知り合いにたくさんヴェジタリアンがいますが、私は菜食とは言えない部類です。 インドをはじめ世界の菜食主義者は、もちろん宗教上の理由からくるひとがほとんどだと思いますし、まわりもそうなんですが、 菜食主義者の方に “肉というのはやっぱり血なんだ、牛でも豚でも、屠殺場というのは、それはそれは悲壮な声が響き渡っていて、 殺されるときに生き物は、涙を流しながらものすごく負のエネルギーを発する。 そうした肉を体内に入れるということは、そうした負のエネルギーをも取り込むことになるのだ。それに加え現在の牛、豚、鶏の飼育状態というのはおぞましいものがあり、せまい家畜小屋に押し込まれて、ただ肉となるために生まれ、そして死んで(殺されて)いくのだ” ということを聞いて以来、私の生活の糧になる為に殺されたんだと、なんとも言えない哀しい気分になってしまいます。 やはり、動物が殺されるときは、負のエネルギーを発し、食することでその負のエネルギーを取り込むということは本当にあるんでしょうか? お坊さんの中には、四つ脚の動物は食さない方もたくさんいらっしゃると聞いた事があるんですが、お肉は食されますか? また、人間の生活の糧になる為に殺されていく動物への感謝や供養の仕方はどうすればいいのでしょうか。 お忙しいと思いますがご回答いただければ幸いです。よろしくお願い致します。
私は中学生の時にハムスターを飼っていたのですが、餌やりをせずに餓死させてしまいました。そして今、もう一度ハムスターを飼おうかと思っているのですが、果たして私はハムスターを飼ってもよいのでしょうか。次こそは長生きさせたいと思っていますが、前のハムスターの事を一度思うと私に飼う資格は無いのではないか、前のハムスターは私を恨んでいるのではないだろうか、許してくれるか。考えてしまいます。私は再びハムスターを飼ってもよいのでしょうか。
前に最初はわんこを1人だけ飼っていましたので、結婚させてもう1人を産んでもらい、親子関係になっていたので、女の子が4頭産み、其の中で1人だけ引き取り、3頭は里子に出しました。 ある人に増やしたら、生気奪われるよ、とか言われ、僕は商売していましたが、7年程前から人との別れがあり、うつ病になり、ろくに商売出来なくなり、家族と離婚になり、破綻して、生保を受けて2年、1年SNS を通じ、仲良くなり、京都を離れ、生保を外れ、関東に行ったもののすぐ合わなくなり、嫌で、実家に帰りましたが、片親しか居ない母にもう毎日毎日臭いと罵倒しパワハラで、わんこも可愛がらないし、自殺未遂もしましたがわんこだけが僕の支えで、話しかけてます。病気で働くことも出来ず、自分のストレスを半端なく当たり散らし、消臭剤撒かれ、もうくたくたです。
よろしくお願いいたします。 少しタイトルとは異なりますが。 お坊さんに聞いてみたい事があります。当たり前に心では理解していますが、理論的には解らないことがあります。 人は他の動物の命をいただいて生きています。動物でも植物でも人は他の命を自分に取り込んで生かされていただけている。と理解しています。 では、人が人を殺してしまう行為はなぜ悪だと言えるのでしょうか。憎悪のままに人の命をを手にかける事は当然いけない事だと解ります。では、それが人が生きていくこと。つまりは人が人を食すためだとしたらそれは魚や牛の命をいただくことと同等の正統的行為になるのでしょうか。 戦時中や遭難時など、緊急避難的な状況なら解りますが、それが今私たちの周りにある日常での出来事だとしたらどうお考えになられますか。 改めて申し上げますが、感覚的にそれは大罪であり、禁忌である事は解っております。 世の中には生まれながらに、なぜ人を傷つける事がいけないことであると理解できない脳を持って生れてしまう人間、学術的にいわゆる「サイコパス」という人間がおり、時に恐怖な事件を起こしますが、そのような方が上記のような質問をされた場合、どう説明されますか。 私も人の命の尊さを知る上で、言葉としても理解しておきたいと思います。 よろしくお願いいたします。
初めまして。カスミと申します。 稚拙な文章にて失礼致します。 以前、飼っていた犬を死なせてしまいました。 気性が荒かったので、強く当たりすぎてしまったんだと思います。 毎晩後悔し、死んでも償いきれないような事をしてしまったと本当に後悔しております。 私が同じように死ねば、犬も許してくれるでしょうか。 ご意見お聞かせください。
どうぞよろしくお願いします。 うまくいう事ができませんが、私は、事故やその他の事で死んでしまう動物の事で、心に非常に大きなダメージをうけてしまいます。妹も同じで、車で子猫がひかれた所に遭遇し泣きながら電話をかけてきました。(猫も犬も好きで、私は猫3匹、妹は猫5匹、犬1匹飼っています。) 犬や猫や動物好きの人間はみな同じだと思うのですが、私たち姉妹はおかしいのではないかと思うほど、強くショックを受けてしまいます。しばらくというより、ずっと悲しいまま引きずってしまいます。私も妹も40才もこえているのに、変なのではないかと思うほどです。 どうしたらこの悲しみ、苦しみをおさめることができるのでしょうか? そして動物たちの死に際して、どの様にうけとめたら心がダメージをうけずにすむのでしょうか。
円通寺副住職の邦元さん先日は猫をひいてしまった件でアドバイスありがとうございました。 アドバイスのお陰で少しは楽になった感じですが、あれからまだ心にわだかまりのような感覚がジワジワとボディーブローのように胃を苦しめています ひいてしまった時間帯に食欲不振におちいり、鬱状態になり家族皆心配しています。 ひいた車が社用車でしたので会社に報告をためらっていることが原因なのかと思いますが職をなくしてしまうのではないかと言い出せません。 結果はどうあれやはり会社には猫をひいてしまったことを報告するべきでしょうか? それとも何か別のことが原因なのかとそしてこの先どうなってしまうのかと不安だらけです。 いわゆる自分で自分の首を絞めているようです
二匹いたように思います、その一匹をひいてしまい恐くなって確認出来ず逃げてしまったので生死はわかりません。その後後日、現場で手を合わせ謝罪し近くの神社で猫のことをお願いしますと手を合わせましたが、いまだ心は不安感に悩まされています。車は下回りを確認してもらったら異常なしでしたのでそのまま乗っています よいアドバイスがあればよろしくお願いいたします。
最近も高校教論が子猫を生き埋めにした事件がありました。 世の中にはまだまだ遊び半分に酷い虐待に遭って殺される動物たちが沢山います。 犯人は悪びれもせず同じことを繰り返しています。 物言わぬ小さな命を弄びながら、肉や魚や植物の命を無駄に消費するのです。 そんな話を聞いてしまうたびに、可哀想で悲しくて心が狂おしく乱れます。 虐待される動物たちは、酷い目に遭うために生まれてきたのでしょうか? 仏教的には、彼らはそんな目に遭わされねばならない相応の業を持って生まれてきたということになるのでしょうか? 酷いことをする人間に出会ってしまうことは、動物たちの宿命だったのでしょうか? だとしたら本当に悲しすぎます。 怖い苦しい想いをしたであろう動物たちの魂は、死後ちゃんと救われるのでしょうか? せめて彼らの魂が仏様の元へ行って幸福になれるように祈っているのですが、どうしてもやりきれない想いがじくじくと心に膿みます。
こんにちは。 最近、未成年だから身元が割れないと思い未成年の子供達が力も無く生きる術も人間をたよわざる得ない小さな動物の虐待が増えて来ています。 今もSNSで安否確認して、レスキューしようとしている方が居ます。 絶対助けたい。 私は元々、動物が大好きで小さな頃から一緒に暮していました。 親達が 「犬は外!」 と捨て犬だった犬を庭に係留しようとした時に…。 私は家の中から、自分の枕とお気に入りの毛布を持って来ました。 「じゃあ、私も外!だって、この子は私の妹だもん!」 毒親の実父、初孫に甘い祖父、動物が好きではないが孫の言う事には従う祖母…絶句。 こんな行動を起こした物ですから、あの時代にミックス犬のお座敷犬になりました。 留守番が全く出来なかった私が、犬と一緒なら平気と留守番できるようになりました。 その犬も最後は、毒親の身勝手な再婚で何度も保健所行きになりましたが、私が全部阻止して親戚の叔母の家にお願いしました。 寿命を迎えて昇天してしまいましたが…。 今も私は沢山の犬猫、小動物に囲まれて暮らしております。 世話は大変ですが、それ以上に幸せと楽しみを浴びるように貰って居ます。 (たまに派手な悪戯されてしかる時も有りますが) 動物を虐待した愚者達の魂 と 動物を慈しみ可愛がり大事にして来た者の魂 これはどういう風になるのでしょうか? 天国と地獄、そんなありきたりな言葉では無く…。 詳細にどうなるかとか、魂の浄化?的な事はどうなるんでしょうか? 因果応報などと言う言葉も有るので、気になるんです。 私は動物保護(自分の出来る範囲)をしていますが、動物からの見返りなんて求めておりません。 一緒に居るだけで幸せです。 が、肉食をする人間と菜食主義の私。 色んなとこで、【殺生や虐待する他人】と違うはずと思ってお坊さんに質問を出させて頂きます。 宜しくお願い致します。
度々の質問、申し訳ありません・・・ 3週間前に、屋根裏で野良猫が出産をしました。 4匹ぐらい生まれたみたいなのですが、母猫が独り立ちをさせています。 そのうちの一匹が、突然、私の寝室の窓を叩いていました。 ずっとノックするので手を伸ばすと自然に抱っこされました。 とりあえず食事をと思い、ミルクを与えてみましたが、まだ自力で排尿や、ミルクも飲めない状態でした。 一旦保護し、昨夜の3時ごろ、啼いて起こされましたが、ようやく少し自分でミルクをお皿から飲んだところです。 正直言って、途方にくれています。私は、最後まで猫のお世話をすることは恐らくできないと思います。 前回は保護せず後悔しましたが、保護をした今も、自分のしたことの重大さに、後悔しています。 この国は野良猫が多く、また多産です。 そして、生まれたばかりの猫が次々死んでいっています。。 恐らく、猫だけではなくて、人間もそうなのでしょう。 発展途上国とは、そのような場所なのだと思います。 私は、基本的には自然の生態系に関わらない方針です。食事もヴィーガンで、できるだけ、生命体の大切な場所(根菜)を避け、再生可能な実(果物など)を、非加熱で可能な限り少量だけ食べて暮らすようにしています。 それは、私の生命を維持するために、犠牲をできるだけ少なくしたいという気持ちからなのです。 猫を助けるということは、他の生物(魚)を消費させることです。どちらの命が尊いということはなく、私が関わるべき事ではないと思うのです。 私はどうしたらいいのでしょうか? 今後、どのように生きていったら良いのでしょうか・・・
今の生活において、悩みや苦しみがまったくないわけでもなく、 体のあちこちに不調があり、贅沢ができるわけでもありません。 それでも、日々の衣食住に事欠くことなく、働くこともできてきます。 それは、家族や周りの方々の援助、今まで出会ってきた方々のお蔭様と、 最近、しみじみと感じ入る瞬間が多くなってきました。 それと同時に、何故だか、今までかわいがってきた犬や猫、鳥などのことが ふわっと心に浮かぶことが多くなりました。 本当に彼らには、辛かったときには慰められ、楽しい時間をもらってきました。 温かな手触り、優しい眼差し、ただただそっと寄り添ってくれていた時間。 今ではそのすべてを看取り、思い出だけが胸の中にあります。 彼らの死後、実家の庭先に埋葬し、お線香など上げていましたが、 残念ながらその実家も引き払ってしまい、今はありません。 このような場合、かわいがっていた動物への感謝の気持ちは、どのように表したらよいでしょうか。
先日、怪我を負った子猫と出会いました。足を引きずりながら寄ってきて、ずっと啼いているので、家に連れて帰りました。 家に一晩泊め、食事をあげました。怪我が治ってから自然に戻そうと思いましたが、既に足の骨が外れて、怪我からも時間が経過していた様子で、治りそうな様子はありませんでした。近くに、きちんと治療できる獣医もいませんでした。 猫を保護し、飼う事を考えましたが、私と子供は海外に住んでいるので、この場所にあとどれだけの期間住むことができるのか分かりません。不安定な生活を送っています。 猫の寿命を全うするまでこの地にいられればいいのですが、そうではない場合、いつかはこの猫を野良猫に戻さなければなりません。 飼いならすことで、折角持っている野良猫の自衛の習慣も本能も失わせることになるので、それであれば、このまま別れるほうが罪が軽いように思い、猫を庭に放しました。 また、撫でて欲しいと寄ってきても、満足に気持ちに応えてあげられませんでした。 気持ちが通じ合って、この子猫が、私たちの家族になれると期待することが怖かったのです。 しかし、後ろ足を二本失ったこの子猫、やはり保護すべきだったのではないかと、後悔の気持ちもあります。 私はどうすべきだったのでしょうか。
先程偶然拝見しました問答、 【動物との付き合い方 女性/まりか/30歳代】 さんについてですが、 猫を助ける方法がありますので、 ご連絡をして頂けるよう、どなたかこの内容を彼女にわかるよう アップして下さい。 宜しくお願い致します。 NPO法人東京キャットガーディアンは、 飼い主のいない猫の保護や、飼育希望者への譲渡などの活動を行っている施設です。 過去にも目のない猫を保護した方が困ってこちらに電話をし、 引き取りにきて頂いております。その後猫はこちらの施設(シェルター)で 生活しておりました。 ※サイト記事抜粋 東京キャットガーディアン附属動物病院 「シェルターに来る猫たちは元気な子ばかりではありません。 様々な理由で居場所を失い、 命の危機に瀕した子たちも数多くいます。 シェルターに収容された時点で体調を崩している子も少なくありません。 力を尽くして及ばないことも、もちろんあります。 けれど、どのようなひどい状態の子でも、必死で生きようとしています。 その子たちに、常に持てる力の最大限を尽くせるよう、 努力したいと思います。」 <名称> NPO法人東京キャットガーディアン <所在地> ●事務局:東京都豊島区南大塚3-50-1 ●第一シェルター:東京都豊島区南大塚3-28-14 ●大塚シェルター:東京都豊島区南大塚3-50-1 ウィンドビル5F ●西国分寺シェルター: 東京都府中市武蔵台3-43-9 エクセレントTR 1F <事務局> 電話受付時間=年中無休 電話番号/ 03-5951-1668(携帯へ転送になります) ※電話番号が非通知の方は、非通知を解除の上おかけください。 (少人数でケアにあたっておりますので、代表番号・携帯番号共に出られないことがあります。 その場合はお手数ですがおかけ直しください) <お問い合わせメールサイトURL> https://212-chicappa-tokyocatguardian.ssl-chicappa.jp/inquiry/index.php <NPO法人東京キャットガーディアンホームページ> http://www.tokyocatguardian.org/index.html 以上です。 宜しくお願い致します。
今から10年位前、夫の両親同居中、義父が室内犬を飼い始めました。その時2歳の娘がいて、お腹に赤ちゃん。環境的に室内では動物を飼いたくはないけれど、主人は単身赴任で留守、私も嫌だと言えず、我慢しました。けれどストレスをすべて犬に向けてしまい、殺してしまいました。今更後悔しても遅いのですか、苦しくて仕方有りません。 現在は家族だけで賃貸を借りて生活していますが、安定剤を飲みながらなんとか生活しています。 私のした事ですから、苦しむのは当然ですが、やはり苦しく助けて欲しいと思いメールしております。
殺処分や、動物実験、その他諸々について心を痛めてます。 罪のない動物の恐怖や悲しみ、苦しみは、彼らにとっての進化の過程で、必要な意味や理由があるのでしょうか? とても感情移入をしてしまい、どうすれば傷つかず考えることが出来ますか?