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実験動物について

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自分は医療系を目指す大学生で先日、先輩の話を聴く機会がありました。先輩は研究室に入ったばかりで、最近は、毎日ラットをさばいて神経をとる練習だけをしていると言います。

もちろん自分の目指す道にはあからさまな殺生を行わない分野もありますが自分の志す分野ではどうしても必要になってきます。

自らの手で殺さねばならないということ、その覚悟はできていたはずなのですが、食べて自分が生きるためでもなく、練習のために自分の手で殺さねばならない、きっとその後も実験を通じて沢山の殺生を繰り返すことになる、ということが現実感を持って迫ってくるとどうしても胸が苦しくなります。

今はそのことから目を背ければいいのですが、そのうち逃げられなくなったときに自分が潰れてしまいそうで怖いです。

命と真正面から向き合えるようになりたいです。
そして、結局は自己満足の正当化に過ぎないのかもしれず、また、動物たちにも失礼ですが、自分の中で折り合いをつけたいです。
どう向き合うのが正しいのでしょうか。

先日、実習でヒヨコの胚を殺してDNAをとりました。自分の毛根で代用できる実験なので、先生の感覚が分からないと友人に話したところ変な顔をされました。
お坊さんにこんなことを相談するのも失礼かもしれませんが誰に相談すればいいのかも分からないので相談させていただきました。
お返事よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ご質問ありがとうございます。
あなたの感覚はとても大切な感覚だと思います。また医療だけではなく食べ物に対しても同じことが言えます。
どう折り合いをつけて生きていくのかは人それぞれだと思います。
人間が優先だからとその罪悪感を捨て去ったり、病で苦しむ人を救う為だから許してくれと罪悪感を背負いながら研究をつづけたり、毎年奪った命の供養をして懺悔と自身と医学の向上を誓ったり、地球全体を一つの生命と見て命を奪う自分の行いも生命活動の一つに過ぎないと考え罪悪感を低減したり、輪廻を信じて次は人間に生まれてきますようにと祈ったり、、、。
将来ラットを殺さなくていい方法が発案されたとしても、それはそれでそのラットが生まれてくることも無くなるだろうからそれはラットにとっては幸なのか不幸なのかということもあります。これは牛や鶏にも言えることですが。
あなたにはどのような解釈で折り合いをつけるのがいいのか、あるいは折り合いをつけずに罪悪感を背負って生きていくのか。
ただあなたのその感覚はいつまでも大切にして欲しいと思います。

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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。お言葉を反芻していたらお礼が遅くなってしまいました。

折り合いをつけるというのではなく、常にその事実としっかりと向き合っていたいと思う反面、何分、心の弱い人間ですのでそんなことをしていたら持たないという気持ちがありました。

そういう縁でしか生まれて来えなかったのだから、という考えは私にはどうしても自分より大きなものに自分の行いを押し付けていると思えてしまいますので、結局どんな形であれ、自分で背負うしかないのかなと思います。

聖章様に様々な道を示していただき、自分は、普段は罪悪感から逃げていても、定期的にその事実としっかりと向き合い、自分はその命たちに顔向けできるか、自分を恥じずに感謝できるか、自らに問うようにしようと思います。なかなか罪悪感を減ずるのも難しいでしょうが、それも自分の行いゆえのものですから、そのことも含めて、すれることなく自分なりに向き合っていけたらと思います。

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