生きる目的がわからない
片目がほぼ見えていない。私が幼い頃の健診で指摘され、病院には連れていったが親はそのうち治るだろうと何もしなかった。見えていないことがわかった時に正しいトレーニングを受けていれば視力は改善していたはずだが手遅れだと大人になって医者に言われた。
片目がほぼ見えないことが理由で色々なものが苦手だった。平衡感覚や遠近感が掴めないため、運動も細かい作業も下手だった。段差や奥行が掴めず転ぶことが多かった。唯一視力には関係のない学校の勉強だけは、努力さえすれば結果になるので好きだった。
中学時代、自分が唯一苦手ではない勉強を伸ばしたいと塾に行かせてくれと頼んだ。ようやく三年生になった時に周りのほとんどが塾に通うようになってから行かせてもらえた。塾の講師に行きたい高校は専用の対策をしていないと受からない、受験までの時間が無いので既に手遅れだと言われた。 親はそれを間に受けた。今からでも頑張って受かるだけの勉強をすると言っても無理だった。受験料と時間が無駄になるからと諦めさせられた。
行きたい高校には行けず、大学は行きたいところへと思っていた時に父が病気になった。父はいつ死ぬかわからないと言われていた。進学は家から通える所にと限定された。通える範囲内の自分の望む方面の専門学校は親の思い込みで行かせてもらえなかった。
なんとか妥協点を見つけた大学へ片道3時間をかけて通い、就職氷河期の中で就職活動を行うも過疎が進んでいる地元には求人がなく、遠距離通勤と過労で身体を壊した。
結婚は諦めた。相手の両親が私の目が見えないことで内心反対だと思っていることを知り、それを押し切ろうとは思わなかった。トレーニングで治るものならばなぜ治っていないのか、その疑問は当然だし答えられなかった。
今現在、両親と同居し在宅で仕事をしている。
私が何の楽しみも見い出せず辛いばかりでやりたくもない仕事に耐えている中、いつ死ぬかわからないと言われていた父は20年余りたった今もそれなりに元気にわがまま三昧に、母も老いたながらもそこそこ元気に、好き勝手な言動で在宅業務の邪魔を平然と行う。通話を伴う仕事なので音は立てないでほしいと言っているにも関わらず、大音量でテレビをつけ大声で話す。
老いた両親のその姿を見て、なぜ自分が辛い思いをしながら生きているのか、老いるために生きるのか、生きる目的はなんなのかがわからなくなった。
有り難し 37
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