生きている理由を見つけられません
先日愛犬を亡くしました。(仏教的な表現ではないこと重々承知しておりますがご容赦ください)
それ以来、なぜ生きているのか分からない毎日です。
職場の人間関係も特に悪くありませんが、仕事内容が楽しいわけでもなく苦痛で、家と職場の往復をするだけの毎日。
家に帰ってもあの子がいないと思い出すばかりです。
これは少し前からですが、今まで楽しいと思っていた趣味が全く楽しいと感じることが出来なくなりました。
このまま死んでしまってもいいけど、自分から命を絶つのは愛犬に合わせる顔がなくなるから嫌だなと思っていました。
早く自然な形で人生を終わらせられたらいいのにと考えてしまいます。
会社で受けた健康診断で再検査の項目があった時には思わず嬉しくなってしまいました。
とても不謹慎とは思いますが、病でこのまま死ねるのではないかと期待してしまっていたのです。
異常なしの通知が来た時、どこかがっかりしている自分に気がつき、どれだけ最低な奴なんだと嫌になるのと同時に死にたいと思っていることを実感しました。
こんな自分が嫌で堪りません。
ご助言をいただくのは大変申し訳なく思うのですが、
よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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愛犬からの立場で一言。
おにぎりさんのご心痛お察し申し上げます。
さて、今は、愛犬を亡くされ、人生で最悪な状況を送っているとのことですが、まずは、それでは愛犬は救われませんね。少し厳しい表現となりますから、スルーしても構いません。
でも、愛犬の立場になって言いますが、一緒に暮らせたこと愛情をたくさんくれたことに感謝しています。でも、いつかは必ず別れがくることも必然のことです。形あるものは必ず変化するということ、この真理は変わりません。でも、心の世界は変わることはない。とも言えます。
愛犬が教えてくれたことは沢山あったと思いますが、一番大切なこと、それは常に変化していること、いつまでも同じ状況ではないということです。
大切な愛犬が亡くなることで、おにぎりさんに生きる事の大切を教えてくれているのです。
たしかに、心に穴がぽっかり空いたようかもしれません。何もする気がしないかもしれません。では、それをいつまで続けるつもりですか?そんなことは愛犬は嬉しくもないし、自分のためにおにぎりさんの日々を潰したくありません。
時間がかかるかもしれませんが、おにぎりさんのおにぎりさんらしい日々を送って欲しいと思っています。それは愛犬はもちろんのこと、家族や周囲に人たちも同じです。
そのような意味で、愛犬の冥福をお祈りします。一緒暮らしたことに、ありがとうと感謝してください。