2022/07/11どうせなら、正しく死んで行きたい
10年以上通院している精神科の主治医は自分にとっての人生のメンターであり、白衣を来たその医師の中身はお坊さんのような方で個人的に大変な信頼と尊敬を寄せています。
わたしは今現在も社会から離れた日常で生活しています。日頃、散歩などしていると、はいキマシタ〜心のざわつき、ぼんやりした不安、視線恐怖、本来怒る必要のないイラつき、などなど。認知行動療法により、そんな感じたモノをメモ出来る範囲でメモしておき、クールダウン後日どうなったかデータを見返した結果、95%その不安事項は起きない&思い過ごし(妄想)でした。つまり、都度いちいち反応しない自分が確立されれば気楽な生き方が出来ます。でもコレが物凄く簡単では無い。簡単なのに簡単ではない。毎日積み重ね精進してますが。随分長いこと環境や親のせいにしてましたが、詰まる所こうなった因果は自分に原因があると理解しました。
◾️わたし自身の質問です。
どうにもこうにも相変わらず「自分を大きく見せたい」という慢の心が健在です。ザ煩悩。
でも、もうそろそろ自分を諦めよう(明らかにする)かな?このままだとなんの覚悟も出来ず、(心が)中途半端に死を迎える気がします。10年前に比べたら疾患は劇的に回復してます。結果1番効いたのは抗精神薬でもなく、閉鎖病棟への入院でもなく仏教の智慧(釈迦の教え)と信頼する主治医との会話の積み重ね、です。が、-1000が-100になったようなものです(未だマイナスという)。焦っては居ません寧ろどう考えても感謝事案。故に焦る。
人は(もれなく)いずれ死ぬにしても自分はコレの為に死ぬ(死ねる)のだ!という目標物が未だ目視できません。
◾️例えば、歩っているとゴミが落ちてます。自分はいったいいつになったら「心から」拾う事ができるのだろうか?と。多分、それが起点です。
これまで、ボランティア的な事に関心を寄せたり、デイケアに通ったり、精神に関わるあらゆるサービスは結果自分には合いません。もうお疲れお腹いっぱいです。
ちっぽけな分子以下の自分ごときが何、壮大なスケール語ってやがる、と。
我に返りつつ、己に怒りを覚える毎度このパターン。
結局、何も起きない(本来有り難き幸せ)日々目の前の事をやるしか無いのでしょうか?わたしの慢の塊がいつもこう語りかけます。山の頂上に立てたのにな、やらかしたなと。まだやれますか?ザ未練。

有り難し 5

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