生きてる意味が分かりません
32歳 独身 子供なし
生きてる意味が分かりません。
昔から結婚して家庭を持って子供を産むことが夢でした。
しかし、1年前に職場いじめに遭い精神を病んで退職しました。
精神的に不安定になって、その時お付き合いしていた人と別れました。
兄弟や親戚もおらず、心を許せる友人も居ません。
前の職場に対する恨みを毎日毎日考えて憂鬱になります。
どこにも居場所が無く、将来のことを考えると孤独と不安でいっぱいです。
何のために生きてるんだろうと虚しくなります。
前の職場のいじめがフラッシュバックして辛いです。
新しい出会いを探そうという気持ちにも全くなりません。
この先の人生何も無い気がします。
悲観的になって毎日のように泣いてしまいます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
死ぬこと以外は かすり傷であると。思うように
拝読させていただきました。
人間、どの時代 どの環境にこの世に生誕したからには誰もが苦を感じるものです。
またその逆でも楽を知るのは苦を知るからであり、仏教では四苦八苦が前提に生きる上において必ずしも発生すると説きます。
1、生苦
2、老苦
3、病苦
4、死苦
5、愛別離苦
6、怨憎会苦
7、求不得苦
8、五蘊盛苦
上記が生きる限り、誰にしもあります。それを逃れた人は豪富の者でも、全世界の権力をもつ者も、豊かな環境下にいる者もです。
しかし、その人が生きる上で「人生の根底には苦しみがある」と理解した上で生きていくことが自身を楽にさせていきます。
それはどの自身を楽にさせるのであろうか?
どの環境(国・家族構成など)、どの時代に生まれようとも人は一人では生きていけず、誰かしらと縁の繋がりで成立していきます。良いご縁もあれば、時の経過とともに悪縁にも変化するものです。ただ ここで言い切れるのは「雨がいつまでも続かないように必ず、晴れるときがくる」ということを信じてください。また、「曇り空の下は暗いですが、曇り空の上には青空しかありません。」このように少し例えで表しましたが、人の心も同じことです。心に蓄積されてしまっている過去の苦い思い出も、楽しかった思い出も自身の心の中という倉庫(蔵)を引き出してしまう性質をもつのが人間なのです。
しかし、整理整頓されていれば必要なときだけ必要な思い出を取り出せることができます。釈迦は「過去は追うな。未来を願うな。今を生きなさい。」と説きます。また、「他人のしたこと、他人のしなかったことを見るな。自分のしたことと、しなかったことだけを見よ。」とも説きます。これは他人と比較することによりすべての事象を比較する心が生じるといっているのです。
自身の年齢を見て、他人と比べると「同世代は結婚している。子どもがいる。幸せそうだ。」このような気持ちに人間の心は形成されていくのです。
世の中、明日を生きたくても臓器提供を待つまま、途絶えた命もありますが、生きる上で苦しみは当たり前なんだと思うこと。他人と比べないこと。世間体を見ないこと。
人生を通じて、人は誰も一番会話しているか知っていると思います。答えは「自分自身」です。
必ず晴れる日は訪れる。後ろ向きでは人は歩きにくいものです。前を向いて歩くしかない。生きる意味はずっとずっとその先です。
質問者からのお礼
ありがとうございました。