hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

生きる意味って難しい

回答数回答 2
有り難し有り難し 25

わたしはテレビ(特にニュース番組)を見ていると世の中に物凄く嫌気がさします。

ルールを守らない人が多すぎるためにコロナ禍が蔓延している現状、そんな人が入院しているためにルールを守って生活していた人が感染しても搬送先が見つからず亡くなったニュース、コロナ禍に対して大した施策も打ち出さない政府、金のことしか考えていない政治家等々、テレビを見ていると本当にうんざりします。

こんな世の中で生きていても、しんどいだけではないかと思います。この先受給できる年金は減っていく一方、消費税はいずれまた増税などと考えているとさらにこの先長く生きていても仕方がないと思ってしまいます。

今は、私を育ててくれた両親や家族を悲しませたくないがために毎日を生きています。しかし、生きたくても生きられなかった人がいること、私は恵まれた環境にいることなども考えるともっと一生懸命に生きたいとも思っています。

暗い世の中はすぐには変えられませんが、毎日を一生懸命に生きるためにできることや、考え方があれば教えていただきたいです。よろしくお願いします。

2021年9月5日 19:27

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

視点を変えましょう。

まい 様 相談ありがとうございます。

確かに、世の中の情報は、ネガティブになりそうな情報が多いですね。
うんざりします。でもそれはあなたのせいではないですし、あなたに責任はないですね。それにあなたは「一生懸命に生きたい」と願っているのですから、
視点を変えて物事を見てみましょう。
世間のネガティブ傾向の情報より、ポジティブ情報を毎日少しずつでも探してみる。
もしかしたら、嫌いな情報でも、良い点はないか
そしてあなた自身の中のポジティブは何か?
さらに
自分は将来どうなりたくて、何がしたくて、どんな感動を得たいのか
その感動を得た時、誰が傍に居て、その周りにどんな人がいて
どんな表情をしているのか、その風景も合わせて想像してみましょう。
なりたい自分に成ったと仮定して、感動を味わってみた時
その未来の自分に一歩でも近づけるとしたら、
今この瞬間、何ができるのか?

これぐらい沢山、イメージしたら、世間を憂いて嘆く回数が減るでしょう。

そして最後に
感謝のワークです。毎日5つ
箇条書きでいいので、感謝の言葉をつづりましょう。
例えば、朝起きれたら、ちゃんと起きれた自分にありがとう。
朝ごはんを普通に食べることが出来たら、ご飯にありがとう。
いつもより少し声を大きめに挨拶出来たら、ありがとう。
友達の笑顔にありがとう
家族が些細な事でもしてくれたら、ありがとう。
こんな、感謝を毎日5つ、メモしてみてください。
段々あなたの視点が、変わります。
感謝を通じて、心の温かさがより感じられるといいですね。
参考までに。
一礼

2021年9月5日 22:44
{{count}}
有り難し
おきもち

お寺の法務(法事などのご先祖の供養)と 唱題行・写経・法話・カウンセリン...
このお坊さんを応援する

心を陶冶する

まいさま

「生きる意味」は、それぞれに応じて色々とございます。これが正解、これが正しいというものはありません。

仏教的には、その人の認識、理解、意味、価値、理由などは、その人の心の状態に左右されるものとなります。

その心のありようをどう調えるのかが問われるところとなります。

誠に、この世は自分の思い通りには全くならないものです。

そんな思い通りにならない世界を相手にしても、しんどく苦しいことになります。

仏教では、そんなどうにもならないものを相手にするのではなく、どうにかなる方に目を向けて対処していくことを勧めるものとなります。

シャーンティデーヴァ大師は、その著書である「入菩薩行論」の中において下記のように述べられておられます。

入菩薩行論・第5章・13偈
ས་སྟེང་འདི་དག་ཀོས་གཡོགས་སུ། །དེ་སྙེད་ཀོ་བས་ག་ལ་ལང་། །ལྷམ་མཐིལ་ཙམ་གྱི་ཀོ་བས་ནི། །ས་སྟེང་ཐམས་ཅད་གཡོགས་དང་འདྲ། །

「この大地を皮で覆うとしたら、どうしてそのような皮が足りるだろうか。[しかし、]靴底のみに皮を貼れば、すべての大地が[皮で]覆われているのも同然だ。」

拙解説・・「この世の全てを自分の思い通りにすることなど、とてもできるものではないが、自分の心一つをしっかりと治めてあげることさえできれば、別にこの世の全てを自分の思い通りにできなくても、平穏無事に過ごせられるものとなる(この世の全てを自分の思い通りにできるのと同じ効果がある)のである。」

自分の心を陶冶することで、世界の捉え方、誰かに対する捉え方を変えることはでき、そして、それにより何事においても適切に対応することができるようになるということであります。

どの世界、どの立場であろうが、それを認識する自分の心の問題次第になってくるということです。

このことは唯識思想における過去世からの心(の阿頼耶識)に薫習された習気(薫りが染み付いたようにそのモノ・コトを捉える習性)が、モノ・コトを捉えているという複雑な構造について学ぶと、よく分かるようになります。

心を清らかにしていく仏の教えを実践して、心に靴を履かせて参りたいものであります。

仏教を学び修していって頂けましたら有り難くに存じます。

川口英俊 合掌

2021年9月7日 5:53
{{count}}
有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

お礼が遅くなって申し訳ございません。
心のこもった回答をありがとうございました。
日々感謝をして毎日を過ごしてみようと思います。また、唯識思想についてもっと知りたいと思ったので書籍などを読んでみようと思います。

「生きる意味」問答一覧

生きてる意味

いつもご回答ありがとうございます。今回も相談失礼致します。 今私が思っている事吐き出させてください 毎日毎日生きている心地がしません 昨日も今までの事やこれからの事を考えてしまい不安で頭がいっぱいになりました 小学校に転校したての時にいじめに遭い、多分その時点で私の心は死んでいたと思います。いじめって言ってもみんなが思ってるようないじめではありません。暴言を吐かれたりハブられたり無視されたり都合のいいように利用されたりそんなものです。 小学生のころの私は弱かったしいいなりになるしかありませんでした いじめてきた子に認められたかったし仲良くなりたかった、そしたら無視されることもなくなると思ったしみんなと同じように接してくれると思いました。今思えば本当に惨めです。 何年か経ち小学校3年生くらいの時新しいお友達が3人できました 親友と呼べるほどに仲良くなってお泊まり会やお出かけもしました ですが一人の子が○○ちゃんが一番好き、一番仲いい子、幼馴染だから、その発言を聞く度に私は、転校生なので幼馴染がいるわけもなくとても羨ましくて、なんだか利用されているだけなのかもと思っていました 当たり前に喧嘩はありました、大好きで仲良かった子にも散々暴言を吐かれ愚痴を言われ無視され、私も悪い部分があったとはいえ本当に辛かったです その他にも兄が同級生に絡まれ、たぶんあれはいじめられていたんだと思います。 それを見てどうしても腹が立ってしまいその中に割り込んで口出ししました いじめてる側の人達にはもちろんいじられ、兄は助けてくれると思ったのですがまさかの相手側についていました。 でも分かります、嫌われるのが怖いしまた虐められるのが怖い、私も同じなので分かります。ですが兄にまで裏切られた私には絶望と悲しみしかありませんでした それからも男子に体型をからかわれたり冗談で暴力をふるわれたり、私は元々肌が弱く虫に刺されやすくて、それに加え治りにくかったので肌が汚いです。なので水泳授業など苦痛でしかなかったしそれが原因でいじめられるのも怖かったです。 結局不登校になってしまった今でもこのトラウマは思い出してしまうし、フリースクールでも空気のような自分、みんなは可愛くて友達もいて輝いてる、誰でもいいから私を見つけてほしい認めて欲しい人が怖い、もう死んでしまいたい

有り難し有り難し 19
回答数回答 2

今の幸せを感じるには

大学卒業後、就職した職場でなかなか環境に慣れることができず適応障害になって退職し、そこからフルで働くことができなくなりました。 今は平日パートタイムで働いていて、なんとか4.5年続いていますが、人間関係や労働環境は最悪です。 給料が低いことと、この先また適応障害になって寝込んで動けない状態になるかもしれないという恐れから、今だに実家暮らしです。 また大学時代からずっと付き合っていた人と1.2年前に別れ、結婚や子供も諦めました。 この歳になっていまだに自立できていないこと、仕事のキャリアを積んでいけないこと、親に孫の顔を見せられないことなど現実に向き合えない自分が嫌です。何のために生きているか分からず、無意識に死にたいという言葉が口から出るようになりました。 自分も両親も健康で、大きな病気や怪我もなく、借金や人間関係など大変な問題を抱えてるわけでもありません。 明日食べるものに困るような状態でもなく、とても恵まれた状態であるにも関わらず、ずっと「もう人生を終えたい」と考えています。 死にたいというよりは、今ある面倒なことから逃げたいというのが本音かもしれません。 安心して過ごせる家があるというだけでとても幸せなことなのに、なかなかそれを実感することができません。 どうしたら今すでに身の回りに存在している幸せに気づいて、死にたいと考えてしまうことを減らしていけますでしょうか。

有り難し有り難し 8
回答数回答 2

生きてる意味ってなんなんでしょう?

最近人生ってなんなんだろう。苦しみしかないじゃん。と思ってしまいます こうなったら嫌だなと思う事ばかり実現して こうなりたいという事は何一つ実現しません わたしはずっと歌手を夢見て努力してきました でも、人から歌を褒められる事はほとんどなく 音程が大きく外れてるわけでもないけど 自分で聞いてもなんか納得いかない歌声 その声も最近全然出なくなってきてしまい、 「あぁ、わたしには才能がなかったんだな」と思ったりしています 他にやりたい事としてはプロレスがあります が、それもやっぱり怪我や痛みが怖いという思いがあったりして踏み出せないです でも、わたしも30半ばが近くなってきて このままではこのまま何もないままわたしの人生が終わってしまうという焦りに襲われています わたしのこれからやりたい事としては、性同一性障害(以下、GID)に生まれてしまったので その治療がしたいと思っています しかし、血液検査の結果、肝機能の数値が悪く、「このままだと治療を進めるための意見書を書くのは難しい(治療が受けられない)」と医師から言われました おそらくストレスによる過食から来る体重増加などが関わっていると思い 1か月前からダイエットを始めて7kg減量しました そして今週の血液検査の結果次第という事になりました しかし、まだまだデブだしダイエットは続行するつもりですが 「いつになったらわたしの望みが叶うのだろう・・・」という気持ちがずっと離れないです GIDの病院の待合室には10人くらい患者さんがいましたが みんなもうホルモン治療が始まっている人ばかりで 自分のなりたい性を叶えています それを見た時にわたしだけなれていない、という焦りや悲しみがわいてきて わたしは女性になりたいのですが 今では街中を彼氏と腕を組んで歩いている女性を見るだけで本当に辛い気持ちになります 親が性別を選んで産んだわけじゃない事はわかっているのですが、それでも親には望みを何一つとして叶えてもらえなかった(機能不全家族)せめて性別だけは女の子に産んでほしかった。という気持ちがどんどんわいてきています おとぎ話のように待っているだけじゃ王子様は現れず魔女にかけられた呪い(病気)も解けない事はわかっているし努力もしていくつもりですが何のために生きてるんだろう、みんな楽しそうでいいなという思いが拭えません

有り難し有り難し 12
回答数回答 1

行き着くところは皆同じ

ある時、生きる意味を教えてくれた人がいました。 生きることは愛である。と教えてもらいました。 その時から私も生きることは愛だと考えるようになりました。 話を聞いている中で疑問ができたので、恩師に質問をしました。 この世に生まれてきて、愛に触れて愛を学び、それが一番大切なものだと気づいたとして、そのあと行き着くのは何処ですか?と質問しました。 行き着くところは皆同じ、源だ。と教わりました。 たくさん宗教があるが最後行き着く場所は皆、源である。と教えて頂きまさした。 まだうまく理解はできていないのですが、 生命あるもの皆等しくいずれ天に還る。ということかと仮定しました。 そう考えた時に、死後この世界ではない別の世界があり、そこに源があるなら、本当の世界とは死後の世界ではないかと考えました。 天に還るという事は、元は私たちは天からやってきたのか?とふと思いました。 でもやっぱり死んでみないとわからないなぁ、に行きつきました。 恩師の言葉で印象に残っているのは、 この時代、この家族、この友達、この恋人、全部この人生だけの組み合わせである。楽しみ尽くさないと勿体無いよ。ということでした。 人によって考え方は違いますし、 今の生活を修行と言う人もいるし、地獄と言う人もいました。 皆に源って何?と聞いてみましたが、わからないと言っていました。 源とは何でしょうか。 よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

何のために生きるのか?

度々の質問失礼致します。 過去の質問でも記載した通り、小さなことではありますが自分の中で苦しいことが重なってしまい、生きる意味がよくわからなくなってしまいました。 これまで26年間、成功ばかりではありませんでしたが、与えられたものは淡々とこなし、人道に外れたことはせず、自分自身に恥じない生き方や選択をしてきたつもりです。 苦しい時期もありましたが、それも「いつかは終わる」と信じ、その時その時の楽しみ方を見出して生きてきました。 ですが、最近猛烈な虚無感に襲われます。 新年早々、大きな災害がありました。一生懸命生きていても、どれだけ頑張っても、無情にも失われる命があります。 努力して生きていても報われる保障はない。自分が誰かを愛しても傷つくことばかりだし、大事にしている人間関係もいつなくなるかわからない。お金だって貯めた方がいいという人もいれば若いうちは経験の為に使いなさいという人もいる。 何を信じればいいんでしょうか? 私にとってはここ何年かが全て決断の連続で、怖いけれど、と思いながらも、勇気を出して飛び込んできました。ですがその結果、何もない無力な自分や、不甲斐ない自分を思い知らされるだけです。 本当は他人のアドバイスはほどほどに、何もかも自分で決めて、自分で持った軸をぶらさずに生きていければ良いのでしょうが、私はもう私を信じられません。 悩んでばかりで何も具体的に考えられない、周りの友人たちのように当たり前の毎日を大切に生きることもできません。 26歳のくせにこんなにスカスカで、やりたいことも行きたい場所も、一緒にいたい人も、生きる目的もどこにも見当たらないんです。 仕事でこうしたい、結婚したい、子供がいるなど、自分を何か縛るものがあればきっと目の前のことに集中できるのでしょうが、私にはもう何もありません。 家族も好きなことをしなさいと言ってくれます。ありがたいです。でも誰かにこう生きろと決められた方が幸せなんじゃないかとすら思います。 漠然とした不安に襲われながら毎日淡々と生きてます。 生きるのってこんなに怖いことだったのかと、この年になって気付きました。 死ぬのは怖いです。でも同じくらい先の見えない、正解のない人生が怖いです。 楽になりたいです。先人たちは皆、こんな虚しさを経験したうえで生きてるんでしょうか。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ