満たされるとはどういうことですか?
私は私の大事なものに全てを賭け、そして賭けに負けました。
大事な夢を失いました。
ささやかな望みを叶える力を失いました。
大事な存在を失いました。
他人を尊敬する心を失いました。
忠告を受け入れる心の余裕を失いました。
魂を失いました。
大事なものを失い続けてきました。
読んだ本にこんな一文がありました。
「ある年齢を過ぎると、人生というのはいろんなものを失っていく連続的な過程に過ぎなくなってしまいます。あなたの人生にとって大事なものがひとつひとつ、櫛の歯が欠けるみたいに手から滑り落ちていきます。そしてその代わりに手に入るのは、とるに足らんまがいものばっかりになっていきます。肉体的な能力、希望や夢や理想、確信や意味、あるいは愛する人々、そんなものがひとつまたひとつ、一人また一人と、あなたのもとから消え去っていきます。別れを告げて立ち去ったり、あるいはある日ただふっと予告もなく消滅したりします。そしていったん失ってしまえば、あなたにはもう二度とそれらを取り戻すことができません。かわりのものをみつけることもままならない。」
きっとこれは真実なのでしょう。少なくとも私にとっては。私はこれからも失い続けるのでしょう。何かを得ることなく。
もう何もできることはひとつもない。
私は誰かと愛し合うこともできない。
美しいものに涙することもできない。
何かに情熱を傾けることもできない。
もう何も私を真の意味で満たすことはありません。ひびの入ったグラスに水を注ぐようなものです。いくら注いでも満たされない。
かつては私の周りをたくさんの輝かしいものが囲んでいました。たくさんの美しいものがそばにありました。彼らはどこに行ってしまったのでしょう?私はもう彼らの姿を見ることはできないのでしょうか?
阿弥陀様、私の望むことはただひとつです。
私の存在を完全に破壊してください。私をひびの入ったグラスではなく、意味の無いガラス片にしてください。
終わらない輪廻を千切ってください。
私にお慈悲と救済をお与えください。
私はきっと死をもってやっと救済される憐れな存在です。
私はもう満たされることはない。
有り難し 5
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