強く生きれる理由がほしい
親が不仲で親類付き合いも無く幼少時はネグレクト暴力家庭で育ちました。早く自立しようと16歳でバイトを始めた頃から両親の執着が始まり、学校へ送迎、交友関係も制限、バイトもやめさせられ、それでも働けばバイト先まで車で迎えに来る有様。心配してやっているとの口実でしたが、健全な発達段階にそぐわない甘やかしをし、それを断れば感謝がない何でもありがとうと言え、親から受取り親にだけ感謝しろ。と、人生の全てに口を出し娘が自分の言う通りにならないと不機嫌無視等の制裁がありました。次第に鬱になり時々は我慢ならず反抗するも何倍にも嫌がらせをされたりで疲れ果ててしまい親に合わせる事が親孝行と割り切るようになりました。20代半ば手術をきっかけに仕事もできなくなり持病も悪化し起き上がれず毎日寝て暮らしましたが、将来へ焦る自分とは逆に、親は娘の人生を案ずるより、お前は一人で生きてゆく事なんか出来ない、親にどれ程迷惑かけてるかわかるか、お前には親しかいないんだぞと暴言を吐いていました。旧友が心配して電話をくれればドアをガンガン叩き交友関係を妨害。時にこんな娘を持ってなんて不幸なんだと他の家の子と比べてきていました。外出も親の許可がないとできませんでした。30歳過ぎに行政に助けを求めましたが親が何度も断りました。その頃は食べれるだけで感謝しと言われ、お父さんありがとお母さんありがとうと、必ず言ってきました。当時は親に心から感謝もしていたと思います。しかし、どんどん生きる気力が無くなり身体疾患になり、また定期的に感情が爆発し精神科に何度も入院させられました。その後、外部の助けで一人暮らしができるようになったのですが。今40代になり独身子無し20ヶ所希望の仕事を落とされ社会的な信用もなく。婚活で良い方もいましたが結局は上手くいかず、家庭を持つ同世代をみると、複雑な気持ち、戻らない時間と今も上から言ってくる高齢の親、ぶつけどころの無い怒りがあります。
一人暮らしも長くなり毎年一人で年末年始、外出も一人で虚しい。過去を話せば返って偏見や危険な目にあったし、信頼できる友人も今はいません。人と話したく占いやカウンセラーにもお金を使ってしまいます。おばは自死しましたが自分は生きたいのですが、現実、金銭的ゆとりもなく賃貸でペットも飼えず、一人生きる希望を探していますが、見つかっていません。
有り難し 8
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