ひとに助けをもとめられない
くるしいことがあった時に、ひとにうまく相談することが苦手です。
もともと自分のことを話すのが苦手ではあるのですが、「こんなことがあって、大変なんだよね」とこぼすことができても、大体の人が「そうか、わかるよ〜そういえば自分もこういうことがあって大変でね」と自分の話を始め、それに私がうまく応えられず、浮かない顔をしていると、「あなたにそんな顔は似合わない、ずっと笑ってて!」と解決策?を示されることが大体のパターンです。
その人たちは自分の同じくらい辛い体験を披露することで慰めようとしてくれているんだと思います。違和感を覚えることが思い上がりなのだと思います。近しい人たちがほぼこういった対応なので、こういうものだ、彼らだって自分のことをひとに聞いてもらいたいのだろうし、と思っていました。
最近、このまま耐えられなくなったら最期のギリギリまで笑顔のままで首を吊るなと思ってうすら怖くなり、全ての交わりをふっつり絶って職を変えて一人になりました。
全く差し支えありませんでした。
ひとのつながりは要不要や損得じゃない。その通りだと思います。良い関係を築けなかった、私のありようが悪いのだと思います。鬱のようになり生活に問題が出てきてカウンセリングにも行ってみましたが、気を遣って明るく話してしまい「そうは言っても大丈夫そうですね」とのカウンセラーの言葉に「やっぱそうなんですかね〜」と冗談交じりに答えてしまい、でもやっぱり未だにゴミの日にゴミも捨てられず排水口は汚いまま税金の計算もできずにだらしのない日々です。
首を吊るよりはましな生活です。芸術や文学や自然を見ることは楽しく諦めきれないので生きていたいです。
明るく楽しく他人にとっていくばくかでも有益な存在でないと人間と親しくすることができないという強迫観念を捨てなければと思います。
もちろん私が今まで他人にとって有益であったと思うこと自体が思い上がりなのだと思います。ただ、実体験から、どうしてもそういう思い込みを捨てきれずにいます。
犯罪者まがいの父親の胸ぐらを掴んで説教し、泣きわめく母親の相手をし恋愛相談を聞き、祖母には正直孫より娘の方が可愛いのでこれからもよろしくと言われ、肉親がいるじゃないかというアドバイスもいまいち腑に落ちません。
私のようなものはどういった心の持ちようで人間と付き合っていけばよいでしょうか。
有り難し 5
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