hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
家から匿名・オンラインでお坊さんと話せる!hasunohaオンライン個別相談
そらノート 亡くなった人やペットに思いを伝えよう hasunoha姉妹サイト登場

虚しいと感じる気持ち、どう対処すればよいでしょうか?

回答数回答 4
有り難し有り難し 393

皆さまの問答を拝読し、いつもたくさん勉強をさせていただいております。
今回、自分の気持ちとの向き合い方をご指南いただけないかと思い、相談させていただきます。

私は、自分がとても充実した生活を送っていると思います。
やりたい仕事をさせてもらい、健康で家族にも恵まれ、何不自由なく過ごせていることに感謝をしています。
今以上のことを欲張って願ったりする気持ちはありませんし、自分がいまここに在ることを周囲の人たちにもご先祖さまにも感謝しています。

でも時折、本当に不意に、「虚しさ」が心の中に生まれます。
それまでなんの問題もなく歩んでいた足が突然動かなくなるようにして、心のなかに「空虚」が表れ、それに捕らわれてしまうことがあるのです。
そうなると、全てが後ろ向きに感じられ、自分の存在意義があるのか不安になり、立ち止まったまま途方に暮れてしまいます。
自分はどうして自分なのだろう。
どうしてここにいるのだろう。
なんのために生きているのだろう。
こういう疑問ばかりが、ぐるぐると頭の中を回ります。
なにもかもを投げ出してしまいたくなります。
終いには、それを考えることも放棄してしまいます。
そして、自分の中が空っぽになってしまったような、そういう恐怖を感じてしまうのです。

お坊さまの修行の中や、お釈迦様の教えの中に、そういう心と向き合うためのヒントはないでしょうか。
とても漠然とした質問で申し訳ないのですが、私もその原因不明の漠然とした虚しさに、何度も悩まされてまいりました。
虚しいと思う、空っぽになる心への対処方法、またそういう自分との付き合い方など、なにか参考になるようなことがありましたら、ぜひご教授くださいませ。
宜しくお願いいたします。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

世界は元々ノンフィルター

朝目が覚めて、目の前に映し出される現実世界を新鮮なフルーツにたとえます。
ちょっと手を伸ばせば、すぐそこに無添加・無農薬のフルーツがすでに完熟された最高においしい状態で食べられるにもかかわらず、わざわざ執事がお嬢様に食べさせる前に、たっぷりの消毒をして、ワックスを塗りたくって手元に出されたら、せっかくそのまま皮ごと食べられたはずなのに、添加物漬け、台無しになります。
このように、「これは自分にとって価値ある事 これは価値のないもの」「これは良いものわるいもの」と、良し悪しの隔てをもって取り扱うことは、非常に理知的ではあっても、実は観念・考えというフィルターをいったん通してからこの世の中を観ていることになるのです。
あなたはきっと頭がイイのだと思います。物事を理知的に観察し、考えでもって、価値の高低をつけて観たりすることは世間一般では賢いものの観方とされています。
しかしながら、自分の頭脳というフィルター越しにこの世を頂くことは、どうしても一回余分なことが介入されている、と知るべきです。

「アーナンダよ世界は美しい」
お釈迦様が、弟子のアナンダにこう語りかけました。
アナンダがもし悟りを得ていれば、本当にそのように感じていたはずです。
ところが、アナンダは理知的で、物事を自分の考え越しにみて、私見を交えてお釈迦様のお話を聴いていたのです。それが故に「どうして、こんな虚しい世界が美しいものだろうか」と、憂いが晴れませんでした。
英語でDIS・COVERを仏教的に申せば、その考えの覆いのカバーを、DISするから新しい世界の「発見」になる。考えの覆いを重ねる前の世界はちゃんとあります。
それが般若心経で説かれる所の真実不虚なる世界です。
まさか。自分が考え越しに世の中を観ている自覚はないかもしれませんが、一度坐禅をしてみてください。私の今回の回答が手に取るようにわかるはずです。
東京でしたら、恵比寿の福昌寺、中野の成願寺で井上貫道老師の坐禅会がございます。
坐禅は正しい師のもとで参禅しなければ虚しく過ごすだけです。
私の尊敬する素晴らしい禅師様です。
一度ご参加いただき、お話だけでも拝聴なさってください。

{{count}}
有り難し
おきもち

丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 📞08020659278 法話禅会 毎週日曜3時より...

“浮き世”に生きる我々です。

こんばんは。
そう…時としてそういう気持ちになるの、よく解ります。
この私も、全く同じ気持ちになるからです。
そこには理由などありません。
なんか、エアポケットにはまってしまったような、
そういう感覚です。
私はそれを一種の「無常感」なのだと思っています。

どうやらゆすらさんは、
そのことにすごく引っ掛かってられるみたいですね。
同じ思いの経験者として言えるのは、
立ち止まったあと、スルーしてしまえば良いということです。
また同じ感覚が再来するけど、それはそれでいいのです。
多分、貴女はすごく哲学的な人なのだと思います。

「自分はどこから来て何処へ行くのだろう」…これは、哲学的思考です。
でも宗教は、哲学とはちょっと似て非なるものがある。
というのは、哲学は結論が見えないけれど、
宗教は初めに結論ありきなのです。
その結論とは仏教では成仏ということなのですが、
もっと平たい言い方をしますと、救いに与れるということなのです。

大いに迷っても、ちゃんと収まっていく世界が用意されている、
それが宗教的救済なのだと思います。
何よりもここへご質問頂いていることが、
しっかり自問と向き合っておいでだと思いますよ。

空しさと虚しさ…これは我々が生きている世界をして、
“浮き世”と言われる所以なのであります。

私も貴女と同じ思いにしばしば苛まれる者の一人として、
自ら頂く仏教と対峙しております(^_^)。
だから意外に気楽になれたりするのだと思いますよ…。

{{count}}
有り難し
おきもち

モットー 「寺は心に溜まったゴミを捨てに来る所」。回答数は決して多くありま...

あなたは立派ですね。

 あなたは立派な人ですね。この質問に答えるのが面倒臭い。だって、あなたは答えを知っているから。
なーんでか?
①悩みの順序がお釈迦様や祖師方とほぼ一緒。
②虚しさから悟りが生まれる?これを諸行無常というのか?
③自分が空っぽ。これは無の境地ですな!
多分、「そんなことナイデスヨ。」と言われるかもしれませんが、偉人も凡人も特に変わったことを抱えているものではありません。同じような悩みを抱えて生きてきたのですよ。
 これでちょっとは安心しましたか。以上。もう、ほとんど他の僧侶に言われてしまいましたので、暫く虚しさが増しそうです。

{{count}}
有り難し
おきもち

ちょい悪坊主を目指しています。尊敬する人は一休さん。

「空と縁起」

ゆすら様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

この虚しいばかりの世界におきましては、誠に絶望と虚無が去来して押しつぶされそうになること、多々ではございます。

私も昔は、ゴールデンボンバーの歌ではございませんが、「虚しくて、虚しくて、つらいよ~」でございました。冗談はさておいて・・

お釈迦様は、釈迦国・釈迦族の王子にして富貴栄誉に恵まれた身の上でありながら、「四門出遊」によりて、この迷い苦しみのある世界を厭われて、逃れる方法を見つけるために出家の決意を固められました。その動機こそが、ゆすら様のご指摘である「虚しさ」も一つあったのではないかと存じております。

私たちは時になぜこのように「虚しく」なるのでしょうか?

これはふとした時、特につらく悲しいことがあった時などにおいて、誰もが一度は必ず思うことではないかと存じます。

なぜ「虚しく」なるのか?

それは、ズバリ、この世における真理を知らない、知り得ていないからでございます。

いわゆる、「無明」(根本的無知)なる闇路を彷徨っている(輪廻している)からでございます。

では、その「虚しくなる」原因である「無明」を対治するためにはどうすれば良いのか、その教えこそが、まさに「仏教」であるのでございます。

この世における真理なるありようを深く理解できて、しっかりと「無明」を対治していければ、きっとこの「虚しさ」は完全になくなるのではないかと存じております。

その一つの効果的な智慧としましては、「空と縁起」という仏教における存在の捉え方でございます。

これまでの拙回答を色々とお読み賜っておりましたら、度々に「空」だ、「縁起」だという言葉が出てきているかと存じますが、迷い苦しみを超えていく上でそれだけ非常に大切かつ重要な考え方であると拙生は存じているからでございます。

もちろん、拙生自身、まだまだ確かなる理解には至っていないであろう浅学菲才の未熟者ではございますが・・

とにかく、一つ、これから仏教を学ばれていかれるキーワードとして、「空」と「縁起」を頭の片隅に置いて頂けましたら幸いに存じております。

是非、共にこの「虚しさ」を超えていけるように頑張って参りましょう。

川口英俊 合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

質問者からのお礼

丁寧にお答えをくださいましてありがとうございます。
己の中でも漠然としすぎていて誰にも相談できず、胸の中に澱がたまる一方で苦しく思っていたことでした。
勇気を出して相談をし、それを受け止めてくださる方がいらっしゃるということに、本当に救われました。
皆さまに頂戴したご回答を繰り返し拝読し、不安でいっぱいだった気持ちがゆっくり静まっていきました。
出口のない混沌とした場所にいた自分を、俯瞰で観られるようになった気がします。
お恥ずかしながら、これまでの私はここに質問をするのも申し訳なく思うほど、熱心な信仰というものとは遠い人間でした。この日本に生まれ育ち、身近にあるはずの仏教も神道も、自分から距離をとっていたように思います。
ネット越しのはずなのに、お坊さまをこんなに身近に感じて、少し新しい自分になったような、そんな不思議な気がしています。
ネットのやりとりで心が救われる、という体験を致しました。
皆さまのご回答は、この先も何度も繰り返し拝読させていただきたいと思います。
ありがとうございました。

藤波 蓮凰さま
お答えをくださってありがとうございます。
私が感じていたのは、まさしく「無常感」だったのですね。
虚しさにとらわれているときの私は、ぽっかりと口を開けているブラックホールのふちに立っているような気分でした。何かのきっかけで背中をぽんと押されてしまったら、私はなんの抵抗もなくその中へ落ちていくのだろうという恐怖が、常に共にありました。
スルーしてよい、そして哲学と宗教は違う、というお言葉にはっとしました。
自分自身をもっと大きな視点から見てみなくては、と思いました。生まれてから死ぬまでのことだけでなく、それを離れたもっと大きな流れの中にいることも考えてみたくなりました。
そして「浮き世」という言葉に、非常に親近感を覚えました。
いま生きているのだから、悩んで当然なのですよね。
「解ります」と言ってくださったことで、本当にほっとしました。暗くなっていた心に、光明が見えたような気がします。
私の質問を見つけ、お答えをくださったことに感謝しております。ありがとうございました。

丹下 覚元さま
お答えをくださってありがとうございます。
お釈迦さまとアナンダとのお話に、どきりとしました。
常々、この世界は美しいのに残酷だと感じていました。生きていくということが、清濁入り乱れた水の中を手さぐりで泳いでいるような、そんなイメージでした。
自分が自分のフィルターになる。そんなことは考えてもみませんでした。
私はこれまで学問としての宗教に興味を持ったことはありましたが、このお答えを頂いて「信仰」というものがもっと身近で、実感を伴った存在になりました。
ご紹介いただいた恵比寿も中野も近いです。勇気を出して、一度お訪ねしてみたい。
こんな漠然とした悩みを拾い上げてくださって嬉しかったです。ありがとうございました。

川口 英俊さま
お答えをくださってありがとうございます。
どうして自分がこのような虚しい気持ちになるのか。それは考えてみたこともありませんでした。
そして、どうしたらこの虚しさがなくなるのだろうか、ということも考えたことがありませんでした。
目先の悩みにばかり捕らわれ、動けなくなっていたのだな、と教えていただいた気がします。
こんな漠然として手ごたえのない悩みは、きっと理解されないだろうと思っておりました。
日常生活に恵まれているのに、こんな悩みを抱えているなどとは現実世界ではどうしても言い出せませんでした。
空と縁起、これからきっと勉強させていただこうと思います。
そして、こうして虚しさを感じる私もそうでない時の自分も、同じ私であることを、もう一度いろんな角度から見られるように考え、虚しさから逃げる術を探すのではなく、向き合って学んでいきたいと思います。
質問を受け止め、そしてアドバイスをくださってありがとうございました。

大鐵さま
お答えをくださってありがとうございます。
恵まれた環境にいるのに、こんなことで悩む自分が情けなく、そして恐ろしくもありました。
ですが、私一人ではない、同じように悩みを抱えている方々がいらっしゃるとお聞きして、本当に心が軽くなりました。
答えをもう知っている、というお言葉には、どきりといたしました。
それは、いまは見つけていなくても、それ自体はすでに自分の中にあるということだと理解しましたが、間違ってはいませんでしょうか。
自分で自分の中から正解を見つけていかなくてはいけない、というアドバイスを頂いた心持ちでございます。
悩みの順番がお釈迦様と一緒、というお言葉に、私はこれまで以上に仏教やその教えに興味を持ちました。
背中をぽんと叩いて、励まされたような気持ちでございます。
面倒くさいとおっしゃりながら、心にやさしいお言葉で丁寧にご回答いただき、感謝いたします。ありがとうございました。

「虚無感・空虚・毎日が虚しい」問答一覧

毎日悲しく虚しいです

孤独な人生でした。今年で25歳です。 抜け出したいと思って、今日まで必死で生きていたのですが、最後に信じた恋人と別れた事で、この運命は変えられないとわかり、絶望してしまいました。 5歳の頃に両親が離婚し、父親に引き取られましたが、父親には離婚の原因となった再婚予定の女性がいたこともあり、育児放棄され、一人暮らしをしていました。当時は家に一人でいることが自分の当たり前だったので、寂しいと思う気持ちすらありませんでした。私は父親にずっと、世界で一番愛していると言われていましたので、それを信じていました。 私は、早々に家を出て、働きました。 仕事は充実していて、仲間にも恵まれました。 大人になり、父親に再会したときに、「寂しい思いさせてすまなかった」と謝られたとき、私は、ただ寂しい思いをさせられていたのだと、ようやく知りました。 家族と、家族として暮らしたことがありません。 私は小さい頃からずっと、1人で戸締りをし、1人で寝起きし、1人でご飯を食べて過ごしています。 いつかは、素敵な人と結ばれて、子供を産んで育てて、温かい家庭を築けるのだと、そう願っても良いんだと信じて来ました。 けど、失恋くらいで、大袈裟かもしれませんが、私はやっぱり1人で生きていくしかないのかなと思うと、この寂しさや虚しさが一生続くかもしれないのだと思うと、涙が止まりません。 恋人には、一人で生きていきたいと言われて振られてしまいました。 これまでお付き合いした方に、別れ際にまで一緒にいて欲しいなどと、食い下がるようなことはありませんでした。 ですが、別れを決めた彼の気持ちが分かった上で、あなたにだけは一緒にいて欲しい、私を選んで欲しい、どうか1人にしないでほしいと言ってしまいました。 結局、お別れを覆すことは出来ず、泣き腫らし、生きる気力もありません。 私は、孤独が恐ろしいです。 年齢を重ねる毎に強くなっている気がします。 いつかはこの手をとって、ずっとそばにいてくれる人に会える、その時まで生きようと決めていました。 けどもう、なんだか疲れてしまいました。 どの道孤独しか用意されていない人生なら、と、歩くことが出来なくなりました。 塞ぎ込む毎日です。生活費も遅かれ早かれ尽きてしまうのが分かっています。 寂しくてたまりません。 消えてしまいたいです。

有り難し有り難し 11
回答数回答 1

ただ無為に生きている

わたしは26歳女で会社員をしています。 恋人もおり、収入もそれなりにあり、身体に大きな問題もなく、生きています。 ですが、自分自身生きることにあまり意味を見いだせておらず、積極的に「生きたい」と思えません。 かといって積極的に死にたいわけではなく、「痛みを伴わずに死ねるなら死にたい」くらいの気持ちしかありません。 多くの人間が当たり前に願う「長生きしたい」「子孫を残したい」などに共感できず、ただ死ぬのは痛いから惰性で生きています。 かつては家族に対して不誠実な行いをした父親に対する怒りや、恵まれた環境に生きる人への反骨精神のようなもので精力持って生きていたのですが、いまはもう、父親とはほぼ縁を切りそこそこの学歴と職を得て、そういった負の原動力も消えました。 今生きているのは惰性です。 恋人のことも、抱きしめたときの温かさに心地よさや愛しさこそ感じますが、それが「だから長生きして一緒にいたい」とつながりません。 あたたかくて、いまこの瞬間の心地よさに包まれて目を閉じて眠り落ちて朽ちたい、そう思ってしまいます。 わたしはなぜ、こんなにも空っぽのまま生きているのでしょうか。どうしたら、活力が生まれ、生きることに向き合い丁寧になれるのでしょうか。

有り難し有り難し 7
回答数回答 1

人生の虚無感が拭い去れない

時々、人生の全てが虚しく感じて、猛烈な自殺衝動が訪れます。30分くらい経てば衝動は消えていって、憂鬱な気持ちだけが残ります。 そうなると、全てが嫌になってしまいます。昔からずっと馬鹿にされてきたこと。友だちがいないこと。ずっとスクールカースト最下層だったこと。不登校になったこと。精神の病気になったこと。通信制高校に転校したこと。体力不足であること。自分の性能が低すぎること。目を引くような美人でないこと。異性からも同性からも蔑ろにされること。自分に直さないといけないところがたくさんあること。今、大学でやらないといけないこと。将来、厳しい社会で働かないといけないこと…。 愚かだと思われるかもしれませんが、私は社会に出て働くくらいなら、死んでしまいたいと思ってしまいます。もちろん社会に出たら楽しいこともあるのではないかとは思いますが、私は人間関係を上手く構築できず、魅力がなく、馬鹿にされて生きてきたので、このまま毎日孤独で嫌な気持ちを抱えながら働くんだと思うと、消えてしまいたくなります。みんな、社会は学校より厳しいと言います。今より厳しいのが社会なら、どう生きていけば良いのか分かりません。 生きる意味はありません。朝起きると自分が生きていることを責めながら生きています。じゃあ、自殺しようかって思っても、中々実行できません。死なない理由を探してしまいます。「生きてたら何かいい事あるかも」とか、「ゲームのサービスが終了するまでは死にたくないな」とか。自殺は二度失敗してます。親を泣かせました。最初から生まれてなかったことにならないかなぁって思います。 マイナスの感情ばかり吐き出してしまって申し訳ありません。でも、私は弱く、近くの人間にこの苦しさを相談できません。涙が溢れて、泣いているうちにアレルギー反応のように体が痒くなって、ブツブツができて、息がしづらくなります。この世から拒絶されてるみたいで、苦しいです。 自分を救いたいです。生き方を教えていただけませんか?

有り難し有り難し 10
回答数回答 1

容姿だけ褒められて虚しい

容姿を褒められて虚しい 聞きたいことは、他人からの承認ではなく、自分で自分を受容するにはどうすれば良いかということです。以下、その考えに至った理由です。 表題の通り、容姿を褒められて虚しい毎日です。初対面の人には必ず「綺麗だね」「かわいいね」「色白で綺麗なお嬢さん」などと言われます。中学生から60代のおばさんまで男女問わずです。 人に見られる仕事(教育系)をしておりますが、遠くから「あ、あれが言ってたかわいい人?」「あの先生かわいいよな〜」など、ひそひそ話しているのを1日に何回も聞きます。男子生徒と話していると「先生かわいいからなんでも言うこと聞く」「年上の女って感じでかわいい」など直接言われることもあります。舐められていると思います。 既婚男性の間で「私さん、いいよね」「いやいや、お前やめとけよ〜(笑)」などと言っているのを聞いたことがあります。流されやすく、彼らのうちの何人かと不倫してしまったこともあります。そんな自分が嫌いです。断れない、心が弱い自分が嫌です。この点についてのお叱りもいただきたいです。 彼女がいるのに出会うたび「私さん、かわいいわ〜」「かわいいから許す」「私さんは俺の彼女〜(笑)」など何度も言ってくる上司もいます。最近、容姿を褒めてくる男性全員が敵に見えてきました、、 彼らは性欲や何かしらを満たしたいだけなのはわかりつつ、褒められて嬉しい自分がいます。しかし、他人からの承認を支えにしていてはいつまで経っても虚しいことも理解しています。これでは幸せに結婚して暮らしていくことは無理です。 しかし、どのようにして自分で自分を認める、受け入れれば良いのかがわかりません。どなたか、他者の評価に頼らず自分を律する方法を教えてください。もう限界です、よろしくお願いします。

有り難し有り難し 30
回答数回答 2

立ち上がる気力も動機も、もはやない。

朝の来ない夜はない。きっとそうなのだろう。そう信じてきた。 思春期の到来と同時に、心の裡にある虚無感と自殺願望に気付いた。 人は無意味に生まれ無価値に死ぬ。だが今死ぬのも怖い。生きるに足る何かを自身で見出さねばと決意してから20年が経った。 何度も膝が屈した。 不登校になり高校は辞めた。だが、何かを見出すためには外と接点を維持しなければと高認を受け大学へ行った。 就活に折れ何年も家にこもった。それでも社会に出て広がる視野もあるだろうと公務員になった。 虚無感も自殺願望も消えてくれなかった。 情熱は無く、熱意は無く、意欲は無かった。 心理学や哲学をかじった。アドラーとニーチェは劇物だった。 ある日唐突に恋人が出来た。歓喜した。無辺の海原を彷徨うが如き人生に、共にゆく同志が現れた! 彼女もまた人生に悩んでいた。陰鬱な話題も多かったが、共に解決していけると信じた。 別れを切り出されたのも唐突だった。 何を間違えたのだろうか。 仕方ない。それが彼女に必要な事ならば身を引こう。どうか幸福を掴め。私は応援したい。そう伝えた。 「応援とかいいから。とにかく別れて」 それが返答だった。 愛おしいのに憎い。「愛憎」の意味を知った。 人はこうも真っ直ぐに他人を呪えるものか。人はこうも醜くなれるものか。 親らしいことを何一つせず消えた父にも、いじめパワハラを繰り返されたかつての同級生や職場の上司にも、こんな憎しみは抱かなかった。 結局、罵詈雑言の応酬で15ヶ月の泡沫の夢は醒めた。 出会いがあれば別れがあるもの。でもきっと次の出会いが。恋愛は人を成長させる。 そうなのかもしれない。 痛みを知るからこそ人は優しくなれる。 仰るとおり。 癒やされるには傷が必要で、幸福を知るには不幸が必要で、善行を成すには悪行が必要だ。 出会いにはもれなく別れがついてくるし愛情と憎悪は表裏一体。 満たされるには、飢えていなければならない。 生きるために死に、死ぬために生きる。 もうたくさんだ。 得れば失う。そんなものは賽の河原だ。穴堀の拷問だ。 夜明けは無い。掴んだと思った幸福は手から零れていった。 海原だと思っていた人生は無間の闇だった。 20年足掻いてはみたが、いい加減幕を引きたいと思う。 朝の来ない夜はない。きっとそうなのだろう。それがただの夜であるならば。

有り難し有り難し 16
回答数回答 2

幸せなのに虚しいのは傲慢でしょうか

初めまして、道草と申します。今回初めて質問させていただきました、もし宜しければお手空きの際にご覧頂けますと幸いに存じます。 私は、今学校生活でも様々な機会に参加させていただきありがたい状況に置かれていると思います。 機会をいただき、チャレンジし、感謝される機会もありました。人の相談に乗り、感謝された時はとても満ち足りています。 成績が良くなったり、何か大会やコンクールで優秀な賞を取れた時はもちろん嬉しいです。 就活も、ご縁あって現在2社ほどに最終面接を受けさせていただき結果を待っています。第一志望の会社も決まりました。 もちろんうまくいかないことはあるにしろ、自分の努力が認められるのはとても嬉しいことです。家族とも、お互いに良好だと感じています。 ですが、たまに、賞をもらったり自分が努力する、今までのことが虚しくなる時があります。 ふ、とその瞬間になった時、「自分は幸せなはずなのに、こんなことを思うなんて傲慢なんじゃないだろうか」と思ってしまいます。自分がこんなふうに思ってしまうだなんて。 それなら、もっと努力している人がこの成果を得る方が公平ではないかと。自分よりももっと努力して夢に進んでいる人はたくさんいるはずだ、だからその人がもっと報われた方がいいのではないかと。 勿論今書いているこの文章そのものが、傲慢で、上から目線だと自負しております。 もし宜しければ、このような虚しい気持ちに襲われた時、どのように現在の状況を受け入れ満足していくか、その方法がございましたらご教授ください。また、傲慢さを抑え謙虚に生きる方法もありましたら、お教えくださると幸いです。 長文になってしまい申し訳ございません。 私の立場から申せたことではございませんが、気温が急激に変わる時期も続いております。何卒お坊様方もお身体大切になさってください。 失礼いたしました。

有り難し有り難し 10
回答数回答 2

情熱も冷めて怒り、虚無感、後悔

幼少からとある分野の技術を学んでおりました。将来それを使い独立したいと考え、20代で大きな団体で師が常時5、6人いる所に所属し直し、6年間学んだのち、半独立しました。 半独立というのは、その団体に所属し、定期的に講義を受けたり、費用を払い続けないとその資格者を名乗れない為です。 関わりを断つと資格も記録もなくなり今までの積み重ねがなかったことになります。 その団体の師の一人が私に特別当たりが強く、大勢の前でプライベートなことを質問したり、叱責したり、やたら高額のものを買うよう勧めてきたり、努力も結果を認められなかったりという事が続き、その分野で長年やってきても報われない悔しい思いも今まで蓄積していた為、虚無感が募り道具を見るだけで怒りと悲しみで耐えきれなくなるまでになり、心が限界になりました。 その師がいなくなるまで1度離れようと決め、2年間、費用だけ払い所属しつつも極力思い出さないよう過ごしていました。 半独立したはずでしたが収入にはできず、今は別の仕事をしています。 心の中で怒りと執着がずっとあり、辛いです。 心理学を学んだり、時間が解決するからと自分に言い聞かせたりしても、その分野で活躍している人を見聞きすると、心の中の地雷が爆発するような、怒りと嫉妬と、悲しみがごちゃ混ぜになった感情が度々おこります。 頻繁に感じる気持ちは、認められたくてあんなに努力したのに報われないという怒り、自信が全くなくなり好きだったものが避けたいくらいに嫌いになったという悲しみ、応援してくれた期待してくれた人に申し訳ない気持ち、理想通りにいかずダメになってしまったという後悔です。 気分が落ち込んでいる時、 こんなしょうもない人生を送ってしまったとぐずぐず考えてしまいます。 冷静な時は、そんなことくらいで馬鹿げてると思い直せるのですが、執着と後悔が消えません。どのように考えたら、前に進めるでしょうか。 その団体をやめて、もう一切かかわらないようにしようと思いつつ、ふん切りがつきません。自分の気持ちがなんとかなり、またやりたいという気持ちが強くなって復帰できる未来を望んでもいます。でもそう思い続けるのはただの執着かもしれません。 何か、その状況から脱するヒントをご教授いただけますと幸いです。

有り難し有り難し 13
回答数回答 1

関連する問答

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る