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虚しいと感じる気持ち、どう対処すればよいでしょうか?

回答数回答 4
有り難し有り難し 386

皆さまの問答を拝読し、いつもたくさん勉強をさせていただいております。
今回、自分の気持ちとの向き合い方をご指南いただけないかと思い、相談させていただきます。

私は、自分がとても充実した生活を送っていると思います。
やりたい仕事をさせてもらい、健康で家族にも恵まれ、何不自由なく過ごせていることに感謝をしています。
今以上のことを欲張って願ったりする気持ちはありませんし、自分がいまここに在ることを周囲の人たちにもご先祖さまにも感謝しています。

でも時折、本当に不意に、「虚しさ」が心の中に生まれます。
それまでなんの問題もなく歩んでいた足が突然動かなくなるようにして、心のなかに「空虚」が表れ、それに捕らわれてしまうことがあるのです。
そうなると、全てが後ろ向きに感じられ、自分の存在意義があるのか不安になり、立ち止まったまま途方に暮れてしまいます。
自分はどうして自分なのだろう。
どうしてここにいるのだろう。
なんのために生きているのだろう。
こういう疑問ばかりが、ぐるぐると頭の中を回ります。
なにもかもを投げ出してしまいたくなります。
終いには、それを考えることも放棄してしまいます。
そして、自分の中が空っぽになってしまったような、そういう恐怖を感じてしまうのです。

お坊さまの修行の中や、お釈迦様の教えの中に、そういう心と向き合うためのヒントはないでしょうか。
とても漠然とした質問で申し訳ないのですが、私もその原因不明の漠然とした虚しさに、何度も悩まされてまいりました。
虚しいと思う、空っぽになる心への対処方法、またそういう自分との付き合い方など、なにか参考になるようなことがありましたら、ぜひご教授くださいませ。
宜しくお願いいたします。

2013年12月21日 1:19

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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

世界は元々ノンフィルター

朝目が覚めて、目の前に映し出される現実世界を新鮮なフルーツにたとえます。
ちょっと手を伸ばせば、すぐそこに無添加・無農薬のフルーツがすでに完熟された最高においしい状態で食べられるにもかかわらず、わざわざ執事がお嬢様に食べさせる前に、たっぷりの消毒をして、ワックスを塗りたくって手元に出されたら、せっかくそのまま皮ごと食べられたはずなのに、添加物漬け、台無しになります。
このように、「これは自分にとって価値ある事 これは価値のないもの」「これは良いものわるいもの」と、良し悪しの隔てをもって取り扱うことは、非常に理知的ではあっても、実は観念・考えというフィルターをいったん通してからこの世の中を観ていることになるのです。
あなたはきっと頭がイイのだと思います。物事を理知的に観察し、考えでもって、価値の高低をつけて観たりすることは世間一般では賢いものの観方とされています。
しかしながら、自分の頭脳というフィルター越しにこの世を頂くことは、どうしても一回余分なことが介入されている、と知るべきです。

「アーナンダよ世界は美しい」
お釈迦様が、弟子のアナンダにこう語りかけました。
アナンダがもし悟りを得ていれば、本当にそのように感じていたはずです。
ところが、アナンダは理知的で、物事を自分の考え越しにみて、私見を交えてお釈迦様のお話を聴いていたのです。それが故に「どうして、こんな虚しい世界が美しいものだろうか」と、憂いが晴れませんでした。
英語でDIS・COVERを仏教的に申せば、その考えの覆いのカバーを、DISするから新しい世界の「発見」になる。考えの覆いを重ねる前の世界はちゃんとあります。
それが般若心経で説かれる所の真実不虚なる世界です。
まさか。自分が考え越しに世の中を観ている自覚はないかもしれませんが、一度坐禅をしてみてください。私の今回の回答が手に取るようにわかるはずです。
東京でしたら、恵比寿の福昌寺、中野の成願寺で井上貫道老師の坐禅会がございます。
坐禅は正しい師のもとで参禅しなければ虚しく過ごすだけです。
私の尊敬する素晴らしい禅師様です。
一度ご参加いただき、お話だけでも拝聴なさってください。

2013年12月21日 8:48
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有り難し
おきもち

丹下覚元(たんげかくげん)
お悩み相談 ❝あなたの悩みという荷物をおろしてみませんか?❞ 「お寺で...

“浮き世”に生きる我々です。

こんばんは。
そう…時としてそういう気持ちになるの、よく解ります。
この私も、全く同じ気持ちになるからです。
そこには理由などありません。
なんか、エアポケットにはまってしまったような、
そういう感覚です。
私はそれを一種の「無常感」なのだと思っています。

どうやらゆすらさんは、
そのことにすごく引っ掛かってられるみたいですね。
同じ思いの経験者として言えるのは、
立ち止まったあと、スルーしてしまえば良いということです。
また同じ感覚が再来するけど、それはそれでいいのです。
多分、貴女はすごく哲学的な人なのだと思います。

「自分はどこから来て何処へ行くのだろう」…これは、哲学的思考です。
でも宗教は、哲学とはちょっと似て非なるものがある。
というのは、哲学は結論が見えないけれど、
宗教は初めに結論ありきなのです。
その結論とは仏教では成仏ということなのですが、
もっと平たい言い方をしますと、救いに与れるということなのです。

大いに迷っても、ちゃんと収まっていく世界が用意されている、
それが宗教的救済なのだと思います。
何よりもここへご質問頂いていることが、
しっかり自問と向き合っておいでだと思いますよ。

空しさと虚しさ…これは我々が生きている世界をして、
“浮き世”と言われる所以なのであります。

私も貴女と同じ思いにしばしば苛まれる者の一人として、
自ら頂く仏教と対峙しております(^_^)。
だから意外に気楽になれたりするのだと思いますよ…。

2013年12月21日 3:52
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有り難し
おきもち

モットー 「寺は心に溜まったゴミを捨てに来る所」。回答数は決して多くありま...

あなたは立派ですね。

 あなたは立派な人ですね。この質問に答えるのが面倒臭い。だって、あなたは答えを知っているから。
なーんでか?
①悩みの順序がお釈迦様や祖師方とほぼ一緒。
②虚しさから悟りが生まれる?これを諸行無常というのか?
③自分が空っぽ。これは無の境地ですな!
多分、「そんなことナイデスヨ。」と言われるかもしれませんが、偉人も凡人も特に変わったことを抱えているものではありません。同じような悩みを抱えて生きてきたのですよ。
 これでちょっとは安心しましたか。以上。もう、ほとんど他の僧侶に言われてしまいましたので、暫く虚しさが増しそうです。

2013年12月21日 11:37
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有り難し
おきもち

ちょい悪坊主を目指しています。尊敬する人は一休さん。

「空と縁起」

ゆすら様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

この虚しいばかりの世界におきましては、誠に絶望と虚無が去来して押しつぶされそうになること、多々ではございます。

私も昔は、ゴールデンボンバーの歌ではございませんが、「虚しくて、虚しくて、つらいよ~」でございました。冗談はさておいて・・

お釈迦様は、釈迦国・釈迦族の王子にして富貴栄誉に恵まれた身の上でありながら、「四門出遊」によりて、この迷い苦しみのある世界を厭われて、逃れる方法を見つけるために出家の決意を固められました。その動機こそが、ゆすら様のご指摘である「虚しさ」も一つあったのではないかと存じております。

私たちは時になぜこのように「虚しく」なるのでしょうか?

これはふとした時、特につらく悲しいことがあった時などにおいて、誰もが一度は必ず思うことではないかと存じます。

なぜ「虚しく」なるのか?

それは、ズバリ、この世における真理を知らない、知り得ていないからでございます。

いわゆる、「無明」(根本的無知)なる闇路を彷徨っている(輪廻している)からでございます。

では、その「虚しくなる」原因である「無明」を対治するためにはどうすれば良いのか、その教えこそが、まさに「仏教」であるのでございます。

この世における真理なるありようを深く理解できて、しっかりと「無明」を対治していければ、きっとこの「虚しさ」は完全になくなるのではないかと存じております。

その一つの効果的な智慧としましては、「空と縁起」という仏教における存在の捉え方でございます。

これまでの拙回答を色々とお読み賜っておりましたら、度々に「空」だ、「縁起」だという言葉が出てきているかと存じますが、迷い苦しみを超えていく上でそれだけ非常に大切かつ重要な考え方であると拙生は存じているからでございます。

もちろん、拙生自身、まだまだ確かなる理解には至っていないであろう浅学菲才の未熟者ではございますが・・

とにかく、一つ、これから仏教を学ばれていかれるキーワードとして、「空」と「縁起」を頭の片隅に置いて頂けましたら幸いに存じております。

是非、共にこの「虚しさ」を超えていけるように頑張って参りましょう。

川口英俊 合掌

2013年12月21日 10:19
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有り難し
おきもち

川口 英俊
「僧侶は、悩む人に正しいくすりを調剤できる薬剤師であれ」 http:...

質問者からのお礼

丁寧にお答えをくださいましてありがとうございます。
己の中でも漠然としすぎていて誰にも相談できず、胸の中に澱がたまる一方で苦しく思っていたことでした。
勇気を出して相談をし、それを受け止めてくださる方がいらっしゃるということに、本当に救われました。
皆さまに頂戴したご回答を繰り返し拝読し、不安でいっぱいだった気持ちがゆっくり静まっていきました。
出口のない混沌とした場所にいた自分を、俯瞰で観られるようになった気がします。
お恥ずかしながら、これまでの私はここに質問をするのも申し訳なく思うほど、熱心な信仰というものとは遠い人間でした。この日本に生まれ育ち、身近にあるはずの仏教も神道も、自分から距離をとっていたように思います。
ネット越しのはずなのに、お坊さまをこんなに身近に感じて、少し新しい自分になったような、そんな不思議な気がしています。
ネットのやりとりで心が救われる、という体験を致しました。
皆さまのご回答は、この先も何度も繰り返し拝読させていただきたいと思います。
ありがとうございました。

藤波 蓮凰さま
お答えをくださってありがとうございます。
私が感じていたのは、まさしく「無常感」だったのですね。
虚しさにとらわれているときの私は、ぽっかりと口を開けているブラックホールのふちに立っているような気分でした。何かのきっかけで背中をぽんと押されてしまったら、私はなんの抵抗もなくその中へ落ちていくのだろうという恐怖が、常に共にありました。
スルーしてよい、そして哲学と宗教は違う、というお言葉にはっとしました。
自分自身をもっと大きな視点から見てみなくては、と思いました。生まれてから死ぬまでのことだけでなく、それを離れたもっと大きな流れの中にいることも考えてみたくなりました。
そして「浮き世」という言葉に、非常に親近感を覚えました。
いま生きているのだから、悩んで当然なのですよね。
「解ります」と言ってくださったことで、本当にほっとしました。暗くなっていた心に、光明が見えたような気がします。
私の質問を見つけ、お答えをくださったことに感謝しております。ありがとうございました。

丹下 覚元さま
お答えをくださってありがとうございます。
お釈迦さまとアナンダとのお話に、どきりとしました。
常々、この世界は美しいのに残酷だと感じていました。生きていくということが、清濁入り乱れた水の中を手さぐりで泳いでいるような、そんなイメージでした。
自分が自分のフィルターになる。そんなことは考えてもみませんでした。
私はこれまで学問としての宗教に興味を持ったことはありましたが、このお答えを頂いて「信仰」というものがもっと身近で、実感を伴った存在になりました。
ご紹介いただいた恵比寿も中野も近いです。勇気を出して、一度お訪ねしてみたい。
こんな漠然とした悩みを拾い上げてくださって嬉しかったです。ありがとうございました。

川口 英俊さま
お答えをくださってありがとうございます。
どうして自分がこのような虚しい気持ちになるのか。それは考えてみたこともありませんでした。
そして、どうしたらこの虚しさがなくなるのだろうか、ということも考えたことがありませんでした。
目先の悩みにばかり捕らわれ、動けなくなっていたのだな、と教えていただいた気がします。
こんな漠然として手ごたえのない悩みは、きっと理解されないだろうと思っておりました。
日常生活に恵まれているのに、こんな悩みを抱えているなどとは現実世界ではどうしても言い出せませんでした。
空と縁起、これからきっと勉強させていただこうと思います。
そして、こうして虚しさを感じる私もそうでない時の自分も、同じ私であることを、もう一度いろんな角度から見られるように考え、虚しさから逃げる術を探すのではなく、向き合って学んでいきたいと思います。
質問を受け止め、そしてアドバイスをくださってありがとうございました。

大鐵さま
お答えをくださってありがとうございます。
恵まれた環境にいるのに、こんなことで悩む自分が情けなく、そして恐ろしくもありました。
ですが、私一人ではない、同じように悩みを抱えている方々がいらっしゃるとお聞きして、本当に心が軽くなりました。
答えをもう知っている、というお言葉には、どきりといたしました。
それは、いまは見つけていなくても、それ自体はすでに自分の中にあるということだと理解しましたが、間違ってはいませんでしょうか。
自分で自分の中から正解を見つけていかなくてはいけない、というアドバイスを頂いた心持ちでございます。
悩みの順番がお釈迦様と一緒、というお言葉に、私はこれまで以上に仏教やその教えに興味を持ちました。
背中をぽんと叩いて、励まされたような気持ちでございます。
面倒くさいとおっしゃりながら、心にやさしいお言葉で丁寧にご回答いただき、感謝いたします。ありがとうございました。

「虚無感・空虚・毎日が虚しい」問答一覧

ぼんやりとした虚無感

よろしくお願いします。 わたしは時々、ぼんやりと時には強い虚無感に襲われます。日々、目の前のことに必死になっていてふと頭が暇になった時に感じるような気がします。仕事での人間関係、家族の不仲、居心地の悪さ、結婚したくても縁がない。など、頭を悩ますことはたくさんあります。それがふと、全てどうでもよくなってフッと消えて無くなりたい、存在を終えてしまいたいと思うことが多いです。喜怒哀楽もなくただただどうでもよくなります。わたしはこの先、仕事でストレスを抱えながら年老いた両親を亡くし兄弟と揉め、自分は1人病気で逝く未来しか見えません。話を聞いてくれる友達はいます。一緒に買い物したり楽しいです。が、帰るとぼんやりとした虚無感。自分は本当に存在する?とも思います。比べようがないですが、衣食住がありどん底でもない生活なのに、何を言ってるんだろうとも思います。ぼんやりと生きていくことは出来るかもしれませんが、たまにくる強い虚無感に耐えられません。 毎日起こる小さな幸せに感謝しながら生きる。とよく見ますがなかなか難しいです。心から笑いたいし心から楽しみたい。顔は笑っていても心は無表情な現状が辛いです。 読んでくださりありがとうございました。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

虚しくなります

現在大学二年生です。 入学当初は「頑張って勉強していい会社に入りたい!」と意気込んでいましたが、 元々胃腸が弱く体調を度々崩し、そして人間関係でも悩むようになり、つらくて授業にもあまり出なくなってしまいました。 幸い、最近は体調の面も解放に向かっており、授業にもほぼすべて出ています。 しかし、もう2年生も終わり。来年には就活が始まります。 他の人と比べると学んだことの差は大きく、焦燥感と劣等感でいっぱいです。 目標があって大学に来たのに、最早その目標も諦めで自分の中で薄れてしまいました。 親にはたくさんお金を払って貰っているのに、今まで私何してきたんだろうと、情けなさで消えたくなります。 少し話が変わりますが、私には最終目標のようなものがあります。 ターシャ・テューダーさんという外国の絵本作家さんがいらっしゃったのですが、その方のように自給自足で自然の中で暮らしたいというものです。 実家は農家を営んでおり、幼少期から大自然の中で育ちました。 なので、大人になってお金がたまったらこんな生活がしたいと思っていたのです。 しかし、現実ではそんな夢物語を実現するのは難しいと悟りました。 ターシャ・テューダーさんも、きちんとした収入があり幅広い人間関係を持っていたからこそ、あのようなライフスタイルを築き上げられたのだと思います。 しかし、私は人間関係も何もかも上手くいかなくて、将来に希望を見いだせず、灰色の街でギリギリの生活をしながら独り身で死んでしまうんだろうな、と泣きたくなります。 理想と現実のギャップで虚しくなります。 それでもなお夢物語を思い描いてしまう自分が悲しいです。 なんの為に生きているのか分からなくなってしまいました。もうどうすれば良いのか分かりません。 どうすればこの気持ちから抜け出せるのでしょうか。 もう夢は諦めるべきなのでしょうか。 長々と乱雑な文章を読んで下さりありがとうございました。

有り難し有り難し 11
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虚無感と焦燥感の毎日です。

兄弟も友人も結婚して家族を持っています。私も結婚したい気持ちはあり、婚活もしましたが、そもそも極度の人見知りで、初対面の人と話すのがストレスでたまらず、上手く話せません。当然結果も伴わないません。それでも、何度か行けばと自分を奮い立たせチャレンジしましだが、やはりうまくいかず。 結婚できずとも、人間関係が充実してればいいのですが、友人自体も少なく、私から連絡しない限り連絡が来ない人ばかりです。もう自分なんて誰にも必要とされないんだと、自暴自棄。 婚活に疲れ、結婚しなくても楽しく過ごせればいいやと思い直そうともしましたが、外で楽しそうな恋人達、家族連れを目にすると心が痛くなります。 数少ない友人の幸せの報告も、心の底から喜べない自分もいたりして、心底嫌になります。 30代半ば、結婚するにしても子供を産める年的にもギリギリな年代。毎日焦燥感に襲われます。 そして将来、一人でひっそりと死んでいくのかと思うと今すぐ消えて無くなりたいときがあります。そもそも生まれて来なきゃよかったのにと思ってしまいます。そんな事、母が悲しむので絶対に言えないし、こんな暗くて心の貧しい悩みなので誰にも言えずつらいです。

有り難し有り難し 16
回答数回答 1

怖い。空虚でだるい。

私は大学生です。最近、今の自分のことや将来のことですごくしんどいです。 人として成長したいと思いボランティア活動をしようと思ったのですが、いざ参加するボランティアをさがしていると「迷惑かけたらどうしよう」「失敗したらどうしよう」「人と関わるのが怖い」などと考えてしまい、結局できませんでした。ほんとにボランティアがしたいのかわからなくなってきました。 それと、コンビニでバイトをしていて、夏休みなのでできるだけたくさん入ることになるのですが、正直バイトに行きたくないです。怖いです。私はあまり仕事ができなくて周りの人に迷惑かけているし、やることがたくさんあるはずなのに、何をすればいいのか見つけることができなくてボーッとしてしまって、先輩方をイライラさせてしまいます。 新人だからとも言えるかもしれませんが、私よりも数ヶ月あとに入った、年齢も年下の後輩は私よりはるかに仕事ができて、コミュニケーション能力もあります。その後輩の存在で自分の無能さを改めて感じてしまって、自分が頼りなくって嫌になります。 いっそのこと、何もやらなければ楽なのですが、それはそれで自分の存在意義がわからなくなってしんどいです。いじめられたとか、そんな辛い出来事があったわけじゃないのに、時々死にたくなります。何も考えずずっと寝ていたいです。 大学でも、周りの人は明るくてよく喋れて、いろんなことができて優しい方ばかりなのですが、対して私は友達以外に対しては上手く喋れなくなるし、そもそも人付き合いが苦手で交友が広くないし、これと言って人の役に立つようなことはできないし、可愛くないし、周りの人のような人や社会の役に立ちたいという心は持っていません。 教育大学に通っているのですが、そのような私は教師に向いていないし、かといって他に夢があるかといえば何もありません。趣味はありますがそれを仕事にとは考えられません。 だから将来に対してあまり希望がないし、目指すゴールがないので今自分が何をすればいいのかも分からなくて空虚です。夢を探すためにいろんなことをやろうと思っても、上記のボランティアのように怖くてできなかったり、経済的環境的に難しかったりします。 あまりまとまっていない文章になってすみません。 自分でもよく分からなくて上手く整理できません。ただただ虚しくて辛いです。しんどいです。助けてください。

有り難し有り難し 19
回答数回答 2

生きていてもむなしい

生きていても全然楽しいことがないような気がします。 子どもも生まれて、これからの生活を考えると貯金もしないといけない。生活にすぐに困るわけではありませんが裕福では決してありません。子どもはもう一人ほしい気持ちもあるのですが、夫の年齢が高いこともあり、教育費や老後のことを考えると不安もあります。 自分の楽しみのためにお金を使うことに常に罪悪感があり、何をしても楽しめません。 若いときは遊びに行ったり旅行に行ったり、ほしいものもたくさんあったりして、もっと楽しいことがあったような気がします。 学生時代の友達や同世代の親戚は皆、いい会社に入って経済的にも余裕があり、私もそういう道に進めばよかった、と思ってしまいます。 そうでなければ収入の高い人と結婚すればよかった、どうして結婚するときにそういう風に考えなかったんだろう、とどんどん後悔してしまいます。 経済的なことだけではなく、どんなことでも楽しめない、後悔することばかりです。 振り返るとこの10年ほど、就職した会社についてもあとから後悔、付き合っていた人と別れたときもしばらくしてから後悔しつづけ、自分の選択のすべてに後悔しています。それも私がうまくできないからなんだな、と思って苦しいです。 実家の両親とは不仲ではないものの、なんでも話せる仲ではありません。友達の多い人に憧れますが実際には友達も少なく、自分にはなにか欠陥があるのかと思っています。 夫に対しても最近はイライラしてけんかばかり、これから何十年も楽しく暮らせる自信がありません。 夫ともけんかをして、実家もそれほど居心地はよくなく、友達もいない、私の居場所はどこにもないような気がします。 子どもはかわいい反面、遊んでいるときなどにふと「一体何をしているんだろう」と、むなしい気持ちになります。 子どもも私に似たら学校でうまくやっていけないかもしれないし、成長していい関係になれるかもわからない。 私は何をやってもうまくいかない気がします。 この、何をしてもずっと続く生きづらさのようなものからどうにか逃れたいです。でもどうすればいいのかわかりません。

有り難し有り難し 27
回答数回答 1

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