回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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変化しないものはなにもない、という意味でよいですよ
例えば、硬い金属の塊があるとします。
どんなに安定した硬い金属でも、ほんのちょっとはサビたりしますよね。
周囲の温度が変われば、金属の塊の温度も当然変わります。
もっと厳密に言うと、原子、原子核レベルでも、ずっと同じではありません。
詳しくは、物理学の話になってしまいますが、「不変」な存在はないのです。
この宇宙が始まってから、不変だった存在はなに一つありません。
新品の自動車はどんなに大切にしても、だんだん古びていきます。
あらゆる動物の赤ちゃんは、子供になり、青年になり、大人になり、老人になり、いつかは死去します。
死去した、動物の身体は、微生物や昆虫の餌となったり、植物の肥料になったりするでしょう。
すべての、物質、すべての存在は、常に周囲の環境とお互いに影響を及ぼし合い、常に変化しつづけます。
人間の心もそうです。
人間は、外界の環境を、感覚器官で感覚し、その情報を脳で処理して、考えたり感じたりしています。
人間の身体も、常に変化し続けていますし、周囲から受ける情報も常に変化しつづけています。
「この世界に、不変なものはなにもない」
が諸行無常の意味でよいと思います。
これは、対比的に、「不変の存在」を想定する宗教があったから、強調されたのです。
釈尊の当時のインドにも、「魂は不変、不滅」と考える思想がありました。
魂は、インドの言葉では、アートマンというそうです。
仏教は、アンアートマン。
つまり、無霊魂論です。
不変の実体的な魂のような存在は存在しないのです。
これを、漢語では、諸法無我といいます。
諸行無常と諸法無我は、密接に関係しています。
また、仏教は「一切皆苦」といいます。
生きているとは「すべてが苦」という事実です。
生きているものは、必ず、老います。
病気になります。
必ず死にます。
この生老病死は「四苦」といいます。
愛するものとの別れも必ずきます。
自分を嫌う存在、自分が嫌う存在にも必ず出会ってしまいます。
このように、「一切皆苦」と「諸行無常」も密接に関係しています。
「無常」の理解へと向けて
あやめ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
諸行無常・・仏教の要諦の一つとして大切な教えとなります。
お釈迦様が、最期のお言葉においても、この「無常」について言及されておられました。
「もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい」(ブッダ最後の旅・大パリニッバーナ経・岩波文庫 中村元氏訳 p158)
全てのモノ・コトは、それぞれ、色々と他に依存することによって成り立っており、依存しているがゆえに、ある意味で不安定であり、依存している色々なモノ・コトによる因縁(原因と条件)次第で、変化していくものであるということになります。
他に依存することによって成り立っていることを仏教では「縁起」と申します。
そして、他に依存することによって成り立っているということは、つまり、そのモノが、そのモノ自体の側だけにおいて、独立自存として、永久永遠に変わらないような実体的なものとしては成り立っていないということになります。このことを仏教では「空」と申します。
「全てのものは、今この瞬間にも移り変わっている」・・
より正確には、一瞬たりとも、独立自存として、実体(自性)として成り立っているものは無い、という感じになります。
是非、これからも仏教を学ばれる中におきましては、この「縁起」と「空」についても参考として、「無常」の理解にお役立てを頂けましたらと存じます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
すごくわかりやすかったです、ありがとうございました。ですが、年単位の変化っていうものはわかりやすいものですが、とても小さな部分からの変化っていうのはとてもわかりにくいものですね、目に見えないから。でもあるんですねえ。