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『永遠の愛』は存在しますか

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想いが通じて、付き合うことになった人がいます。
まだ日にちは浅いのですが、こうなることをずっと夢見ていた私は、毎日幸せな気持ちでいっぱいです。

その反面、と言うべきか、だからこそ、と言うべきか、
いつか別れる日が来てしまうことが怖いです。

親が離婚していること、そして自分自身の経験から、『永遠の愛』なんてものを全く信じられないのです。

もちろん、今ある幸せは、全力を尽くして大切にします。
それでも、相手の気持ちが離れていくことが怖い。この気持ちを忘れることが怖い。
やっとつかんだこの幸せが、いつかこぼれてゆくことに怯えてしまうのです。

どうか、彼と少しでも長く一緒にいるにはどうするのが最善か、教えて下さい。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

諸行無常だからこそ「永遠の愛」は存在する

質問拝見しました
普通に考えれば、「永遠の愛」は仏教的考えでは存在出来ないように思いますが、諸行無常だからこそ「永遠の愛」はあり得ると考えます。
諸行無常とは「常に変化して止まる事が出来ない」と、私は解釈していますが、「無常」という言葉の響きから、ネガティヴなイメージがある様に思います。
しかし、喧嘩をしても仲直りする事も出きれば、別れてもよりを戻す事も出来る。
常に変化の可能性を秘めているのです。でなければ我々僧侶は「悟り」なんて追い求めないし、成仏なんてあるわけ無いとなってしまいます。

では「永遠の愛」とはどの様なものかが問題になります。
仏教では「愛」とは執着に属するので、ここでは「慈しみ」とします。日常の中で常に心は変化していきますが、お互いが慈しみを持って接する事がどうでしょうか?
とても素敵な毎日があると思います。
しかし、「慈しみ」を持続するには、かなりの努力と精神力が必要ですし、相手にも慈しみの心を持ってもらわないと成立しないと考えます。

ここで一つ昔話ですが、「かさ地蔵」の話をご存知だと思いますが、この話で一番偉いのは誰だと思いますか?
おじいさんでしょうか、お地蔵さんでしょうか?
私はおばあさんが一番偉いと思うのです。
なぜなら、おじいさんは餅を買いに行ったにも関わらず何も買ってこず、お地蔵さんに笠をかけた話をする。これに対して、おばあさんは全部信じて「それは良い事をしましたね。」と、労いの言葉をかけたからです。
普通に考えれば、おばあさんは怒るところですが、おじいさんの話を信じる事が出来た夫婦関係が素晴らしい。だからこそ、お地蔵さんは宝物を持ってきてくれたのではないでしょうか?
私もそうありたいと思います。

長々と書きましたが、永遠とは常に変化する「今」の連続性の先にあるものです。
「永遠の愛」にするかどうかは、お互いの心遣いです。どうぞ別れに怯えるのではなく、大切な今をより良く過ごしてください。

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個別相談可能
私は日蓮宗 今治 寺町法華寺の住職をしております讃岐英昌(サヌキ エイショウ)と申します。 今現在 しゃべって話せる僧侶を目指し精進しております。
相談時間は基本30分とし、30分を経過すると一度、電話を切らせていただきます。

永遠の愛されと共にある

相手は彼じゃありません。
ですが、人間は永遠の愛、永遠の愛されっぱなし、永遠の授かりぱなしの中に居ることが分かりますか?
そこに愛を感じられるようになると、別に彼でなくても平気になり、また、彼にもものすごい愛を感じられるようになります。
ヒントは「授かりに気づく」。
一日ご飯の度に、人との出会いの度に、お風呂の度に、今の一呼吸の中に、唱えてみてください。
数日で、変化が出ます。
人間が思っているちっぽけな愛じゃないのです。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

あなたのご存じの通りです。

いま、とても幸せとの事。それは大変喜ばしいことです。
いま、生きていらっしゃる。それは大変喜ばしいことです。
いま、お若くしていらっしゃる。それは大変喜ばしいことです。

けれども、それら全ては縁が為していること。世の中全てのものの繋がり方によって、「いま」そうなっている…だけのこと。
もちろんあなたは、その事に対して影響を及ぼせます。
彼を大事にすること。誠実であること。
健康に気を遣うこと。身体を愛おしむこと。
社会の中で、自分のなすべき業をなすこと。

しかし、だからと言って、結果は約束されていないのです。
あなたの力の及ばない要因が、あなたにふりかかることはあります。

だから…自分で出来ることはする。
それしか、あなたの今、あなたの生を充実させる道はないのです。

私も、あなたの問いかけを読んで背筋が伸びる思いです。
お互い、同じ娑婆に生きる者。気づきさえすれば、日々是修行なのでございます。

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おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

存在しません

残念ながら存在しません。
諸行無常といいます。
全ての事は常では無い、永遠に続くものは存在し無いという事です。

だからこそ、今という時間を大切にするのです。

どんな事をしても、続く時は続くし、終わる時は終わります。
彼の幸せを願い、彼の苦しみに共感し、その苦しみを取り除いてあげて下さい。

末長く続く事を祈ります。

そして、たとえ離れたとしても、あなたが立ち直る事を祈ります。

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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答していますが、無知未熟ゆえに質問を読ませていただくことしかできないことも多々ありますがお許しください。 回答は私個人の意見や解釈もあり、場合によっては浄土宗の教義とは少し異なることもあるということをご了承ください。 また、寺の紹介ページに電話相談についても紹介していますのでどなたでも気兼ねなくご利用ください。 ハスノハのお坊さんがもっと増えますように。 合掌 南無阿弥陀仏

質問者からのお礼

たくさんのご回答ありがとうございました。

生きていること、若いということ、それらがそもそも幸せなことなのだということに気がついていませんでした。幸せのために、私に出来ることはなんなのかを考えながら過ごしていきたいと思います。

「諸行無常」という言葉、教科書にも出てくるしよく耳にするというのに、意味を理解していなかったので恥ずかしかったです…。
そしてだからこそ、その言葉の意味が深く胸に響きました。
今を大切にすることは当たり前のことですが、意識しなければ忘れてしまいがちです。この言葉を、心の片隅に置いておこうと思います。

「傘地蔵」のお話を、そんなふうにとらえたことはありませんでした。とてもわかりやすかったです。お婆さんは内助の功でお爺さんを支えていたのですね。そんな関係に憧れます。私も、そんな風に、大切な人を支えてあげられるような人になりたいです。

他の皆さんとは違った目線でのご回答で、新鮮な気持ちでした。「その発想はなかった」という感じです。誰かの支えや愛があってこそ、私は成り立っているのですね。いつも感謝を忘れないでいれたらいいなと思います。

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