貧困について
度々質問すみません。
世界には飢えに苦しみ、貧困に苦しむ人々がいます。学校に通えなく、幼い少年少女は働くてはならない。学歴や知識もないため、少年達は重労働、少女達は体を売る。
そんなニュースやテレビをよく見ますが、自分は何もできていないです。
自分がその立場なら苦しく、誰かに助けてほしいと思います。そして幸せな人を恨むのではないかと思います。
そういった所に産まれ、人生を送ることは修行なのでしょうか?
お金を寄付して一瞬は助けられるかもしれませんが、私にも生活があるのでずっとは厳しいです。
うまく書けませんが、みんながみんな幸せになるのは難しいのでしょうか。
幸福な人がいれば不幸な人がいるのでしょうか。
変な質問をしてしまい、すみません。
そしてうまく書けなくて、読みにくくてすみません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
幸せと貧しさは違います。
正論はここでは省きます。私の意見ですが、幸せ=金銭的に裕福は違います。私は自分で言うのも何ですが、皆さんの幸せと思っていることに触れたことはありません。そもそも幸せの定義とは何でしょうか?私には分かりません。金銭的に裕福な人は一見笑顔が多いですが幸せかどうかは分かりません。私には「お金があるから・・・しなくてはならない。」「金に糸目はつけない。」と言っては無理をしているように見えます。これは苦しみですね。金銭的な裕福な人ほど不幸を抱えてると感じる時もあります。
逆に金銭的に貧しい人も貴女の言った通り子供の内から働かなくてはならない。世の中一体誰が幸せな人があろうか?
今、朝ドラで放映している『とと姉ちゃん』のモデルの方が雑誌の取材で皇族の暮らしを取材したことがありましたが、それによると皇族の方々は意外に質素で生活用品はなるべく手作りで子供の玩具は修理しながら何代も使えるように工夫しておりますし、買い物を行くときも如何に安いものを仕入れるかに生きがいを感じているらしいです。多少誇張しているところもございますが、それでも不自由そうには見えなかったらしいです。これは国民の税金を使っているからという自負もあると思います。
私がその記事を読んだとき、自分自身一番幸せを感じた時は既製品だと思っていたものを自分の手で作った時です。それは修行僧の時、御袈裟を縫ったり、旧式の年賀状の封筒を自分で折ったり、お祝い袋の水引を自分で結んだり、雑巾を自分で作ったり・・・。足りないものだらけの修行でしたが、自分たちで工夫してそれなりに立派なものを作った時は貧しいながら豊かさを感じました。これが清貧かなと思いました。
世界の貧困を金銭的に救うことは本当に政治や富裕層が解決するしか現実難しいかもしれませんが、心の豊かさは誰にでもその気になれば支援できるのではないでしょうか?バングラディッシュのテロでお亡くなりになった日本人たちは現地の人と寄り添うという心の豊かさを支援しておりました。それがつまらない宗教のいざこざに巻き込まれたことは宗教者として悲しいことであります。こんな人が2度と現れないようにご冥福を祈ると共に私も布共について考えなくてはなりません。
※布教とは元来「教」を書きますが、私は敢えて共に歩むの「共」を使っております。教育も共育と使っております。受け売りですが。
理不尽な世界の苦しみを乗り越えて。
あかさん、こんにちは。
世界の貧困に、疑問を持っているのですね。
日本に生まれた私たちは幸せです。世界にはご飯どころか今だお水すら満足に飲めない国があります。また多くの戦争でなくなっている人たちがいます。その中で私たちの努力はほとんど無力に見えます。あかさんがいわれた通り一時の援助は焼け石に水です。そして自分の蓄えを全て捧げる程、聖人でもありません。人の不幸を見過ごしながら自分の幸せは確保しなければ生きていけません。真横に飢えで死ぬ人を見ない日本人にとって、理想の平和論で見過ごすことはとても辛いことです。でも、その苦しみを乗り越えて、いつか、すべての人々が幸せになる手助けを私たちができるレベルで進めるしかありません。
インドの貧困者に神の愛を伝えて救済に当たっているマザーテレサの修道院のルールに、食事は必ず食べるというのがあります。新米のシスターは目の前に飢えで亡くなる人に耐え切れず、自分の食事も与えようと考えるからです。結果、シスターが病気になってしまいます。人を救うには飢えで苦しんでいる人の前で食事を食べる力が必要なのです。
あかさんは、まだ20代です。是非、世界を見て、どうすれば将来救われの道の第一歩になるか、考え努力してください。私もその一人です。たくさんの人々が考えるようになれば、その中に救われの方法が生まれるかも知れません。
合掌
質問者からのお礼
難しい問題ですね。
答えてくださりありがとうございました。
自分なりにできることを探してみます。
そして毎日感謝して生きていきたいです。