供養をしてもいいのかわからない
こちらで何度も悩みについて質問させていただきました。本当にお世話になっております。
毎日こちらでご活動されているお坊様に感謝申し上げます。
今までの悩みについて沢山考えてきたのですが、その中でもやはり命を大事にできなかったことについてどうしたらどうやって償いができるかわからないのです。いつまでもけじめをつけることができずにいます。
こちらで善い生き方をすることが供養につながるなどの考え方を教えていただき、少し安心できたのですがそれまでの数日をずっと食欲、性欲などといった欲のすべてを禁止するようにしていたので、お答えいただいてからすぐそれらの禁欲(自慰や食べたいものを食べるなど)を解放してしまい、それらが不謹慎であったのでは今さら後悔しています。
善い行き方ができるようになったら供養にいきたいと思っていたけれどそれがわたしがしたことによってもう駄目になってしまったようで怖くて行けずにいます。
このようなことをしたわたしが許されますか。
夏の法要などに行って命を供養したりするのは大丈夫でしょうか。
禁欲生活は今もできるかぎりつづけています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
供養は24時間いつでもどこでも可能です
コンビニエンスストアのようなタイトルを書いてしまいました。いや、どちらかといえば携帯電話の宣伝文句かもしれません。
失敬。過去の罪過を懺悔(さんげ)して、供養のため、日々精進し、ある日安心して、精進落としをしてしまったのこと。その精進落としがそれまでの精進による功徳を失くしてしまい、ご自身には供養をするほど身と心が清められていないとお考えなのでしょうか。
その反省から怖くて歩けないほど落ち込んでおられると。。。
立派です。
私もそのような同事観(相手、この場合は亡くなった命の立場と同じ気持になること)が欲しいです。。
貴方様の心の状態であれば、いつでもどこでも供養が出来ますよ。両手に手を合わせ、心を統一し(禅定)、失われた命の尊さを思い、また、その生命に報いるために何が出来るかを考えられるのがいいと思われます。
夏の法会とは盆供のことでしょうか、季節を問わず、いつでも魂の拠り所、例えばお墓とか、霊場とかに行って供養の思いを捧げることは、亡者にとっては追善のごちそうとなります。いい匂いのするお香や、美しい花なども喜ばれるでしょう。お水とか、お茶も差し上げて下さい。
禁欲生活というか、精進行はあなたの功徳を積むのにいいことだと思います。しかしながら、過ぎたるは及ばざるがごとしという言葉もあり、仏教の開祖、お釈迦様も苦行に執着するのはむしろよくないと覚りを得ました。だから、やり過ぎずに、ほどほどになさってください。で、なければ精進落としをしたときに羽目を外すことになるかもしれませんよ。
念押しに結論を書きます。
供養は誰でも出来ます。供養は自由です。縛られることはありません。そのお気持ちを大事になさってください。
質問者からのお礼
すぐにご回答いただき、本当にありがとうございます、感謝しております。
わたしの悩みは恐らくその通りで、気持ちをご理解いただけ、嬉しかったです。
わたしは動物に対して命を奪ってしまったことを悔やんでいて、今も食べるときは緊張して、感謝しながら食べています。
小さい頃命を世話しないで大事にできなかったことをずっと後悔しています。わたしが命に対してできることが禁欲しながら供養することだったので、それを駄目にしてしまったことが怖くてなにをしたら許されるかわからなくてただ辛い日々でした。
わたしは供養しても善いのですね、沢山アドバイスをくださり本当にありがとうございます、救われました。よければどのように動物の供養をできるのか教えていただけたら幸いです。
この度は本当にありがとうございました
この度は本当にありがとうございました。
禁欲についてもよくわかりました。
気を付けながら生活していきたいです。