得度したんですが…
数年前に得度をさせて頂いて週末、お寺でお経などの勉強をしてたのですが兄弟子達が、だらしなく嘘・ごまかしばかりして住職(師匠)に隠し事ばかりして
結局…バレて怒られる事を何度も何度も繰り返し全体責任で私も毎回怒られれ、余りにも兄弟子達を見てるとバカバカしく思えてお寺に行くのも嫌になり
住職(師匠)に辞めさせて欲しいと言ってお寺を後にしました
が師匠には恩も有るから何かさせて欲しいと言う気持ちは、有るのですが
こんな兄弟子達が居てると思うと又…一緒に怒られると思うとアホらしく思うのです、兄弟子達は某大学や某高校(仏教系)卒業した人たちです、学校で誤魔化す事を教わって来たのかと思えて仕方ないです。
得度を受けたら他のお寺で勉強する事は無理なんでしょうか?
余りにも執着が無く直ぐに諦めてしまう性格、今が良ければいい・何とかなるわ!って思ってしまう
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたがやればいい
寺のしきたりに縛られたら僧侶以前に人間過ぎます。
仏法の無い所はいくらお寺であってもただのハコ。
私自身も僧侶業界には失望の連続でした。
群れたら最後です。お互い傷のなめ合い、相手の非を是正できない、低品質化、何もできなくなる。だから今も単身、一匹狼です。
自分が本当に「これだ!」と思うことを全うすればよいのではないでしょうか。
あなたには反骨精神がある。若き日の一休も道元もみな比叡山を飛び出して、パンク&ロックな精神で真実の仏法を求め続けました。
その負けん気があなたにもある。諦めないでください。もっと真剣に仏法を求めてはいかがでしょうか。
私も、他の僧侶業界に不満ばかり持っていました。
「じゃ、あなたがやりなさいよ。」
「あ。そうか。」
仏道に他人事はありません。仏道は他人頼りじゃいけません。
自分が自分のもちまえの生老病死なのですから。あなたの怨憎会苦、あなたの求不得苦。全部自己責任、自分持ちなのです。全部自分の人生。だから自分が自分の苦を自分で解決するよりほかにない。
あなたの疑問は僧侶業界でチカラを振るう原動力にされると良いでしょう。
臨済には南天棒という僧がいて悟っていない指導者は禅問答して答えられなきゃボコボコにして指導者の資格を剥奪した仏法の護持者がいたものです。
簡単に考えれば僧侶はお蕎麦屋さんのようなものであると思います。
おいしいお蕎麦をお客さんに提供するように勤める。
もちろん、ここでいうお蕎麦とは仏法ですが。
時々、細麺がイイ、柔らかめんがイイという方にはやわらか麵を。
ガツンと太麺が良い方には太麺を。
まず蕎麦の作り方を知りたいならば本当にうまい蕎麦屋を探して弟子入りすればいいと思います。
私は曹洞宗の大本山総持寺に10年居ましたが、あんなものはまやかしであったと思っております。
お寺に入ればOK,本山に行けばOK、一定期間修行すりゃOKという世界ではありません。
寺に教わるんじゃありません。あなたの真剣な求め、菩提心が先なのです。
型式を捨てましょう。まず、あなたが納得する真実仏法の妙味を求めることであると思います。
阿弥陀様が見てござる
たなちゅう様
釋 慧心と申します。
拝見させて頂きました。
ある日、私がお預りしている寺の檀家さんが、永代経懇志という名目で、お寺に浄財をお持ちくださりました。
私は、
「ご丁寧に、お気持ち有り難くお預りさせて頂きます。
早速、貼り紙を書いて、本堂に掲示させて頂きます。」
とお伝えさせて頂きますと、
その方は、
「いやいや、それはよろしいですねん。また五條(袈裟)か何か買うてくださったらそれで満足ですねん。」と、
私が更に重ねて、
「いやもう、ありがとうございます。しかし皆さんさせて頂いてますから、○○さんだけ無いというのも、、」
と申しましたら、
一言
「いやいや、若ぁ、阿弥陀さんが見てござるですわぁ。」
とニコッと微笑まれました。
私はその言葉の裏に、あんたのこと見てまっせ。という温かいお心を感じずにいられませんでした。
良いことも、悪いことも、みーんな、阿弥陀さんが見てござるだと、ほんとに思うようになりました。
誰がどうこうよりは、自分に正直に淡々とやるべきことを喜んでさせて頂いておりましたら、必ず誰か見ているものだと思います。
環境というのは、すぐには自分で変えられないものですが、今の環境は、自分の過去の行いの積み重ねかとも思います。
その場を飛び出すよりも、心掛けで、何れ自分の場所にしていくことも出来ますよ。
お寺に入れるかどうかは、お宗派やお寺により様々だと思いますので、ご縁のお宗派の本山に一度お問い合わせされては如何かと思います。
次のお寺では、たなちゅう様の場所がちゃんと見つかりますように。
同じ、寺に勤める者として、遠くからですが、応援致しております。
修行仲間は選ぶもの
宗派はどちらでしょうか?師弟関係の濃さは宗派によってかなり温度差があります。
曹洞宗であれば受業師、法幢師、本師の三師の下で段階的に修行をします。人によって三師とも同一人物に師事することもありますが、三師とも全て別々のこともあります。他に正式な師弟関係ではありませんが、大きな影響を受けた参学の師(聞法の師弟とも)という関係もあります。よそのお寺に住み込みで働く「納所」(なっしょ)を通して学ぶこともありますし、いろいろですよ。それこそ聖章師のおっしゃるようにお師匠さまに相談すべきことです。
さて、『法句経』からたなちゅう様へ贈りたい偈があります。
>ひと若(も)し
心つつましき
善を行ずる賢者(もの)を友に得ずば
克ち得たる領土(くに)を
棄つる王のごとく
ひとり行くべし
かの林中(はやし)の象のごとく
ひとり行くべし
(329偈)
>ひと若(も)し
心つつましく
善(よき)を行ずる賢者(もの)を
友に得ば
すべての危難(あやうき)に克(か)ち
よろこび深く
共に住くべし
(328偈、共に友松円諦訳)
修行のための環境が整っていなければ、場を移して良いと私は思います。私も禅の道場で散々、連帯責任に泣いたクチなのでお気持ちはよく分かります。
ただ、どうしようもない修行僧はお釈迦さまの直弟子にさえいました。出会うかどうかは運次第としか言えませんが、完全に避けて通ることは極めて難しいです。そしていずれ修行生活に一区切りをつけ、社会に戻ってみれば、僧俗を問わずさらに思い通りにならない出会いばかりです。本当に修行が必要なのはその人達自身だ…そう思って許してあげて下さい。許さない心は結局、自分自身に突き刺さりますので。応援しております。
お師匠さんに紹介してもらってはどうでしょうか
せっかく仏道を歩み始めたのにもったい無いですね。
宗派にもよるのかもしれませんが、おそらく他のお寺でもいいと思いますよ。
いろんなお寺を渡り歩いてるお坊さんもいますからね。
お師匠さんにどこか紹介してもらってはどうでしょうか?
お師匠さんの弟子なので、同じ宗派の方がいいでしょうし。
追記
兄弟子がどうこうでと言えば兄弟子から怒られるかもしれないので、見識を広めたいからと言った方がいいかと思いますよ。
質問者からのお礼
こんばんは、有り難う御座います。
1度話してみます、紹介して頂けたら嬉しいのですが…
師匠は嫌な思いさせてしまうんだろうな?って少し不安ですが
仏道を進みたいと思ってますので自分の想いを話してみます
釋 慧心様 有り難う御座います。私も気が長い方だったのですが
こんな事を言うとまだまだと思われるかわかりませんが
仏の顔も3度までと言いますがそんな所の問題じゃないんですよ
もぅ出てしまったから陰口になるか分かりませんが吐出さずに辛い思いをして来ました
辛抱が足りないのかと自分を責める日々でしたが、やっとココで吐出せました
生活の為にお坊さんをする気持ちはありません自分の為・亡くなった友人・ご先祖の為と思い仏門に入りました
でも、こんな状態でした、もし次が有るなら自分の場所を作り上げていきます
有り難う御座います。
大慈様、有り難う御座います。
真言宗なんです…
許す心を持って接して来ましたが月に4回ペースで怒られるって??呆れてしまって(笑)
兄弟子と言っても年下だから仕方ないのかな??
ゆとり世代だからこんなもんなんだ!っと諦めて見てきましたが度が過ぎてると
自分が悪かった・失敗したなら…師匠には自分から謝りに行くんですが
兄弟子達は、隠して隠して・・・
最後にバレて怒られてって毎度で
この人達って思えて、兄弟子とも思いたくなってしまいました
現在は、一切連絡もしてない状態で今後の事とか色々考えてしまって
辛くなりココに書かせて頂いたしだいです。
今しばらく…こちらの世で仕事して頑張ってみます
お言葉ありがとう御座います。
丹下 覚元(たんげ かくげん)様へ
はげましのお言葉、有り難う御座います!
良い大学・良いお寺で修行したから偉いと言う問題でないんですね
私は現在…アルバイトをして妻と細々と生活してます
時々経本を取り出し勉強をしてます
師匠には会いたいのですが…こんな辞め方をして寺を去って
後悔も有ります
でんぼうかんじょう…に行けたらなんて思ってますが
そんな事も夢に、この先他のお寺で勉強も良いかな?なんて思う事も
真言宗だったから同じ宗派の方がいいのか?それとも他の宗派の勉強もしていいのか?
何て悩んだりしてます
残りの人生…好き勝手に生きるのも良いけど
あの時にって言う後悔は少なくしたいと思ってます
少し頑張ってみます