愛犬の死。消えぬ後悔。
愛犬が亡くなり、
後悔と懺悔の気持ちばかりで心の持って行き方が分からず
ただただ、心の中で謝るばかりです。
3年前から糖尿病を患い、
インシュリン生活をしてきた愛犬。
穏やかな性格の子で、昼間は庭、夜は玄関内での生活の愛犬でしたが、私は
必要最低限の世話しかしていなかったように思います。
いつも甘えたそうにしていたのに
自分の用事ばかり優先させて
遊ぶ時間はあったのに、愛犬と遊んであげなかった。
夜は玄関の中なので、病気のせいもあり、お漏らしをしてしまい、
後始末をしながら、もし愛犬が死んでしまったら、もう大変な後始末をしなくても済むんだなぁ、とか 高い薬代なくなるんだなぁ、とか時々 ふと想像してしまう事もありました。
可愛いけど大変に思える時がありました。
亡くなる前日朝、体調が悪そうで病院に行きたかったのですが、
偶然その朝は、母を検診結果を聞きに行く為、車で病院の送迎をする約束をしていました。
母は健康なので ただ結果を聞くためだけの病院だと分かっていた事もあり、本当は動物病院に診察に行きたかったのですが、母と先に約束していたので ドタキャンを言い出しにくく、気にはなりつつも
漠然と、まだ数年は元気でいてくれるだろうとの思いもあり
母の約束を優先させてしまいました。
夕方近くになり悪化しているように見え慌てて 獣医さんに診てもらいに行きましたが、そのまま入院、翌日の夕方亡くなりました
具合が良くないと聞き、病院に行き愛犬に声をかけたり撫でたりしたのが最後でした。
私が帰宅した数時間後、亡くなりました。
甘えたそうな愛犬の顔が忘れられません。もっと甘えさせようとすれば
作れた時間、私は作ってあげなかった。
酷い飼い主です。
一晩、愛犬の大好きだった場所、玄関の中で寝かせてあげて
翌日 個別葬をしていただきましたが、私は なんて可哀想な事をしてしまったのか、自責の念と 愛犬の気持ちを思うと、心の中から出てくるのは
ごめんね、の言葉ばかりで涙が止まりません。
あの時、約束がなければ、
獣医さんにもっと早い時間に診せてあげそうすれば 愛犬は助かったかも・・と思ってしまう自分。
はっきり、病院の送迎は別の日にして!
と言えなかった自分。
全て、後悔に繋がってしまいます。
我が家でなければ、
もっと幸せになれたかもしれない愛犬。
懺悔の仕方が分かりません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
その時々の大人の判断であり、その状況に即した優先順位があった
拝見しました。
家族同様の愛犬の死は、お辛い経験だったことでしょう。心中お察し申し上げます。
私が幼い頃、お寺にはワンコがおりました。境内のあちこちに思い出の痕跡が残り、今でも頭を過ることがあります。私の成長過程において、犬との関わりは、大変大きな部分を占めていたように思います。
本当にお辛いこととは存じますが、ワンちゃんは寿命を全うしたのであり、これからはその御魂を篤く御供養されることこそが、ワンちゃんにとっても貴方にとっても大切なことであろうと思います。
愛情の深さ故に、思い悩まれるお気持ちを理解しておるつもりですが、「たら」「れば」を並べてみても、それは解決にはなりません。その時々の大人の判断であり、その状況に即した優先順位があった訳です。後悔と自責の念に苛まれるお姿を、ワンちゃんも望んではいないと思います。
大切なことは、愛犬の死を受け容れ、寄り添ってあげることです。
重ねて申しますが、貴方がなさらなければならないのは、懺悔ではなく、御供養なのです。
菜の花になりたいさま
丁寧なるご返信を頂戴しまして恐縮しております。
菜の花になりたい様のようなお心持ちで、この先も精進なされば、きっと「ごめんなさい」「ありがとう」の言葉はワンちゃんのお耳に届くと思います。
そして、貴方が飼い主で喜んでくれているはずです。こんなにも深く、心を尽くして下さっているのですから。
菜の花になりたいさま
もうそれは、貴方が仰った通りのことです。
日々大切に生きる、ということ。
命に合掌する、ということ。
それに、奥さん、お母さんは家庭のマエストロですから、ご家族のためにも貴方らしく過ごすということでしょうか。
懺悔し心からお祈りなさってください
拝読させて頂きました。あなたの悲しみ後悔くやしい思いその全てをそのコの為に捧げてください。私もそのコが仏様に導きを受けてご成仏なさることを心からお祈りさせて頂きます。
生命はどれも尊いです。ですが私達人間は自分達の都合により優先したり或いは生命を奪っている、そのことを何らわからない愚かな存在です。どうぞ心から懺悔なさり我が身の程を思いながらそのコに祈りを捧げてくださいね。
あなたがその生命を全うなさる時必ずやそのコに再び巡り会います。その時までのしばしお別れですから。それまでそのコはあなたをしっかりと見守ってくれますので。
質問者からのお礼
一向寺 ご住職さま。
お答えいただきまして、ありがとうございました。
何度も何度も読ませて頂きました。
本当に、人間とは 愚かな存在だと 深く思い知らされた この数日間です。
人間のみならず、生命は全て尊い。
今、身に染みて感じております。
今日、お骨を迎えにお寺に行き、自宅に帰宅しました。
これより49日になるまで、愛犬のお骨に手を合わせ、静かに祈り、自分の懺悔の気持ちと向き合っていこうと
思います。
ご住職さまのお教えくださいました言葉を胸にいつも 思い、手を合わせていきます。
いつか また会えたなら、その時は
ありったけの愛情を持って、会える自分になっていたい。そんな自分になれるよう手を合わせて 祈り続けようと思います。
手を合わせていると、なぜか救われた気持ちに少しずつなる気がします。
本当にありがとうございました。
蓮華寺 ご住職さま。
お答えいただきまして、ありがとうございます。
何度も何度も 読ませて頂きました。
確かに、『たら』 『れば』を並べても
蓮華寺 ご住職さま。
文、途中にて 誤り送信してしまい
大変失礼致しました。
たら、れば、を並べてみても
確かに 何も解決しません。
頭では分かっているつもりでしたが、改めて、その事をお教えくださり、
私が、心に思わなければいけないのは
たら、れば、ではない。
と、少し自覚出来た気がします。
今日、お寺にお骨を迎えに行き、
今、自宅にて同じ空間で愛犬と一緒に
います。
まだ私の中の懺悔の気持ちは、
消えませんが、
ごめんね、と自分の愚かさを謝りつつ
でも、一番大切な事は、この先の愛犬の冥福を祈る事だ、と自分に言い聞かせつつ、毎日 手を合わせていきます。
明日は 何が起こるか 分からない。
と、今回 身に染みて痛感いたしました。
これからは、日々 大切に大切に
考えながら、生きていきたいです。
ご住職さま、お忙しい中、
愚かな私のために、お答えいただきまして、本当にありがとうございます。
お教えくださいました事、胸にしっかり覚え、手を合わせていきます。
蓮華寺 ご住職さま。
有難いご返信、本当にありがとうございます。
読ませて頂いているうちに、涙が溢れてきました。
こんな 愚かな私でも、良いのですか?
愛犬の寿命を少し短くしてしまったような私でも、許してもらえるのですか?
今は ただただ 愛犬が、この先 少しでも良い世界で幸せにいてくれる事を
願っています。
仏さまの お心に少しでも 触れさせて頂くと、こんなにも 気持ちが救われることが あるのですね。
本当に 有難く思います。
日々、大切に大切に生き、毎日 手を合わせていこうと、思っているのですが、
他にも何か 私に出来る事は、あるのでしょうか?
蓮華寺 ご住職さま。
本当に ありがとうございました。
何度も何度も、読ませて頂けば頂く程
有難く、救われる思いです。
その通りですね。
私は 妻であり、母。
悲しみと後悔の念が強く、ここ数日間
大切な家族の気持ちを考える余裕が
なくなっていた気がします。
これでは、日々 大切に過ごす事には
なっていませんね。
苦しみや悲しみの気持ちが全面に
出ていた気がします。
これからは、そういう気持ちは、
心の中で、静かに手を合わせ 祈る事で
乗り越えていかなくては、と思います。
ご住職さまに、出会わせて頂いたご縁に、感謝致します。
時折、頂いたお言葉を読み返しながら、大切に生きていきたいと思います。
本当に ありがとうございました。