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死を受け入れられない

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有り難し有り難し 27

家族ぐるみでとてもお世話になった人が、今春亡くなったようで、その事実をつい数日前に知りました。

その方とは、年に一度会う程度だったのですが、会った時にはいつも親切にして下さる素敵な方でした。

訃報を聞いてからは、涙が止まらず、こんなにも大きな存在だったのだと実感しました。

「去年会った時は、あんなに元気そうだったのに」「あの姿が最後だったなんて信じられない」「亡くなったのは嘘ではないか」などと思ってしまい、死を受け入れなければならないということはわかっているのですが、受け入れられない自分がいます。

また、何をしていても、頭の片隅にその方との思い出が浮かんでは、悲しくなってしまうことの繰り返しです。

数年前に祖父母を亡くしておりますので、死と直面するのは初めてではないのですが、今はその受け入れ方がわからずにいます。

どうやってこの死と向き合えばいいのでしょうか。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ご供養すること

こんにちは。辛いことを、それとして肯定できないのですね。頼りにされていた方が今までの関係でなくなった事が受け入れられない。
私は、人が亡くなることは、関係の変化であると思います。同じ娑婆にいれば、会って話をしたり相談することもできる。触れることも。でも、今すでに、貴女とその方の距離は変わってしまったのです。ですから新たな距離感を作らなければならない。具体的には、貴女の記憶の中のその方を大切にすることです。思い出すことです、「あの方なら何て言うかしら」と。そうすることで、貴女の中で生き続けることができるのです。目を瞑ってしまった、お墓に入ってしまった、その事自体はもう取り返せないでしょう?ですから、貴女が何かにつけ思い出し、想像し、自分の生きる触媒になっていただく事です。これが邦元師の仰る供養という事だと思います。そして叶う事であれば、その方の話をアウトプットする事です。貴女の中でより深い繋がりとなり、縁を広めていく事になるでしょう。

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おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...
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お参りしましょう

しえりさま

死を受け入れられないとのこと。大切な方との別れは悲しいものです。
きちんとけじめをつけるためにも、お参りされるといいと思います。墓前にお線香をあげることだけでも、本当になくなったということがわかるでしょう。

お葬式や法事などの行事は、そうした残された方々の心のケアの場でもあります。事実と向き合い、自分の生き方を見つめる場です。
法事などに参列することが難しければ、お墓参りだけでも、もしくはご自宅に香典を届けながら仏壇にお線香をあげるなどしてくるといいと思います。

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おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺副住職。 悩みを吐き出す事で、ちょ...
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在りし日の姿をかみしめて

拝読させていただきました。大切な方との死別はなかなか受け入れることは難しいです。本当につらいことです。わかっていることですがいざその時をむかえると悲しみに打ちひしがれて通常の感覚ではいられなくなってしまいます。それが私達人間ですし、人の弱さでもあります。ですがその様に大切な方の存在を改めてかみしめて、自分にどれだけ大切な方なのか必要な方なのかを実感できることやその方とのご縁を感じることができるのも私達人間です。
どうかその方との在りし日のことを改めてかみしめていただき、そしてご縁を実感なさっていただき、心を込めてご供養なさっていただきます様にお願いします。あなたの思いは必ずやその方に届きますので。

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おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

邦元様
回答ありがとうございます。
何らかの形でお参りし、少しずつ現実を受け止められるようにしたいと思います。

kousyo Kuuyo Azuma様
回答ありがとうございます。
亡くなった方との事を思い出すこと、かみしめることで、その縁を実感すること、これこそが供養になるのだという事がわかり、ほっとした自分がいます。思い出すことが、いけない事のように感じてしまっていたからです。
思い出さないようにするのではなく、その思い出を大切にして、亡くなった方に届くよう、心をこめて供養したいと思います。

佐藤良文様
回答ありがとうございます。
そして、あたたかいお言葉に、涙が止まりませんでした。

亡くなってしまった人をいつまでも想うことは、現実から目を背けてしまっている事だと思っていました。
しかし、佐藤様のお言葉を聞き、思い出を大切にすること、記憶の中に存在させることが供養になると知りました。
少し時間はかかるかもしれませんが、心をこめて供養できるようにしたいと思います。

「親・家族・恋人・大切な人の死が悲しい・乗り越え・立ち直る」問答一覧

夫の死 心が平穏になる時がきますか

夫が病気で急逝しました。夫はさぞ悔しいことでしょう。まだ現実として受け入れがたく、ふわふわとした心持ちで葬式、様々な手続きに生活に追われています。 子供たちと現実生活をいつも通りにふざけたことも言い合いながら笑顔で暮らしていますが、寂しく悲しい気持ちは各々が抱えています。 夫が亡くなって、葬式後に不倫関係にある人がいることが分かりました。相手からの、のんきなLINEがきたことで気づきました。再会した元カノのようで、レストランで食事したりホテルで密会したりしていることがやり取りから分かりました。これからもっとたくさん会いたいなど、関係を続けたい夫の気持ちも書いていました。あの時もあの時も嘘をついて家を出ていたのだと知りました。LINEを探すと、他の女性とも恋心をほのめかしたやり取りをしていたことも分かりました。 夫は多趣味で、趣味に仕事に忙しく、女の人と会う時間があるとは思いもしませんでした。私を悲しませることはしない人だと信じて疑ったことは1度もありませんでした。 夫は子育てに協力的でした。家の中のことは大体私がやっていましたが、対外的なことは率先してやってくれていました。共働きで、協力し合わないことには生活が回らなかったので、助かってました。私は子育て家事に喜びを感じながらも、夫の行動に苛立ちを感じていたことは確かです。夫は趣味の時間を家庭の様々なことに取られていると不満をいうことがありました。趣味をしている時の夫は本当に楽しそうなのでさせてあけたいと考えていたし、実際、ずっと続けていました。 こんなに趣味を楽しんだ上に、家事に疲れている私に、したいときだけすり寄ってくる夫を疎ましく思う気持ちもありました。 私は夫が好きでした。夫の物を片付けていたら、私からの数年おきの長い手紙や「大好きだよ」のカードがたくさん出てきました。先月もあげたはかりでした。 他の女の人には優しい言葉をたくさん書いていましたが、私にはありませんでした。私を子供の母としか見ていなかったのでしょうか。 数年前に、他の人としちゃおーなどと言うことが何度かあり、私はあきれて、どーぞ。と、言ってしまいました。夫は自分の欲を実行したのですね。 1人になると動悸がして落ち込みがひどいです。子供たちの明るい未来のためにも、元気で生きていきたいのです。どう考えれば心の整理がつくのでしょう。

有り難し有り難し 11
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義父が亡くなりました

先日、義父が亡くなりました。 私がコロナに感染し家に持ち込んだ為家族もコロナになり、もともと持病が有り弱っていた義父にもうつしてしまいあっけなく亡くなりました。 入院して3日、急変したとの連絡あり病院へ行きましたが人工呼吸器を付けられていたのでまだ生きていると思っていました。 義家族と病室に居ると看護師や医師が来て死亡確認していいかと言われそこで初めてすでに亡くなっていることを知らされました。 急に意識がなくなり呼吸が止まったというような説明を医師からされました。 私は両親を看取っているのですが、完全に心臓が止まるのには時間がかかるはずなのに死亡確認の時にはすでに止まっていると言われました。 何故もっと早く知らせることができなかったのだろうかと少し不信感を感じました。 コロナが5類になったとは言えそう簡単に面会はさせられないのは分かるのですが、独りで逝かせてしまったし看取ることも出来なかったのが心残りで、せめて意識のあるうちに会わせてあげたかったと医師には言いました。 どうにもならない事とはわかっていましたが言わずにはいられませんでした。 私が感染しなければ義父は生きていたであろうと思うと義家族に申し訳なくて仕方がありません。 私が殺したのも同然だと。 主人にも義妹にも私が原因です、ごめんなさいと謝罪しましたが誰も責めません。 優しい人たちなので有難いのですが余計に辛いです。 義母は憔悴しきっていて、責められるかもしれないと思うと怖くて言い出せなかった。 ずるいですよね。 親類やかかわった人にも慕われいていたようで、遠くからも大勢弔問に来ていただきました。 それを見ているとなんてことをしてしまったのだろうと苦しかったです。 もともと持病が有り8年闘病して痴呆が出てきていましたが、薬との相性も良かったようで病状も落ち付いていて体力は落ちてきてましたが元気でした。 まだしばらくは生きれたでしょうに、私が殺したようなものです。 自分を責めるな、誰も悪くない、仕方がない事だとまわりは言いますがどうしようもなく心苦しくなります。 人前では気持ちを誤魔化し平静を装っていますが、義母や主人の落ち込み様を見ると申し訳なくて… もともと過去の嫌なことを思い出して後悔し落ち込む質なのです。 これから自分や周りとどう向き合っていっていいのか分かりません。

有り難し有り難し 7
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母の死に冷静すぎる自分が嫌になる

昨日母が亡くなりました。いわゆる孤独死みたいな状況でした。きっと最後は辛かったと思います。かわいそうです とはいえ、私は仕事の日程とか諸費用とか手続きとかそんなことばかり考えています。あと趣味の大会の日程調整とか。 それなりには悲しいけどそれなりです。母の身になって考えればかわいそう、というだけで、私自身の悲しみとは違う気がします。もともとあまり関係が良好ではなく成人してからは不仲でした。しかし子供の頃には良い思い出もあるというのに。 自分自身にがっかりしてます。何でこんなに冷たいんでしょう。我ながらなんかおかしいんじゃないかと思ってます。 母の生前は苦しかったろうし寂しかったろうと思いますが、死んだらそれまでだなあと思うのが本音です。 浄土真宗の人だったので、仏様がいるとすれば阿弥陀仏が死後のことはなんとかしてくれるでしょ、みたいななげやりな気持ちもあります。母は駄目な人でしたが、そういう人でも、家族にろくに供養されなくても、阿弥陀仏はなんとかしてくれるって聞いてます。生前一度でも南無阿弥陀仏と唱えれば仏様との縁が結ばれて、すべての衆生を救いたい阿弥陀仏の本願によって西方浄土につれてってもらえるんですよね? もう私は供養とか関わり合いになるの嫌だ。 私もきっと一人で苦しい思いをしてのたれ死ぬんだろうなあと思います。

有り難し有り難し 19
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生きるということがわからなくなりました

5人兄弟の末っ子です。先日兄が死にました。6歳上の兄です。俳優に憧れ、戦隊ヒーローの俳優になるからと上京したものの、所属した劇団の人に騙されて借金を背負い、返済のために企業に就職したもののギャンブルにハマりさらに借金を大量にこさえて首が回らなくなった結果、自分で首を吊りました。寒い冬の日でした。 それ以来私の中の死生観が変わってしまいました。人は突然死ぬ、居なくなる、と気づいてしまいました。私も明日また目が覚める保証なんてないと思うようになり、眠れなくなりました。 明日の約束が、友人や家族としにくくなってしまいました。だって目が覚めるかわからないのです。守れない約束をして、困らせたくありません。 将来のことも分からなくなってしまいました。行きたい大学がありました。でもそこに通うには上京しなくてはいけません。両親は、兄のこともあってか私を実家から離れさせたくはないようで家から通える大学にしなさいと言われてしまいました。もともと勉強することは好きだったのに、身に入らなくなってしまいました。事情を知らない学校の先生には出来もしないのにこの大学に行きたいなんて言わないでちょうだいと怒られてしまいました。私だって行きたくはありません。行けるかもわかりません。 自分でスクールカウンセラーに相談もしてみましたが、兄のことを話すと母が可哀想だと泣かれてしまいました。私の相談そっちのけで母の心配をされました。私を心配して欲しいわけではなかったのですが、私の話はあまりきいてもらえませんでした。 やりたいことがわからなくなりました。生きなきゃいけない理由もわからなくなりました。 上の兄は、死んだ2番目の兄の分まで生きなきゃと言っています。姉2人は一周忌までは生きてみようと思う、とよく言っているのですが、私にはよくわかりません。だって自分ではそう思っていても明日には身体が勝手に死んでるかもしれないのに。 父にも母にも相談が出来ません。相談する時にどうしても兄のことを話さなくてはいけないからです。辛い思いさせてごめんねと泣かれてしまって、それ以上話がすすまないのです。 人の生きる意味ってなんなんでしょう。どうして突然死んでしまうんでしょう。兄の場合は突然死とは少し違うのかもしれませんが…。結局死んでしまうなら、最初から産まれない方が良かったのではないかと思っています。

有り難し有り難し 18
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20年 二人暮らしだった母

初めてこのサイトを見つけました。 こらえていた気持ちを、書き連ねてしまいそうです。 母は、楽しいことが大好きな人でした。 難病がありましたが、アルツハイマーの併発・進行の為、 家での私の付き添いが厳しくなり、認知症病棟へ入院。 2か月でベットから車いすに行けなくなり、 さらに2か月でどんどん食事がとれなくなり、なくなりました。 入院させたときはあんなに大声出せたのに、、腕もブンブン振り回せたのに。 病のあった父と 育ち盛りで気難しい子を、働きながら支えてくれました。 父がなくなったあと、母65才の時から2人で暮らし始めました。 気分屋の母で、本当は水と油な親子だけど、2人でケンカしつつも暮らしてきました。 20年間。 母が歩けるときも、車いすになっても一緒に外出しました。 どこに行けば喜ぶか、一生懸命考えました。 一人で立ち上がりできなくなり、でも介護度を上げることは嫌がりました。 色んなことがあったのに、思い浮かべると 世の中ではきっとよくある事ばかり。 自分の視野の狭さ、忍耐のなさ、逃げ回ってしまった愚かさ。一人の部屋。 母を追い込んだ病院に夜中に行って、首吊ってやろうという気持ちが 顔をだしたりします。 でも、病院に入れたのは私です。 母は生きたかった。短いかもしれないけど、少なくともその時が死ぬとき、じゃなかった。 リハビリ受けてやる気満々!な母をだまして入院させてしまった。 在宅最後の2か月だけ家に来ていただいたヘルパーさんに 「まだ生きてていい?」って言っていたそうです。 お母さんを殺した私はどうすればいいんだろう。 精神科は母がなくなる1か月前から通っています。 「とにかく眠ること。休むこと。」そのための薬を出してくれます。 でも、悪夢で寝るの怖いんですよね。 知らない男女が、「大丈夫、いま楽にしてあげるからね」と言ってわたしの首にネクタイを巻こうとする。 知らないおじいさんが、私を押しつぶそうとする お母さん、ごめんなさい ごめんなさい 私は今54才。 お母さんの年まで30年。長すぎる。寂しすぎる、 お母さんに会いたい。謝りたい。仲良くしたい。 何を見ても、外を歩いても、何も感じない。 早く迎えに来て。お釈迦様おねがいします。

有り難し有り難し 11
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