お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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放下著
ホッタラケ、ホッタラカシ、放っておく、ホーチミン。
仏のホッタラケの功徳は、自分の見える、聞こえる、香る、感じる、思えることを、そのままにしておくことです。自然にそう感ずるわけですからそれは自分がやったことというより、この身心、この生命、この頭脳が天然自然に生じさせているものです。
むしろそれをホッタラケにしない、放っておかないという事はそれをとどめようとすることですから執着です。こだわり、思い留める事、追憶、追認。
現実の目の前はリアルタイムで変化していっているのに、子事が過ぎた事・変化していることを今もまだそうであるかのように思い誤る。思い誤りなのです。
ああ、もうその事はこの心身の上には怒っていないのだなぁということがハッキリしさえすれば正しく物事を観たということになります。正しく物事を観ると言っても元々自然に過ぎていく事をそのままその通りにしているだけということです。心がものごとを追わなくなった、こだわらなくなった。それがホッタラカシ、ホッタラケの功徳でしょう。
禅語ではこれを放下着、放下著と申します。
多くの人が誤って解釈されるのですが「今から何かを新たに捨てること」ではありません。
元々、何もはからいをせずとも自ずから放下されていっているのです。
ここに気づけるとわざわざ放下(捨て去る)するようなことが要らないと分かり、無為に目覚めます。
「自分が捨てようとする以前から、物事の方から自然に変化し、離れていって、すたれていっている。」
この目覚めが道元禅師の悟り「心身脱落」するのではなく、もともと脱落していっている心身の様子「脱落身心」の生き方です。
ごめんなさい
質問が簡潔すぎて質問の趣旨がわかりません。
もしかして、
http://hasunoha.jp/questions/3986
この質問の丹下師の回答をお読みになり、ホッタラケに興味を持ったのでしょうか?
そういう事でしたら、一度ここのお寺さんの坐禅会に一度参加してみては?
http://hasunoha.jp/temples/26
ごめんなさいね。
もう一度新しい質問を立ててください。
追記
お!ホッタラケの丹下師の回答がはいりましたね(笑)
質問者からのお礼
丁寧な解説誠にありがとうございます。何回も何回も読んで感覚的に理解できるようにしてみます。