hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
そらノート 亡くなった人やペットに思いを伝えよう hasunoha姉妹サイト登場

職場の先輩の死

回答数回答 3
有り難し有り難し 78

私は今年1月より職場での異動がありました。新しい職場では戸惑いもありましたが親切な先輩方に囲まれ恵まれた環境で働かせてもらっています。
そんな中、今月4月に先輩職員の突然の訃報がありました。私が異動して4ヶ月が過ぎようとした時の事でした。その先輩とは同じ職場内でも所属している所が別な為、一緒に仕事をすることは数える程しかありませんが親切で優しい先輩です。そんな先輩の突然の訃報。言葉では表現出来ない程とても悲しくて辛いです。亡くなった先輩のことが頭から離れず仕事もなかなか集中できません。また勤務上、葬儀・告別式にも行くことが出来ずとても後悔しています。こんな私に何か出来ることはないでしょうか。

気持ちの切り替えがなかなか出来ず送らせて頂きました。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

生きること と 活きること

謹んで先輩のご冥福をお祈りいたします。
一日も早くお心の曇りが晴れますことをあわせてお祈りいたします。

人は死んでしまったらそれでお終いなのでしょうか。
死を終焉、終局とさせないことが仏の教えです。
大切な方が亡くなられた後、その方を亡くしたままにすると、本当にその人は死んでしまいます。
これはどういうことかと申しますと、お釈迦様もキリスト様も、亡くなられた後、弟子たちがその精神を継いでいったからこそ、その教えが歴史を越えて生き続けているのです。
身近な例を申し上げますと、ドラえもんやサザエさんの原作者は亡くなられていますが、その作品を生かす方がおられ、今も世界各国で放映されています。だからこそ時代がかわっても、生〈活〉きた作品として、今もなお小さい子供達を勇気付けたり、励ましてくれるのでしょう。
名画や音楽などの芸術、名匠の技法も何百年も生き続けています。
お釈迦様の教えも、その教えを学び、伝える人がいるから2500年も生き続けているのです。

人は肉体としての命が滅びても、影響力、活動体としての働きは永遠に活きるのです。
私達は人間だからこそ、人の命や伝統や教え、技法や人格を後世に伝え、活かすことができるのです。

大工さんや木工職人さんのお仕事は、木を殺すことではありません。
木の命を最大限に活かすことにこそ、その本分があります。
木の命は死んでしまっていても、木材、製品として重用すれば国宝、文化財などのように千年以上も活きるのです。
生活とは、生きる、活かす、と記します。
ここに私たちが何気なく使っている生活という言葉の深みがあります。
生きた命としての生は終わっても、活きるはたらきとしての命の営みに終わりはありません。

私はあなたが先輩から教わった“親切心”、学んだこと、為になったこと、励みになったこと、大切に感じたことを、いつか誰かに伝える役割を担っているとおもいます。

あなたがこれをきっかけに、ご縁として先輩から教わった親切心を受け継ぐことを志し、先輩に代わって良き心を広める役割を担われることを祈っております。
そうして生活をすることが先輩への報恩の供養となり、いつの日かきっと心も晴れることでありましょう。

{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが子供達の笑顔になりました


丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 質問 📞08020659278 どなたでも。

仏としての”いのち”を生かす

せのさん

20歳代のせのさんからして親しみを感じる先輩ということは、20代〜40代の方だったのでしょうか。
いずれにしても亡くなるような年齢ではない方の突然の訃報に、ご家族も周囲の方も、そしてせのさんも大きなショックを受けられたと思います。

また、せのさんは先輩の弔いの場に行けなかったことを悔やんでいるのですね。
仕事があったのですから仕方なかったとは言え、せめて手を合わせお焼香をしたかった。
「後悔しています」という部分を読んで、やはり弔いとは亡くなった方だけのために行うのではなく、生きている方のため、という意味合いも大きいのだと再確認いたしました。

同じように後悔している職場の方もいらっしゃるのではないでしょうか。
それぞれがバラバラにご遺族の元に訪れるのは、先方にとっても負担になる場合があります。
同じ気持ちを持っている方がいらしたら、ご一緒にご自宅にお参りに伺ってみてはいかがでしょうか。
ご遺族としても、職場の方がわざわざ弔問に来てくれた。そして家族の知らない一面を聞いて、こころ癒されるということがあります。お考えになってみて下さい。

そして実際の行動とは別にせのさんに出来ることは、その先輩のことを忘れない、という事でしょう。
先輩のことを心の片隅に置いておく。そしていつか先輩の死から、大切なことを考えさせられたり学ばされたりすることがあると思います。

亡くなった方を「ほとけ」と表現することがありますが、「死者=ほとけ」ではありません。
その方の死を縁として大切なことに気づかされた時こそ、亡くなった方が「仏としての”いのち”を生きている」という事になるのではないでしょうか。

なんにせよ、こころの痛みは時間をかけて癒されるものです。
無理に忘れたり、考えないようにしなくても良いと思います。
あせらず、急がず、じっくりと向き合って下さい。

{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが子供達の笑顔になりました


浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...

先輩とのご縁

せの様へ

おそらくその先輩の方とはご縁があったことでしょう。
人間の関係の深さは共に過ごした時間の量だけでなく、そのときの質も大いにあります。
特にあなたにとって印象深い方だったのでしょう。
何かあなたに訴えているのかもしれません。
もし可能でしたら、墓地に行って問いかけてみるといいかもしれません。

でもそれが無理なようでしたら
その先輩の方をふと思い出した時に
手を合わせて問いかけてみてください。
なにか答えが返ってくるかもしれません。
                         合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが子供達の笑顔になりました


鈴木光浄
「人の一生に寄り添うことのできるお寺」を目指しております。さまざまな御縁を...

質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。
先輩から教わったことを大切にし、先輩を忘れることなくこれからの仕事に活かしていきます。
気持ちはまだ晴れませんが頑張っていきます。

「身近・大切な人の死・悲しみ・喪失」問答一覧

祖母の死

長文になりますがご了承ください。 先月、母方の祖母を亡くしました。 死因は入院先の病院で食事をとっていた際に喉を詰まらせてそのまま心臓が止まってしまったそうです。 入院は今回が初めてではなく過去に何度か熱が出て高齢のため念のため入院という事はありました。 しかし今回は治療も終わっており退院日も決定していて退院日前日の入院先での食事中の出来事だったようです。 100歳を超えていて自分で食事をすることはできなかったので看護師の方に食べさせてもらっていたんだと思います。 自分で食事をしていて喉を詰まらせてしまったのであれば百歩譲ってしょうがなかったのかなって思えるのですが、看護師が食べさせて喉を詰まらせたということが本当に納得できません。 祖母の食事を担当してくれていた方が注意してくれていれば喉に詰まらせる事はなかったのではないかとつい思ってしまいます。 帰省した際に父と2人きりで話す時間があり、父も死因に納得いっていない様子だったのですが、母は病院を責められないと言っていたそうで本人がそう言っている以上、母の気持ちを尊重しようということになりました。 小さいときからとても可愛がってもらっており、一人暮らしのため県外に住んでしまったのと最近だとコロナの影響もありなかなか会いに行けていなかったのですが、必ず祖母の誕生日には親戚一同、施設に集まってお祝いするのが恒例になっていました。 来年の誕生日会をするのをすごく楽しみにしていたので本当に悲しいです。 母は普段から辛い事や悲しい事はあまり表に出さない性格で、私も似ている部分はあるのでそんな私でも悲しみに耐えられず葬儀も涙が止まらなかったのに亡くなった連絡をくれたときも、霊安室に一緒に行ってくれたときも、葬儀中も母の涙を見ることがなく気丈に振る舞っている姿を見て胸が苦しくなり今も思い出すと涙が出てきます。 ずっと泣いてばかりではいけないしいつかは受け入れなくてはいけない事はわかっているのですが、死因に納得いっていないことが余計に引きずってしまいます。 身近な人の死を経験するのは今回が初めてではないですが、立ち直れる気がしません。 夜になると祖母のことを思い出しては泣いての繰り返しです。 どうしたらいいのかもうわかりません。 ご教示いただけますと幸いです。宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

8月末に母が亡くなりました

8月末に母が亡くなりました。 実家のマンションのリフォームの関係で悩んでおり、私も色々と協力したり、 お金の面でも工面すると話していました。 母は判断力も低下しており、寝不足気味の様でした。 私も話を聞いていて憔悴してしまっていました。 母に安定剤をもらいに病院に行こうと、話していた矢先、 母は「病気とかじゃないんだよ」と言っておりましたが、 父が自宅にいるときに黙って外出し、私も仕事をしていた時に母は川へ行った様で入水し、溺水で亡くなっていました。 あくる日、帰宅していないので、警察に捜索願を出していた所、散策をしていた方に中洲で亡き母を発見されたようです。 生前は一緒に出かけたり、ご飯を食べに行ったりと大変仲が良く、趣味も近く友達の様な存在で、もう一生会えないと思うと寂しくて悲しいです。 解剖の結果、死因は溺水で不慮の外因死ということでしたが、 今も気持ちの整理がつきません。 どうか安らかに眠ってほしいです。 母に寄り添ってあげられなかった罪悪感が拭えません。 この先気持ちを整えていくには何が出来るでしょうか? 母の事、大好きでしたので、母に会えない私の一生なんて、短くて構わないと思ってしまいます。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

友達の死について

先日僕の通っていた学校の友人Aが自らの手で命を断ちました。 その子とは同じ職種であり、良き友人としてこれからも色々僕たちでして行こうと約束していました。 実は学校在学中にも別の友人Bが自らの手で命を断ちました。 この二人も友人同士でした。 Bはもともと心がとても弱く未遂をたくさん起こして来ている子でした。 でも僕とAと接しているうちにだんだん症状が緩和されて来たのでたすが、突然心に負担のかかる出来事が重なってしまい、亡くなってしまいました。 僕とAは自分が力になれなかった事にとても後悔しそんなバカな事するべきでは無いと思いました。 こんな出来事がありAがこんな事をするなんて微塵も思いませんでした。 でもよく考えてみれば、僕とAの職業はとてもストレスがかかり将来の不安が付き纏います。地元からも離れ簡単に帰って来れる場所では無いど田舎に住んでいました。 相談できる友人もすぐ近くにいなかったと思います。 先月にも結婚をし家庭という不安をのしかかり 色々混ざり合っていたかもしれません 今回も色々重なり合っていたかもしれません。 先月に会った時はそんな予兆は感じられませんでした。 でもそれが間違いで何か小さいsosを出したかもせのしれません。 ただ僕がAのsosにBの事もあり勝手な思い込みで拾ってあげれなかっただけでは無いか 僕は何故同じ過ちを繰り返してしまったのか、Bは助けてあげれたのでは無いかと心がとても苦しいです。 この気持ちどう整理をつけたら良いでしょうか?

有り難し有り難し 28
回答数回答 1

関連する問答

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る