職場の先輩の死
私は今年1月より職場での異動がありました。新しい職場では戸惑いもありましたが親切な先輩方に囲まれ恵まれた環境で働かせてもらっています。
そんな中、今月4月に先輩職員の突然の訃報がありました。私が異動して4ヶ月が過ぎようとした時の事でした。その先輩とは同じ職場内でも所属している所が別な為、一緒に仕事をすることは数える程しかありませんが親切で優しい先輩です。そんな先輩の突然の訃報。言葉では表現出来ない程とても悲しくて辛いです。亡くなった先輩のことが頭から離れず仕事もなかなか集中できません。また勤務上、葬儀・告別式にも行くことが出来ずとても後悔しています。こんな私に何か出来ることはないでしょうか。
気持ちの切り替えがなかなか出来ず送らせて頂きました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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生きること と 活きること
謹んで先輩のご冥福をお祈りいたします。
一日も早くお心の曇りが晴れますことをあわせてお祈りいたします。
人は死んでしまったらそれでお終いなのでしょうか。
死を終焉、終局とさせないことが仏の教えです。
大切な方が亡くなられた後、その方を亡くしたままにすると、本当にその人は死んでしまいます。
これはどういうことかと申しますと、お釈迦様もキリスト様も、亡くなられた後、弟子たちがその精神を継いでいったからこそ、その教えが歴史を越えて生き続けているのです。
身近な例を申し上げますと、ドラえもんやサザエさんの原作者は亡くなられていますが、その作品を生かす方がおられ、今も世界各国で放映されています。だからこそ時代がかわっても、生〈活〉きた作品として、今もなお小さい子供達を勇気付けたり、励ましてくれるのでしょう。
名画や音楽などの芸術、名匠の技法も何百年も生き続けています。
お釈迦様の教えも、その教えを学び、伝える人がいるから2500年も生き続けているのです。
人は肉体としての命が滅びても、影響力、活動体としての働きは永遠に活きるのです。
私達は人間だからこそ、人の命や伝統や教え、技法や人格を後世に伝え、活かすことができるのです。
大工さんや木工職人さんのお仕事は、木を殺すことではありません。
木の命を最大限に活かすことにこそ、その本分があります。
木の命は死んでしまっていても、木材、製品として重用すれば国宝、文化財などのように千年以上も活きるのです。
生活とは、生きる、活かす、と記します。
ここに私たちが何気なく使っている生活という言葉の深みがあります。
生きた命としての生は終わっても、活きるはたらきとしての命の営みに終わりはありません。
私はあなたが先輩から教わった“親切心”、学んだこと、為になったこと、励みになったこと、大切に感じたことを、いつか誰かに伝える役割を担っているとおもいます。
あなたがこれをきっかけに、ご縁として先輩から教わった親切心を受け継ぐことを志し、先輩に代わって良き心を広める役割を担われることを祈っております。
そうして生活をすることが先輩への報恩の供養となり、いつの日かきっと心も晴れることでありましょう。
仏としての”いのち”を生かす
せのさん
20歳代のせのさんからして親しみを感じる先輩ということは、20代〜40代の方だったのでしょうか。
いずれにしても亡くなるような年齢ではない方の突然の訃報に、ご家族も周囲の方も、そしてせのさんも大きなショックを受けられたと思います。
また、せのさんは先輩の弔いの場に行けなかったことを悔やんでいるのですね。
仕事があったのですから仕方なかったとは言え、せめて手を合わせお焼香をしたかった。
「後悔しています」という部分を読んで、やはり弔いとは亡くなった方だけのために行うのではなく、生きている方のため、という意味合いも大きいのだと再確認いたしました。
同じように後悔している職場の方もいらっしゃるのではないでしょうか。
それぞれがバラバラにご遺族の元に訪れるのは、先方にとっても負担になる場合があります。
同じ気持ちを持っている方がいらしたら、ご一緒にご自宅にお参りに伺ってみてはいかがでしょうか。
ご遺族としても、職場の方がわざわざ弔問に来てくれた。そして家族の知らない一面を聞いて、こころ癒されるということがあります。お考えになってみて下さい。
そして実際の行動とは別にせのさんに出来ることは、その先輩のことを忘れない、という事でしょう。
先輩のことを心の片隅に置いておく。そしていつか先輩の死から、大切なことを考えさせられたり学ばされたりすることがあると思います。
亡くなった方を「ほとけ」と表現することがありますが、「死者=ほとけ」ではありません。
その方の死を縁として大切なことに気づかされた時こそ、亡くなった方が「仏としての”いのち”を生きている」という事になるのではないでしょうか。
なんにせよ、こころの痛みは時間をかけて癒されるものです。
無理に忘れたり、考えないようにしなくても良いと思います。
あせらず、急がず、じっくりと向き合って下さい。
先輩とのご縁
せの様へ
おそらくその先輩の方とはご縁があったことでしょう。
人間の関係の深さは共に過ごした時間の量だけでなく、そのときの質も大いにあります。
特にあなたにとって印象深い方だったのでしょう。
何かあなたに訴えているのかもしれません。
もし可能でしたら、墓地に行って問いかけてみるといいかもしれません。
でもそれが無理なようでしたら
その先輩の方をふと思い出した時に
手を合わせて問いかけてみてください。
なにか答えが返ってくるかもしれません。
合掌
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
先輩から教わったことを大切にし、先輩を忘れることなくこれからの仕事に活かしていきます。
気持ちはまだ晴れませんが頑張っていきます。