復讐心
いろいろなことが5年間のあいだにありある修道女さんの本を読み
同じ土俵に乗らないように過ごしてきましたが
それを逆手にとりやりたいひょうだいでよからぬ邪心が
浮かんで消えの繰り返しです
そんな時の対処法ありませんか?
私は仏教系の学校だったのでその時を思い出して
瞑想してみましたがダメでした
すべてを許せないのは何故かと思うと
私の病気療養中の出来事で記憶があいまいの中での出来事で
悔しい気持ちが消えませせん。
そんな感じです!!
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
この言葉を心の中で念じてください
>婆羅門(バラモン)を殴(う)つなかれ
されど婆羅門は、これに怒りを放つなかれ
婆羅門を殴つものに災いあらん
されど
殴たれて怒るものに
さらに災いあらん
この言葉はとても古い経典に見えるお釈迦さまの言葉です。
バラモンとは出家修行者のことです。仏教ではなく、バラモン教の僧侶のことをバラモンと呼び分ける場合もありますが、この言葉はそのような言い分けが生まれる以前のものです。
さて、この言葉で私が何を言いたいか?お釈迦さまも理不尽に怒っていたのです。お弟子さんと一緒に肩を震わせながら、それでも辛抱なさっていたのですよ。「お坊さんを殴る奴なんかロクでもない。でもな、それを恨むお坊さんはもっとロクでもないんだ!」そうお弟子さんと自分自身に言い聞かせて、辛抱なさったのです。かの大聖人たるお釈迦さまでさえ、そうだったのです。怒りは決して無くなりません。そりゃそうです。ヒトの進化の結果ですもの。人は怒って当たり前なのです。
でも、それでも、怒りを大きくしない努力をしないといけない。 なぜなら、怒りを大きくすればするほど、結局は自分自身の心に刺さり、自分自身を苦しめるから。お釈迦さまはそれを悟ったから、「殴(う)たれて怒るものに、さらに災いあらん」とおっしゃったのです。
堪えることを仏教では忍辱(にんにく)と呼び、大切な修行の1つと見なしています。どんなに悔しくても、復讐しない。今日1日、復讐せずにいられたなら、それは大きな大きな功徳です。そこに目を向けましょう。