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父を説得する為にはどうしたら良いでしょうか

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私は寺院の長女として生まれ、育てられてきました。

学生時代にご縁があり、男性とお付き合いする事になりました。当時、お付き合いしている男性がいる事は母には伝えており、一度会ってもらいました。母はとても良い人だねと言ってくれ、その後父にも話したようです。

その後、何か月かお付き合いする内に、当時お互い学生ではありましたが結婚を意識するようになりました。私が一年早くに就職し、彼が内定を頂いた時点で、配属先が決まったら着いてきて欲しいというようなことを言ってもらえました。
入社したてで精神的にも辛く辞めたいと思っていた時期だったので、とても嬉しく、その言葉が心の支えでした。私と彼の間では結婚する事前提での将来設計なども話しておりました。

しかし、母から聞いた話によると、父は親戚関係を広げる為に近所の大きいお寺の男性と私を結婚させたいらしく、だいぶ前に相手方のご両親とそのような話もしていたそうです。

また、父と話した際、「結婚したら男は変わる」「(彼が)自分の家の宗教も分からないなんて」と、とても酷く非難されました。

両親は大学時代に知り合い、母は在家から寺院へお嫁に来た人で、「私は何も言えない」「ただお父さんは寺院の方と結婚してないのに子どもに強いるのはおかしい」と言ってくれています。

父は、以前私が今の職場を転職する意味で3年働いたら辞めると伝えた事を、結婚する為に3年で辞めると解釈して怒っているらしく、そこにも苛立ちを覚えています。

また、お付き合いしている彼は、「(私)以外に結婚したい人なんかいない」「けど仕事を辞めて地元へ着いていけるかと言ったらそれはできないかもしれない」と言っています。

両親には、今お付き合いしている方と結婚したいという事は伝えています。また、母には彼以外に結婚しようと思えない事、もし認めてもらえないのであれば一生結婚はしないという事を伝えました。

正直なところ、両親は恋愛結婚をしていて、自分はそれが許されないというのが納得いきません。また、私の結婚を寺院の為に利用しようとしているようにしか思えないのです。

父に彼との結婚を認めてもらい、寺院の方との結婚を諦めてもらうには、彼と直接会ってもらうしか方法はないのでしょうか。また、どのように話したら父を説得できるでしょうか。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

お寺あるある

マルコさんはじめまして。
ご質問読ませていただきました。

大寺院の親戚をつくれば、なにかとプラスに働くだろうと考えておっきいお寺さんの息子さん、娘さんとくっつけさせよう。
とするのは悲しいかな、お寺あるあるです。

いきなり極論ですが、
マルコさんが本当に彼と結婚したいなら、する気なら
たとえお父さんに認めてもらえなくとも結婚する覚悟を決めましょう。
お寺の為に好きでもない人と結婚するなど馬鹿らしい。
マルコさんのことを思ってのこともあるのでしょうが、それは思い違いでしかない。

違う質問で弟さんのことも拝見しましたが、
今後弟さんがどういうきっかけで、仏道を歩もうと心を起こされるかはわかりませんが、
現になりたくても、住職になれない僧侶はたくさんおられます。

本当にやりたくない、なりたくないのならならなくともよいと思います。

話が変わってしまいましたが、

とにかくマルコさんは断固とした姿勢でお父さんと向き合ってください。
『私はこの人と結婚する』
胸を張っていてください。

その覚悟がお父さんに伝わることを願っています。

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生きるための仏教 生身の私達のための仏教 私たちが人生を歩む上でかかせない杖となる教えが仏教です。 そんな、「生きるため」の仏教をお伝えできたらと思います。 Instagramにて 2.3日に一度のペースで門前掲示板の一言を掲載しています。宜しければそちらもご覧になってくださいね。 asuka_yuishoji で検索してください。

父親の言いなりにならないこと

このhasunoha経由で直接ご相談に来られたお寺のお嬢さんが結婚することになりました。最初は尼さんになる覚悟だったそうです。おめでたし!http://hasunoha.jp/questions/478
さて、僧侶の世界には僧侶でありながら寺をわがものとして、親族結縁身内で固めてお寺の要所要所を乗っ取ってしまっている人たちがいます。
そうするとお寺をロボットであるとすると、お寺ロボットの操縦士が仏教人ではなく、単なる凡人感覚、身内感情丸出しなのでお寺が公共性社会性を帯びず仏法が滅びます。
だから、家の結婚、お寺の結婚として見るというようなことは本来あってはならんことであると丹下の知り合いが言ってました。
よって、そもそも、あなたがらはお寺無しに物事を考えればいいのです。
本当に姉弟でやりたいことをやってごらんなさい。
それぞ出家です。
どうせ、お父さんは永遠に定年が来ません。
お父さんがお寺から真に出家する時は亡くなる時かもしれません。
あなた方がお寺に執着しなければこの問題は即解決です。
お父さんは子供たちの出家の態度に見倣う事があるかもしれません。
以上です。おめでとうございます。



って、なった時、いよいよやべぇ、となり、本当の答えが出ます。
結婚したもん勝ちな部分もあります。
修行道場にはたまに「愛の戦士」…お寺の娘と結婚してしまったが為に、自分が住職をやらなければいけなくなり修行道場にやってくる者がやってきます。
ぶっちゃけ、仕方なく修行に来る人は坊さん意識レベルは低いっす。
その辺も考慮して、もう一度、お寺が何をするべき所かを考えてみましょう。
一番いいのはあなた方が姉弟が人生に本当に迷い苦しんでお寺によって救われて、ああ、お寺ってスゲエ、坊さんってスゲーって思って、私もなりたいと思うことだと思います。もっと、悩めばいい。苦しめばいいんですよ。良い意味で。(´▽`*)そこにはじめて真のお寺、お坊さんへのオファーが生じるのですから。そして、そこでお坊さん心が芽生えた人こそが一番適任になり、その心が生まれなければ仏法を継承すべき立派な人をお招きすればよいのです。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

こういうことはお寺あるあるなのですね…

父に認めてもらうまで、また認めてもらえなくても断固として自分の意見を曲げずにいこうと思います。

少し勇気が出ました。ありがとうございました。

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