過去が苦しすぎる。
高校は不登校になり転校し、大学は中退しました。
ここ最近まで自分のされたこと言われた悪口を考えては涙していました。
現在は穏やかにゆっくりですが生活していて、やりたいことなどもでき、気持ちに余裕があるような気がします。(寛大な父母に感謝です)
ですが、ここ数カ月、やりたい事や幸せなことを考えると、以前とは違い自分がしてしまったことばかりを考え、
(ある子にはブスと言われたときに心配してくれた友達にやつあたりをしたこと、部活で一緒だった子に電車の席をわざと譲らなかった)など自分は果てしなく悪人だったのかもしれない、申し訳なく思い、もし自分が幸せを手にしたとき、充実したとき、やりたいことが成功したときに再会し殺しに来るかもしれない、ものすごく恨まれてたら…
など極端ですが本気で考えてしまい、もう6年位前のことですが、死にたくなるくらいになってしまいます。
ふと現実的に考えると、被害妄想となんとなくわかっていますし、たいして気にすることでもないのかもしれません。
昔の自分より大人になったからこういう考えができるんだ。意地悪くらい誰だってあるよと言い聞かせるのですが、どうしても上の考えが頭から離れなくなり、怖くなり気が狂いそうになりいっそ死のうかなど考えてしまう時もあります。
精神的な病かもとも考えることもあります。
「前向きや幸せ」がなんだかとても怖く居心地が悪い気がし、どうすればいいのかわかりません。
反面やっと前向きな生活を送れるようになったから、こういう考えや過去を振り返らず、楽しく生活していきたいという思いも強く心がこんがらがってしまい相談させていただきました。
お坊さんからの回答 1件
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過去の自分が恥ずかしいのは、心が成長した証拠。
ゆんさん、こんにちは。
過去の悪行にこだわって苦しいのですね。
それはあなたの心が清らかになった証拠なのです。自分の過去の悪いところが見えるということはこころの成長の証です。
私も同じです。信仰で心が清まれば清まるほど、過去の自分の行為が恥ずかしくて仕方がありません。なんであんなことしたんだろうと。
でも過去の行為は消すことは絶対できません。だから前を向いて善行をつんでいくしかないのです。その自分の犯した体験が今度は宝物になります。同じ罪を犯している人にそれをしてはいけないと伝えることができます。体験ほど強い信仰の支えになるものはありません。清流に魚住まず、蓮華の花は泥水に咲くのです。
今までの過去の辛さを自分の善行の養分にしてください。必ずあなただけの味のある人生、あなたを魅力ある人間に育てるはずです。
精進精進、合掌
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
優しいお言葉、助言、とても心に染みました。
少し心が軽くなったように思います。
この体験を無駄にしないよう、日々成長しながら生きていきたいと思いました。
ありがとうございました。