就活(教員系)に疲れた
こんにちは。私は今、私立高校で国語を教えています。身分は非常勤講師で、1年契約です。
現在就職活動中で、学校の正規採用を目指しています。
私は大学時代から教師を目指していて、就活をせず教員一本に絞り公立の教員採用試験を受けたのですが、1年目は最終面接で落ちてしまいました。
大学を卒業後は講師をしようと考えていたのですが、筆記試験の勉強する時間がないと思い、公務員系の予備校に通うことに決めました。
その結果最終面接までこぎつけることができたのですが、不合格。無職になってしまいました。
その後は塾講師などをしながら2月にようやく非常勤講師として採用されました。
今年は非常勤講師として働きながら採用試験を受けようと考えていたのですが、仕事に忙殺されあまり勉強できないまま、採用試験を受けました。今は結果待ちです。
そして勤務校での採用試験も受けたのですが、本日不採用の通知をいただきました。
自分が働いていた学校からも「お前は認められない」という通知が来たことでショックを受けました。
同期たちは就職したり、1年目で採用試験に合格していたりします。後輩も1年目で受かり、私だけが足踏みしているような状態です。
現在は家族と暮らしているのですが、父の定年も迫り、焦っています。
もう3年も受けていて、受けてきた総数では8つの試験に落ち続けています。全て、最終面接で落とされていて自身の人間性に非があるのではないかと思い始めています。
私の中では今、
「このまま正規採用をされないのではないかという不安」
「父や母の定年が迫る焦り」
「同期や後輩達と比較してしまう情けなさ」
「そもそも自分が教員という仕事に向いていないのでは、という落胆」
が心を占めています。
もうハローワークや求人を見て就活し、正社員を目指したほうがいいのかと思い始めています。
しかし教員は諦めたくない。なんとしてでも、先生をやりたい。
こんな心の揺らぎがあるからこそ、なかなか正規採用されないのではないかとも思います。
自分が社会に必要とされてるのか、教員としてやっていけるのか、そもそも将来生きていけるのか、がものすごく不安で眠れないです。
情けない悩みですが、アドバイスもしくはお言葉をいただけると嬉しいです。
長文失礼しました。よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
どのような人生も、真剣に自分の進路を歩む人生は、誇らしい人生
はじめまして。亀山純史と申します。
ご相談文の中に、「情けない悩み」と書いてありましたが、決してそのようなことはありません。
私は現在、僧侶のほかに公立高校で教員もしていますが、私の周りにも採用試験を何年も受けている同僚がいます。そして三十半ばにしてやっと合格したという人もいるようです。また、数年間採用試験を受けていましたが、ある年、県警の試験を受け合格し、現在、警察官として働いている知人もいます。最後まで自分の意志を貫いて教員になった人、途中で方向転換をした人。どのような人生も、真剣に自分の進路を歩む人生は、誇らしい人生でしょう。
さて、勤務校での採用試験も不合格だったということで、その心中お察しいたします。たぶん、あなたよりも採用試験の成績がよかった方が受験していたのだと思います。これは公立学校での臨時採用の先生も同じです。臨時採用になっているからといって、翌年の採用試験に合格する保証は何もありませんし、先ほど紹介いたしたような臨時採用の身分で何年も採用試験を受験している人もいます。ですから、教員になることを追い続けるならば、今回のことでくじけることなく、精進してほしいと思います。
最後に、どのような道を進むかの最終判断は、あなた自身が下さなければなりません。そのとき、どんなに自分に教員としての適性があったとしても、採用される保証はどこにもありません。そして採用試験への挑戦も無制限にできるわけでもありません。年齢制限やあなた自身が置かれている立場も考慮しなければならないわけです。これは教員採用に限ったことではありません。たとえ別な道を選んだとしても同じです。そして一度決断したならば、それに向かって精進してください。どのような人生も、真剣に自分の進路を歩む人生は、誇らしい人生です。
教師になりたい…それも煩悩なんですね…
ご質問内容ががあまりにはっきりしていて、また御自身の悩みを的確に捉えている点など、「本当に先生でいらっしゃるんだ」と実感しました…当たり前ですが。
先生は教わるものだという意識しかない当方が回答するのはおこがましいのですが、その点はお許し下さい。
そして私の持つこのような先生への先入観・あこがれは、あなたもお持ちでしょうし、それが苦しみの元にもなっています。なぜならばそれが煩悩だからです。
先生になりたい…先生は安定している…先生は尊敬される…先生は天職である。それがあなたの先入観(煩悩)なのかも知れません。
でも、生徒を教えることに喜びを感じるのであるならば、それが先生になりたい一番の理由であるならば、別に学校の教師でなくても、塾講師、また海外・国内での日本語教師という選択肢もあるのではないですか。
将来生きていけるかどうか心配なのは、皆一緒です。どんな職業、どんな人間にも順風満帆の暮らしが約束されているわけではありません。
今・ここ・私が必死になって生きるしかありません。皆がそうです。仏教の説く生き方です。
こういった回答を御読み頂いて、そうだなあ…とお感じになられたら、学校教師以外の道を目指すのも有りではないですか。
いや、やっぱり教師になりたいというお気持ちが強いならば、試験を受け続けてみてはどうでしょうか。
ただ、その為には回り道のようでも、先生以外の道を歩み、それを自分の強みとされてはいかがでしょう。他の教師志望者とは違う、何かの自分だけの強み…失礼ながら、それがないと今後も教員採用への道は厳しいのではないでしょうか。
大悲無倦常照我…如来は大悲心をもって倦み疲れることなく、常に我が身を照らして下さる
仏様はあなたをあきらめることも、見捨てることもありませんよ…安心して、もう少し悩んで結論出して下さいませ…。
質問者からのお礼
亀山様、小林様、返信ありがとうございます。お返事が大変遅くなり、申し訳ありません。
実はこの投稿から1週間後に、地元の自治体から一次試験の合格通知をいただきました。これまで、二次試験の対策をしておりました。
ご心配をおかけし、すみません。
お二方のおっしゃる通り、目先の結果ににとらわれず自分の人生や今やるべきこと(教育の仕事、試験対策)に集中して取り組んでいきたいと考えています。
二次が最終面接となり不安を覚えますが、まずは自信と謙虚さを忘れず、結果に縛られずに胸を張って挑みたいと思います。
本当に、ありがとうございました。