心の古傷が痛い。
おはようございます。ロータス小隊長と申します。
心理状態の制御(?)についての質問です。
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私は、幼少の頃より、「虐待だったのかしら?」と思われる行為を親族等から受けて参りました。
例:・好きな物を否定される
(「バカか」などとひと言で終わるのではなく、噛んで含めるように)
・暴力(言葉のものも)を振るわれる、見せられる
・知人による性的嫌がらせを訴えても放置、扇動される etc...
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主に、養両親と義兄(別居)によるものです。
今は養両親は亡くなり、義兄とも縁が切れつつあるのですが、
最近、頻繁に思い出されては苦しくなり、それを誰かに話しても、
「過去のことだろう。もう忘れて、前を向いて生きていきなさい」
と言われてしまい、でも、誰かに聞いてもらいたくて…
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こんなときはどうすればいいのでしょうか。
どうか、先生方のお知恵をお貸しいただきたく存じます。
発達障害あり。それ自体は気に してないけど、他の障害者が 怖い。知的障害者が一番苦手。 不動明王と婚約した身として 気にならなくなりたい。
お坊さんからの回答 3件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
親が理想的な人格者でなかった場合
毒親という可愛いレベルではない場合は親を憐れむことです。
3世代前、4世代前から虐待の負の連鎖が続いている家庭は多くあると思います。
その負の連鎖を断ち切るためには、自分が完全に「家」から独立、自立することが望ましいです。
家に縛られてしまうのも自分の意識に縛られている姿と言えましょう。
ですが、そこを自覚するのは難しい。
ならば空間的にも精神的にも一時的でもいいので完全に親を意識しなくてよい環境に身を置く。
そうする中で、自分と親のネガティブな黒い網のようなトラワレを外していくのです。
血のつながりがあっても無くても、自分の呼吸は天地であなた一人だけの独立したものです。
生命体も体の内臓から骨肉皮髪の毛一本一本に至るまであなたの身体はあなたの独自のものです。
さらに進んで、自己を深く見つめていけば、自己は天地にただ一人の存在でありながら、誰にも何ものにも属さず、名称すらなく自分という意識すら持たない状態がある。
人間が自分に自分だ「私だ」という思いすらもたない本来の様子がある。
そこを感じると、ああ人間は本来誰にも所属していない。本当に自由なんだということを確信する。
否定的な言葉なんてどこにでも溢れているものです。
ただし、それをくみ取ってしまうからいけないのです。
言葉だって拾い上げられられなければ誰のものでもない。
ネットに転がっている画像や言葉だって、誰のものでもない。
勝手に拾い上げて勝手に相手にして、勝手に縛られて勝手に騒ぎを起こすのが自分を知らない人間のすることなのです。
山奥に貼ってあるポスターに誰がクレームを言うでしょう。
もうあなたが言われたあしき言葉は誰のものでもない。
だからもう拾い上げなくていいのです。あなたが拾い上げなければ、あなたの心は汚されないからです。家の中に異臭を放つ生ごみを永く置いておかない方がいいでしょう。過去の言葉も同じです。
来週のごみの日を期限に一緒に捨ててください。
『お詫び』
投稿した文章は仏典・論書・祖録等を引用して予め法理を明示しなかった為に、回答内容が仏教とは異なった通俗的な価値観に比重を置いたアドバイスになっておりました。
この回答が仏教を学ばれる方々の妨げとなる可能性がありましたので、まことに勝手ながら回答を全て削除させていただきました。
代わりにここでは、仏教の概要を少し紹介させて頂きたいと思います。
『仏道』
仏教の門戸とその修行法は多種多様でありますが、その道のりの先にあるのは解脱です。
大乗仏教では、菩提心がその人に現れる時から仏道は始まり、数多の転生を繰り返し、数多の大師や仏菩薩と出逢いながら、久遠の修行の時を経て、その人の全てが捧げ尽くされ、そこで菩提心が開示されます。
道の始まりから人は、菩提心に導かれ解脱へ辿り着きますが、そこで悟るものも菩提心です。
道の初め、自らの苦しみからの解放を求める切なる純粋欲求であった個人的な菩提心はやがて、すべての存在を救いたいという祈りに裏打ちされた不屈の意志と信心をその人に刻み付け、非個人的な菩提心が解放されます。
そのような菩提心と與に道を歩む人を菩薩と呼びますが、菩薩の意志や信心、原動力の源が解脱の時に悟ることになる菩提心です。
菩薩が歩む大道の上には、見道や解脱、その先に続く仏としての完全な成就の因となる多種多様な修行が立ち現れます。
日本仏教という道もこの大道を源としているので、全ての道はそこへ還りつくようになっています。
その人の道はその人にとっての真性の師である覚者との邂逅や、久遠の時を與にしながら道を歩んだ法友との再会によって開かれ導かれていく歩みであると伝わっております。
どうかご質問者様の出逢いとその歩みの上に障碍がありませんように。
願以此功徳
普及於一切
我等與衆生
皆共成仏道
合掌
しっかりと聴いて受け止めて頂く方とのご縁
拝読させて頂きました。あなたのご成長の過程で様々なことを抱えていらっしゃるご様子ですね。やはり人間自分独りで抱えられないことはたくさんあります。育つ過程は違いがありますから障害となる様な影響を受けてしまうとあとあと自分で抱え込んでしまうと処理できなくなって苦しい思いをします。
それが生きる上で障害となることはままあります。
できればあなたの思いをしっかりと聴いて受け止めて頂ける方がいらっしゃることが必要ですね。友人でも先輩でも信頼できる良識ある方にお話し聴いて頂く関係を作って頂きたいと思います。菩提寺のご住職様はいかがでしょうか?
あなたがこれから人生を歩んで頂く為に大切なご縁に恵まれてお健やかにご成長なさって頂きます様にと心よりお祈り申し上げます。
質問者からのお礼
ありがとうございます!
そうですね。一度、勇気を出して、菩提寺のお坊さんに打ち明けてみようと思います。
(ほんとうに)色々話せそうな方なので(笑)
妙香 先生
ありがとうございます!
はい、もうちょっと、身近な小さな幸せ(?)に目を向けてみたいと思います。
専門家ですか…その発想はしたことがありませんでした!
何分、養母が「家のことを外に言うのは恥ずかしいこと」とかいって私を囲ってたので(爆)
丹下 覚元 先生
ありがとうございます!
親を意識しなくていい環境…あっ。
仏様に祈っている時です!!
このときだけは、
嫌なことを忘れられるんです。(思い出してもなぜか苦しくない)
真っ赤な炎に照らされたご本尊を見つめながら皆さんと一緒にお経をあげていると、すごく元気が出ます!
仏教徒でよかった、って思える瞬間です(笑)



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