hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

自分への執着が捨てられません

回答数回答 1
有り難し有り難し 5

現在、少しでも自分を変えようと、異業種のアルバイトをしております。
初めて1週間しか経っていませんが、既に苦しいです。
というのも、出勤前には軽い吐き気と頭痛を覚え、業務中も
「なんでこんなに自分は効率よく物事ができないのだろう」
と責めております。

こういった話を知人にすると、
「そもそも自分を変えたいのにその仕事を始めてすぐに『苦しい』って言ってるのはどうよ」
と言われ、対話を進めていくうちに、どうやら
「今目の前にあることを淡々と片付けられるようにならないと、苦しいだろうね。それと、叱られたりして自分が傷つくことがそんなに怖いのかい?」
と言われました。その知人の意見の通りで、私は異常に自分への執着が強いらしく、傷つくことをバカみたいに恐れています。

そこで質問です。
自分の執着を捨ててもっと淡々と生きていくには、どうすればよろしいのでしょうか。

自分の執着の根本には渇愛があるのは自分でも分かっているつもりなのですが、それを解消しようと行動はしてみてるつもりでも、心がそれを受け止められてないのではと思ったりする今日このごろです。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分への執着を捨てることは出来ません。

 自分への執着を捨てさった状態を悟りといいます。
 仏教史において、これまで生きたままお悟りを開かれた方はお釈迦様だけと伺っております。…浄土真宗での受け止め方も知れませんが…。
 執着を捨てることは出来ない…だから苦しむ私達…仏様は私のそんな苦しむ姿を心配で放っておけない…何とかすくってやりたい…ただ、我等が生きている間に悟らしめることは無理である…ならば、その命終わりた後に仏とせしめるぞ…いのち終わりた後に お悟りの、仏の命を約束されたからこそ、私は現在のいのちを安心して生き抜いていける。
 何だかとても理屈っぽいかも知れませんが、これが浄土真宗の御教えの根幹です。
 自分への執着は捨てられない、また傷付くことも避けられない…のです。自分ってダメダメじゃないか!…そうです、ダメダメな私だからこそ仏にすくわれていくしかないのです。
 自分で何とか出来る方は、又 仏など信用しないお方は自分で生きるのです…端的に申せば、それこそが自力の道です。立派な道です…御自身で歩めるお方にとっては。
 それが出来ないならば、仏様を依り処として人生を生き抜くのです。
 あなたは自分を、自分のプライドを捨てずに生きていきますか?
 自分にそんな生き方が出来るかどうか分からないならば、ご自身の姿を仏法の鏡に写してみてはいかがですか。
 仏様があなたに、あなたの真実の姿を教えて下さいます。自分でも自分自身に向き合うのはつらい…だから仏様は鏡でありながら、また同時に私の側に寄り添って下さいます。
 なんだか分からない…分からなくもないけれど、なにか自分にとって都合が良すぎじゃないか? 
 そこまで仏様がなさってくださるのは、そこまでして頂かないとどうにも生きていけない私がここに存在しているからでした。どうか今一度仏様に今の思いを打ち明けて、ご相談なさって下さいませ…。

{{count}}
有り難し
おきもち

質問者からのお礼

なるほど。自分への執着を簡単に捨てていられれば、もう皆誰でも悟っているとも言えそうですね。

ご回答のオウム返しのようになってしまいますが、
一見都合が良すぎるように思えますが、実際そうしないと生きてゆくのが辛い自分というのが確かに存在しているわけであり、仏様に思いっきり身を委ねるくらいのつもりで、思いを打ち明けなければ行けないのかもしれませんね。

有難うございます。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ