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坐禅中に線香の燃える音が聞こえるようになったんですけど・・・

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耳が良くなったのか僅かな音にも過敏に反応してしまう。
自宅にて坐禅していると、隣人のTV音や家族の生活音一つ一つで集中が途切れてしまう。
必要なら山のような閑静な場所で坐禅したほうがいいでしょうか?
それともこの程度の生活音で掻き乱される程度なら、まだ大して集中も出来ていませんでしょうか?

後、良い事も多くありました!
坐禅を終えて体を見ると、目やには出てるし、耳くそは溜まってるし、
鼻頭からは粉が出てくるし、歯には歯垢が出てきて、首元にも垢が…
本当に肉体は不浄なんだなぁと気付けた事ですね。

爪が僅かな間にも伸びていて、悩んだりしてもお腹は空くよなぁ、と。
食事で幅を広げると、目で見るモノ、耳で聴くもの、鼻で嗅ぐもの等も、
よく節制して気を付けないと、食物を食べる時同様、毒を除くように、食べ過ぎないようにしなければ病気を招いて苦しむんだなぁと気付けた事です。

一度、食べ過ぎで救急車に乗った事があります。20歳です。
酷い状態でした。嘔吐が止まらなくて寒気がすごい。
布団の上でのたうち回っていました。
「これは生まれて初めての痛みだ。とんでもない病気になったんだ…」
と言っていたら、救急隊員さんは「生まれて初めてか」と笑っていました。
お医者様に掛かりますと、「よくこんなに食べれましたね!」と驚いていました。笑っていました。腸が凄く荒れているから当分は食べるな、と。
思うに、肉体が食べ物を多く消化しようとして他の機能が弱まったから寒気がしたり震えたのかな、と。貪りが強いとこんな目にあっちゃうんですね。

世間でいう楽しみには、不安や悩みが憑き物だな~って(笑)
豪遊すれば、いずれお金が無くなるのが怖くなったり、
王様のように偉くなったら、命を狙われて自由に歩けなくなったり、
若さを自慢に服装等に凝りだすと年を取るのが異常に怖くなったり(笑)
どこかで欲を満たそうとすると、ツケが付いて回るから求めて走り回らず、
ドカッと落ち着いて坐っとこうと思うようになって多少は余裕も出ました。

坐禅することで落ち着いて物事を見れる、行えるようになりました。
間を置けるというか、すぐに飛びつくことはなくなりました!
それもこれも、坐禅会に参加してお坊さんとの縁があったからでしょう!
素晴らしい事です。もっともっと坐禅会が流行って、多くの人に仏縁が出来ればいいなぁと思います!


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

垢が溜まる、爪が伸びるは過去と比較した結果

天有童さん

坐禅により何か得たものがあるようですね。坐禅を通して、生きるとは、死ぬとは、自分とは、何かを追求していくことが大切でしょう。

線香の燃える音が聞こえる。それはそれ、隣の家のテレビの音が聞こえる。それはそれ、全てにとらわれることなく、問題なく存在しているのです。垢が溜まろうが何しようが、善悪なく、それがあるということ。爪が伸びたら切るだけ。問題にしないこと。過去と比較したらそうであるということです。事実は”今”しかないのです。坐禅とはそうした、損得、善悪以前の様子でいられる。安心の姿です。

修行のあり方を知り、共に追求していきましょう^ ^

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禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺副住職。 悩みを吐き出す事で、ちょ...
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質問者からのお礼

邦元様

己事究明ですね!問題を生み出す僕の心をただ見ることが大事なんですね!
川がただ流れている。それに怒って川を塞き止めたらそこに住む生き物は、
水が濁って死んじゃうように、僕の僅かな雀の涙ほどの智慧も絶えてしまうんですね・・・
徹底追及していきたいと思います。ありがとうございます!頑張りましょう!

読み直していて改めて思いました!
元は豪邸暮らしだったのに借金を背負って家を売り払って借金を完済。アパートに引っ越したAさんと、
都会を夢見て何とか空き部屋を見つけ、アパートに入居したBさん。

現状は同じなのに、Aさんは苦しくってBさんはウキウキしている。
過去と比較しますと、幾らでも嫌な思いを抱けますね…過去は頭の中で幾らでも美化されますし。
覚えてる事も興味の対象によって偏りが出ますしね。人の過去なんて誤りだらけですね。
車に興味がない人は、BMWを見ても「ふーん」で終わりますが、興味がある人が見ると、「欲しい!」
だったり…あの時見た車が印象に残るかどうかもこの差ですよね。両者がその場にいても同一の過去を語るかといえば違いますもんね…

人の見方って価値や興味をどこに置くのかもありますが、世間的に価値のあるモノが、心を本当に安心させるのかといえば、そうでもないですよね…

お金は生きて行くうえで必要ですが、あり過ぎても泥棒に狙われますし、高価なバッグやアクセサリーを身につけていたら他人の心を嫉妬などで燃やしてしまうかもしれません。
世界一貴重な宝石なんて恐れ多くて持てません。いつ命を狙われるか分かりませんし、
石の上にお釈迦さまの絵を描いたら、その上に坐れなくなってしまうように、ありがたい「何か」
価値のない「何か」を設定して生きている?
僕は生きてきて作り上げた「自分」の奴隷になって、ただ反応しているだけなのかもしれません。

そこで本来の状態に立ち返れるのが坐禅なんですね…
質素で簡素、慎ましく生きていきたいと思うと同時に、怠ることなく勤め励んでいこうと思います。

「坐禅について」問答一覧

アドラー心理学と禅

法律事務所を経営しています。 顧客も案件もたくさんあるのですが、儲からず忙しいばかり。儲からない案件もお金を取らないで受けてしまうからです。 結果、大量の仕事に追われ、催促の電話に怯え、無力感や罪悪感で死にたくなる毎日です。月に1~2回、本当に自殺しそうになって思いとどまるようなことが1年くらい続いててかなりツラいです。 そんなときに、ベストセラーになった「嫌われる勇気」(アドラー心理学の本)を読みました。そのなかに、 「自分がした善行に相手の配慮を期待するのは筋違い」 「受けた善行に返報しないことに罪悪感を覚えるのも筋違い」 「助けを求められてそれに応えないことに、罪悪感を覚えるのも筋違い」 「自分が何をすべきかは「自分の課題」であり、それを相手がどう感じてどう対応するかは「相手の課題」だから」 「自分の課題と相手の課題を混同してはいけない。相手の課題を勝手に自分の課題にするから苦しくなる」 というようなことが書かれてました。 自分は誰かの役に立つことは好きなのですが、そのことでお金を請求するのが苦手です。一方で、役に立つことをしてるのに相手から配慮して貰えないと苛立ったりします。また、何かを頼まれて断ることに罪悪感を覚えます。断ったら「嫌なヤツ」と思われるかもしれないという恐怖もあります。 アドラーの指摘するように、自分の課題と相手の課題を切り分け、「お金を請求して、支払うかどうかは相手の課題だから、気にせず請求すればいい」「相手の役に立つことをしても、それにどう応じるかは相手の課題だから、相手の配慮を期待するほうがおかしい」「頼まれ事を断ったとして、それをどう感じるかは相手の課題だから、どう思われようと気にすることはない」と考えれば確かに楽なんですが、お坊さん的にはこうした考え方ってどうなんでしょうか? そう考えると楽なのは分かるんですが、なんとなく腑に落ちないのです。 以前聞きかじった禅の思想(教え?)で、「一時の結果や他人の評価など気にしても仕方ない(どうせ本来無一物/諸行無常)」「自分は自分。他人は他人(主人公)」みたいなのがあった気がします。うろ覚えですが。 禅にも似ている考え方があるんじゃないかと思い質問してみました。 実は人に相談するのもとても苦手です。 ご回答頂ければとても嬉しいです。

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