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自分に存在価値を見出だすとは?

回答数回答 3
有り難し有り難し 76

心療内科でカウンセリングをうけています。

先生には『自分自身に価値を見出だすこと』と言われます。

しかし、どう考えても自分の喜びの為だけに生きる事が不安です。

人様に喜んでもらうこと。
これが嬉しいのですが『他人の価値観に依存しているから駄目だ』と言われます。

苦しさから、消えてしまいたい気持ちになり病気の方々には申し訳ないです。が、苦しいです。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

価値なんて存在しない

もともと、全てに価値はないと思ったらどうでしょう。
人の為でもなく自分の為でもなく、価値観なんてものは存在していない。人の頭の中だけにあるものです。
ただ、したいと思うことをする。

目の前にゴミが落ちている。→拾う(誰の為とも考えず)→結果として気分がいい、時には他人に感謝されることもある。

この程度のことの繰り返しでいいのではないでしょうか。人生はとてもシンプルです。やってもらったら「ありがとう」と言う。道で他人とぶつかったら「ごめんなさい」と言う。
誰かがぶつかってきたら→痛い 以上。  そこに憎しみや苛立ちはなく、穏やかに解決できます。謝らないだとか、失礼な奴だとか、そんな思いの付け足しはしないで、そのまんま。

「わたすの考え方が悪い。」「こうしなくちゃ、ああしなくちゃ」なんて反省することもないです。怒った時は怒ればいい。悲しければ悲しめばいい。それはそれ。時間が過ぎたら消えているものです。思いは握りしめなければ自然と消えます。
そうして肩の力を抜いてリラックス。
らくーに生きてみたらいいんじゃないですか。坐禅にはそんな学びがあるようにおもいますよ。

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有り難し
おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す...
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盲亀浮木

人が喜んでくれることに喜びを感じる。
素晴らしいことだと思います。
他人の喜びに喜び、悲しみに悲しむ。
菩薩心ですね。

でも、確かにそれだけだと「そんなことしてくれなくていい」「大きなお節介だ」と言われてしまうと、容易に自分の価値を見失ってしまうこともあります。

やはり、自分自身の価値をハッキリ定めて、他人の価値感に振り回されないことは大切です。

お釈迦様の話に「盲亀浮木」というものがあります。

「この世界に人間として生を頂いたということは、例えるならば、この広い海のどこかにいる盲目の亀。その亀にむかって穴のあいた板を投げる。百年に一度、海面に上がってくる盲目の亀が、投げた穴にスッポリと顔が入る。およそ起こり得ないようなことではあるが、それくらい稀なことなんだよ」

確率的にも、宇宙すべてに存在する生き物(虫や細菌なども含めて)の中で、人の数なんてたかが知れています。

ちーちゃんさんも含め、人としてこの世にいること、それは自身で価値を感じられなかったとしても、仏さま目線ではそれだけで価値があることなんです。

たくさん喜び、たくさん人を喜ばし、そしてたくさん苦しみ、たくさん耐え抜く。
人として生まれたことに誇りを感じて生きたいですね(^∧^)

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おきもち

困っている人や悩んでいる人にとって、仏さまの教えが少しでも良薬となれること...
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全ては、ただ「ある」ことでさえ誰かを救っているものです。

ちぃーちゃん様
こんにちは。拝見いたしました。

「自分の喜びの為だけに生きる事」に不安を感じるちぃーちゃん様はきっとお優しい心を持った方なのですね。世の中自分の喜び「しか」考えない人も多いのです。その不安に感じることは駄目なことではなくて、あなた様の長所でありその心こそ仏様の心に通じるあなたの素晴らしいところです。

同じ他人に喜んでもらう事でも、見返りを求める行為なのかどうかで違うと思います。楽に生きている人というのは「見返りがあったらラッキー、なくて当たり前」というように期待していないのです。それよりも自分が出来ることそのものに重点を置いています。

お釈迦様は「価値」というものは「思い込み」だとお説きになられました。厳しい言い方になってしまって恐縮ですが、なによりあなた様自身が何事も「役に立つかどうか」「価値があるかどうか」で見ているのではないでしょうか。ためしに近くの公園やお寺などに行ってみて森の木や草花と共にする時間をもってみてください。草木は「価値を主張」していません。そんなことは関係ないかのように繁り咲いています。

一方社会生活では「価値」が求められるのも事実です。ですがそれはオリンピック競技におけるルールのようなもので「あなたそのものの価値」とは無関係です。楽に生きている人は価値を認めながらも「価値なんてその場その場でころころ変わるもの」と思っています。雨が降ったって外回りの営業さんには嫌な雨ですし、農家のおばあちゃんにとっては惠の雨なのです。

まずは出来るだけ自然に触れる機会も持っていただいて、風や光、匂いなどを「感じて」みてください。そしてどんな気持ちを自分の心の中に満たしていたいのかをちょっと考えてみる。そんな小さな行動を起こしてみていただけたらと思います。この苦しみは必ず終わります。まずはゆっくりとで良いので一歩進んでみませんか。応援しております。

合掌

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おきもち

御縁があって一般人からお坊さんになりました。現在は小さなお寺の住職をさせて...
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質問者からのお礼

『思いは握りしめなければよい』
ハッとしました。

心のコンパスにしたがって、生きていきます。

ご多忙の中、御指南いただき有難うございました。

日顕様

ご多忙の中、み言葉いただき有難うございます。
亡くしてしまった我が子も奇跡の子であった事を想うと、(しっかりしなくちゃ!)と自分を叱咤したり(なんて傲慢な生き方なんだ…)と嫌気がさしたり。
人間とは弱いものですね。確信が欲しくなる。
だからこそ、人間なのかもしれません。
しなやかな強さを備えた人となれるよう、今を生きていきたいと思います。
本当に有難うございました。

釋様
お忙しい中、有難うございます。

『なにより自分自身が何事も「役に立つかどうか」「価値があるかどうか」で見ている』との御言葉。

その通りなのです。

毎日、(子供の命を奪った私は、価値ある時間を過ごさないと、生きていては申し訳ない)(命を奪った私達でありながら、なぜ彼は、別の人生・結婚を選択したのか)という怒りと悲しみにがんじがらめになっています。

いつの日か穏やかな心で過ごせる様になりたいと思います。

有難うございました‼

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ