輪廻転生について教えてください。
輪廻転生するのならば、亡くなった人はもう違う人生を歩んでることもあるのでしょうか?
あるいは、転生まちでいるのでしょうか?
もしそうだとしたら、お墓参りにいったとき、「いまはこういうことをがんばってるよ、見守ってね」と言うと、転生するのを引き留めていることになってしまいますか?
また、もう生まれ変わっていたら、語りかけてしまったら邪魔になってしまうでしょうか?
それとも、付喪神のように、その人の骨などに気持ちが残っている感じになるのでしょうか?
子供のころからふとしたときにやたらと寂しくなることがあります。
それが、もし私が前世で転生するまえに知り合った人とかが辛いことがあって、私のお墓とかで「守って、助けて」と願っているのが伝わっているのだとしたら、何もできないのは悲しいです。
それに、私がなくなった人にそう願ってしまって、同じように寂しい気持ちにさせてしまうのだとしたら、それはとてもつらいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お釈迦さまのお弟子さまになっています
こんばんは。
輪廻については、今までも何回かいろんな人から質問が来て、いろんなお坊さんの回答が出ているので、是非過去の問いもご覧になってください。多分、このページの下に「関連する問答」欄がでているので、そこから読むのも良いですね。「問答」の「キーワード」機能を使っても良いですね。
ちなみに最近出て私も答えた輪廻に関する問いと答え
http://hasunoha.jp/questions/10735
ここにもあるように、死んだ世界から帰ってきた人がいないので、死んだ後の世界がどうなっているかは誰にも分りません。輪廻の事もわかりません。
ちなみに「もし自分が誰かの生まれ変わりで、私の前世だった人に用事の人がいるのではないか」というのは、私も子供の頃考えたことがありました。今は考えなくなったなぁ。考えなくなった理由は、他の問答に書かれた私や他のお坊様がたの輪廻に対する考え方をご覧になれば、あなたにもわかっていただけると思います。
さて現代日本では、亡くなるとお葬式をします。仏教徒だとお戒名をつけます。お戒名は、仏さまの弟子としての名前です。つまり、日本での仏教のお葬式は「お釈迦さまのお弟子さまになる式」をしています。ということは、亡くなった方は場所をどこかに移して、お釈迦さまのお弟子さまとして修行をしている、と考えるのが穏当でしょう。ですので、お墓の前で現在のあなたの様子を報告しても、きっと喜んでくれると思います。
また、亡くなった方の供養の心がまえとして「いますが如く」という考えがあります
http://hasunoha.jp/questions/10976
亡くなった方に対し、今も生きているものとして供養しましょう、って考えです。
このような考え方からも、お墓の前で近況の報告をするのはとても良い事だと思います。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございました。
お礼の仕方がわからなくて、遅くなってしまってごめんなさい。
教えていただいたところや、関連リンクなども読んでみました。
色々とためになったし、なるほど!と思って心が軽くなりました。
ありがとうございました♪