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輪廻転生について教えてください。

回答数回答 1
有り難し有り難し 18

輪廻転生するのならば、亡くなった人はもう違う人生を歩んでることもあるのでしょうか?
あるいは、転生まちでいるのでしょうか?

もしそうだとしたら、お墓参りにいったとき、「いまはこういうことをがんばってるよ、見守ってね」と言うと、転生するのを引き留めていることになってしまいますか?
また、もう生まれ変わっていたら、語りかけてしまったら邪魔になってしまうでしょうか?
それとも、付喪神のように、その人の骨などに気持ちが残っている感じになるのでしょうか?

子供のころからふとしたときにやたらと寂しくなることがあります。
それが、もし私が前世で転生するまえに知り合った人とかが辛いことがあって、私のお墓とかで「守って、助けて」と願っているのが伝わっているのだとしたら、何もできないのは悲しいです。

それに、私がなくなった人にそう願ってしまって、同じように寂しい気持ちにさせてしまうのだとしたら、それはとてもつらいです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

お釈迦さまのお弟子さまになっています

 こんばんは。
 輪廻については、今までも何回かいろんな人から質問が来て、いろんなお坊さんの回答が出ているので、是非過去の問いもご覧になってください。多分、このページの下に「関連する問答」欄がでているので、そこから読むのも良いですね。「問答」の「キーワード」機能を使っても良いですね。
 ちなみに最近出て私も答えた輪廻に関する問いと答え
 http://hasunoha.jp/questions/10735

 ここにもあるように、死んだ世界から帰ってきた人がいないので、死んだ後の世界がどうなっているかは誰にも分りません。輪廻の事もわかりません。
 ちなみに「もし自分が誰かの生まれ変わりで、私の前世だった人に用事の人がいるのではないか」というのは、私も子供の頃考えたことがありました。今は考えなくなったなぁ。考えなくなった理由は、他の問答に書かれた私や他のお坊様がたの輪廻に対する考え方をご覧になれば、あなたにもわかっていただけると思います。

 さて現代日本では、亡くなるとお葬式をします。仏教徒だとお戒名をつけます。お戒名は、仏さまの弟子としての名前です。つまり、日本での仏教のお葬式は「お釈迦さまのお弟子さまになる式」をしています。ということは、亡くなった方は場所をどこかに移して、お釈迦さまのお弟子さまとして修行をしている、と考えるのが穏当でしょう。ですので、お墓の前で現在のあなたの様子を報告しても、きっと喜んでくれると思います。

 また、亡くなった方の供養の心がまえとして「いますが如く」という考えがあります
 http://hasunoha.jp/questions/10976
 亡くなった方に対し、今も生きているものとして供養しましょう、って考えです。
 このような考え方からも、お墓の前で近況の報告をするのはとても良い事だと思います。

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有り難し
おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
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質問者からのお礼

ご回答ありがとうございました。
お礼の仕方がわからなくて、遅くなってしまってごめんなさい。

教えていただいたところや、関連リンクなども読んでみました。
色々とためになったし、なるほど!と思って心が軽くなりました。

ありがとうございました♪

「輪廻転生」問答一覧

前世の記憶は残るものですか?

私たちの中に、前世の記憶が残っていることがあるのでしょうか? 私は小学生の頃から、8月6日広島原爆の日が来ると悲しくてたまらなくなります。広島原爆と川の風景…が頭に浮かぶと、知らないはずなのに、とにかく悲しく、悔しい思いが溢れます。 平和学習がきっかけで想像しているだけと思ってきました。生き抜かれた方々がいらっしゃるのに、実際の記憶のない自分が「なんとなく思い浮かぶ場面がある」のだとは、失礼な事と思いますので、人様に言えたことではありません。ただ、一人で思い続け、悲しくて苦しくて痛くて重たくて、悔しくてたまらないのです。 毎年、この季節には気持ちが重く、「もう落ちませんように」と考え眠れないことが幼いころたくさんありました。中学時代には原爆に関する一人劇をする機会があり、取り組むうちに本当に髪が全て抜けてしまい、そのまま治らず今に至ります。 あれもこれも結び付けるべき事柄とは思っていません。 もう大人になり、強烈に感じる物事の一つとして、この日があるのであれば、ただ心から祈ろうと思うようになりました。毎年泣きながらお祈りしています。 現実には関係がないのに、苦しくてどうしようもないもの…仏様、ご先祖様は私にどのように生きなさいとおっしゃるのでしょうか?

有り難し有り難し 8
回答数回答 2

解脱する方法は確立されていますか?

私には、「もう二度と人に生まれたくない」という、漠然とした、でも強烈な願望があります。 生まれ変わった自分は今の自分とは関係のない赤の他人であり、そんなことを気にする必要はない、なぜそのような悲しいことを考えるのか、もっと楽しく生きなさい なんてことを言われたりするのですが、むしろなぜ他のみんなはそう考えないのだろうと思うくらい 私にとっては本当に強く願っていることが「もう絶対に、絶対に生まれてこないこと」です。 仏教には輪廻転生の考え方があり、その輪から外れる方法が解脱だと聞き齧りました。 まだ仏教について何も知らない人間の質問で大変恐縮なのですが、 つまり解脱することができれば、もう命として何かに宿ることは二度とないのでしょうか。 私にはそれがとても魅力的なことに感じます。そこで、解脱の方法とは、こうである、と言うものが確立されているのであれば教えていただきたいです。 でもきっと、そんな簡単な、うまい話はないのだろうとも思いますし、この質問自体どこかズレているのかもしれません。 もし回答できるものではないのだとしたら、自己研鑽として、仏教について学びたいとも考えておりますので、何も知らない人間がまず手始めになにをすべきかを教えていただけますと幸いです。 このような場を設けていただいていること、質問のご縁をいただけたことに感謝致します。

有り難し有り難し 28
回答数回答 3

神通力

 前回「釈尊の悟りは神通力を得た結果?」を投稿しましたが、当たりのようです。  駒沢大学学長を歴任された水野弘元先生の著書「釈尊の生涯」の「成道と三明六通」には「(前略) そして濾尽智通以外の五神通は、必ずしも仏教者だけでなく他の宗教家や鬼神狐狸の類に至るまでも、浅深の差はあっても、これも得ることが出来るとせられる」と書かれています。  三明六通の「六通」とは先ほどにに記述の「五神通」とあるように、「六神通」と考えることが出来ますので、「神通力」を得たと考えて差し支えないと思います。  古代インド社会では「輪廻転生」は常識であったそうですが、当時のインド宗教者は、互いに神通力を競い合ったと考えられます。  三明の最初の一明は「過去に関するすぐれた智慧の宿命通(宿命明)」となっていますから、釈尊だけでなく、それ以前の宗教者にもそこに到達して、「輪廻転生」が世間に広まったと考えられます。  余談ですが、阿含宗を創設した桐山靖雄師は、著書「輪廻する葦」のなかで、成仏法と称して、神通力を修練することを勧めたようです。私は読んでいませんので想像ですが、論理の「阿含経」ではなく実践法の「雑阿含経」を研究していたようです。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ