常に嫌われたかもしれないと悩む
暑中見舞いをいつも出します(尊敬する方々へ)。毎年返ってくるのに今年は返ってきません。嫌われたかもしれません。そう思う理由は私と付きあっててもプラスがないからです。得する事がなんにもないから。損得じゃないけど、きっとそうです。私には何の魅力もないから。年賀状は出さないほうが良いですかね。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ためらいよりも行いを優先させる。
ううう、こんにちは。私は余計な一言が多くて、いつもみんなから嫌われてばかり。(ToT)どこにも居場所がなく孤立感と孤独感と疎外感が友達の丹下といいます。生まれてきてごめんなさい。
ああ、どうせ私なんかが回答しても質問者様のご期待に沿えないに違い合い。ううう。きっと質問者様に嫌われてしまうかもしれない。だから回答なんかしない方がいいに決まっている。きっとそうだ。そうにちがいない。どうせ私なんて。ああ、穴があったら入りたい。そうだ、掘ろう。(穴)スコップ買いに行かなくちゃ。ああ、でもこのお盆の暑い中、私が入る穴を掘るためのスコップのために店員さんに迷惑かけちゃ悪いし、穴掘ったら虫さんたちに悪いし…。ああ、どうしようもない。どうしよう、どうしよう。ああ、なんて慈雲はダメな奴なんだ。うじうじ。
このように自分を追い込むのはいつも他人さまではなくて「自分の思い」なのです。
実は自分が自分いじめの犯人なのです。これはコナンくんでも見抜けません。
あなたが「私は嫌われているにちがいない」と思い込むことで、本当にそんな気がしているだけ。その結果ネガティブな気持ちが生じて自分を縛りつけているのです。
返事があろうが無かろうが出してみてください。
私もお礼があろうが無かろうが回答していますし。
はからいゼロ、見返りゼロ、何も期待しないこと
Mimiさま
それは、極端な話ですね。暑中見舞いは年賀状にくらべると生活に密着していないので、準備していない方も多いのではないでしょうか。「返事がないこと」=「嫌われている」は考えすぎ、飛躍しすぎな気がします。
そもそも返事があって当たり前というより、あなたが日頃お世話になっているから、本来なら直接ご挨拶したいところですが、手紙でご挨拶をするのでしょう。
見返りを期待した行動の裏にはあなたの素直な気持ちというより、何か他に思うところがあって出したのでしょうか。
お返事いただけたら、有り難い。返事がなくてもあなたが書面でご挨拶したことには変わりないです。
嫌われたとか考えることよりも、あなたが相手のことをどう思いどのように接したいかでしょう。
ですから、年賀状もだしたいなと思った時には出したらいいと思いますよ。
質問者からのお礼
わかりました。有難う御座います。