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行動出来ない

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有り難し有り難し 56

やればいいことはわかっていても、中々出来ない、行動できなくてウジウジ・・・

失敗したら嫌だなぁとか、その行動を起こすことによって生じる人との関わりが緊張するとか、面倒くさいとか思って、何事も行動せずにいることが多いです。
でも、後々あのときやれば良かったと後悔します。

こんな自分を変えるにはどうすればいいでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

❝何をやっているか❞を自覚すればいい

むかしむかし熟年離婚寸前のおじいさんとおばあさんが住んでいました。
おじいさんは山へしば刈りとみせかけてほかの女の所へ。
おばあさんは川へじーさんの山積みの衣類と心の洗濯へ。
「別れるべきか、のこるべきか。どーすんべか。」
選択に迷っていましたら、そこに神さまが現われて「一度きりの自分の人生。好きなように生きなさい。」とのご宣託。離婚のバイブル『婦人公論』をばあ様に読ませた所、一撃で開眼。
「もうじいさんのわがままにはついていけん。」と離婚を選択。
「離婚を選択するのじゃない。女としての自立、独立、自立を選択するのよ!」とじいさんのこ汚い洗濯物を川にポインチョ。洗濯放棄。長年の夫婦生活にピリオドを打つことを選択し、引っ越しのサカイに📞。第二の人生を選択するのでした。めでたしめでたし。
人生は選択の連続です。
「選択」を軸にすれば負の連鎖は当日、その場で、チョクで断ち切れます。
「選択すること」で意思が生ずるからです。
「あ、もう、あっちを選択するのをやめよう」と選択すればいいのです。

タイトルは意味が分かるまで回繰り返し読んでください。
心の中で何をやっているかということです。
あなたは出来ないといわれますが、ある事をやっているのをお分かりになりますでしょうか。
それは頭の中で、
・過去のことをリプレイしている
・失敗する最悪の事態を想定している
・やる前からどうせ駄目だと思っている
・そんなこと考えて思考停止
・ぼー
ざっくり、こんなことをしちゃっているのではないでしょうか。
つまり、それを❝やって❞いるのです。
それを「選択」しているのです。
それは一種の陶酔に等しいものです。

もう、それをやることを❝やめる❞ことを選択してみてください。
選択は意思を生みます。このままでよいのか、今から変わるか。
それを選択するのはあなたです。
あなたのそのためらいはじー様の山積みの洗濯物と同じです。
さぁ、その古びれた洗濯物を川へ投げ捨て、女性としての新しい自立ライフを選択しましょう!
結婚相手には家事・育児のできる男性を!
心のお洗濯、人生の再選択は安穏寺日曜坐禅会まで!

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

始めたら終わりがくる

拝読させて頂きました。おっしゃるとおりやらなければならないことは面倒くさいですよね。気分的に乗らないし。
しかしやり始めてしまえば思っていたよりも簡単に早く終わります。何事も。ですからまずはやり始めてみることです。やりはじめればもう終わりに向かっているのです。始めなければ永遠に終わりは来ません。
さあ、どうぞ面倒くさいことからどんどん始めましょう!がんばってください!

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有り難し
おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます!
ずっと当たり前のように染み付いていて、今選択していること、「やっていること」に全く気づけませんでした。
たくさんある洗濯物をバシャーンとしたいです(笑)
考えを捨てると考えると悩みそうなので、新しい選択をまず持てたらいいかなのかな?と、感じました。

そして、まずは普段感じている面倒なことから、始めてみようと思います(^○^)

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