素直に謝れない大人になってしまいました。
小さい頃から喧嘩をしても素直に謝ることができない子供でした。
大人になればごめんなさいと言えると思っていましたが、自分が悪い時でも素直にごめんなさいと言えません。
先日、こんなことがありました。
図書館で本を返したとき、カバンから借りていた本を出したら端の方が少し折れ曲がっていました。
図書館のカウンターの女性が「あのう…これ…」と言うので、私は「本当にすみませんでした」と謝りました。
図書館の女性は「次からは気をつけてくださいね」と言ってくださったのですが私の心にはなぜかもやもやとしたものが残りました。
後からそのことを思い出して、女性の謝罪を促すような目線に苛立ちました。100%自分が悪いのに相手が悪いんだと自分に言い聞かせようとしているようです。
素直に謝れば心がもやもやせずにその出来事を思い返すこともないのではないでしょうか。
私は素直に謝ることができないので、その出来事を繰り返し思い出しては苛立ちを覚えるのではないでしょうか。
どうすれば清々しい気分で謝ることができるのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
今の自分と向き合って下さい。自分を認めて下さい。
謝ることが出来ない、相手に苛立つ…それはあなたのプライドの高さでしょうか。
そして、「プライドの高さは、(そのまま)コンプレックスの深さ」(富田富士也氏)です。
禅僧の良寛さんは夕方 子供達とかくれんぼをして遊んでいたが、子供達は良寛さんを忘れて帰ってしまい、結局 翌朝村人に見つけられのだそうです。その時「しっ、子供達に見つかってしまうではないか」と答えたというエピソードが伝えられています。
ここには一切のプライドがありません。ムダな自己への執着がないからです。もちろん他人と比べてのコンプレックスも存在しません。
良寛さんみたいになりたいですよね…でもなれません。
だから、「私はこれからも『100%自分が悪いのに相手が悪いんだ』と思い込もうとする人間であり続けるんだ」と認めましょう。認めてしまうのです…事実ですから。変えようと思っても無理なのですから。
そのことを認めたらみじめになるか…多分違うと思います。自身の本当の姿を認めることはとても辛く、また勇気がいることなのです。
それが出来たら、あなたは知らぬうちに変わります。自然に変わっていくのです。
どこまでも自分と向き合い、自己を受容していく…それが仏道です。
簡単ではないですが、ここには多くの御僧侶方もみえます。ご一緒に歩んでいきましょう。
質問者からのお礼
自己を受容していくのはとても難しいですね。
しかし、回答を聞いて心を落ち着かせて自己と向き合ってみようと思いました。
本当にありがとうございます。