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人が傷つくのを見る事が怖いのです。

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有り難し有り難し 16

初めまして。
どうぞよろしくお願いします。

私は子供の頃から人の悪気のない行為を目にして来ました。なぜそのように感じるのか…。
それは両親共に障害があり、外見から一目でわかるものなのです。
いまでこそ差別的な行為は目にしなくなりましたが当時はあからさまに笑われたり、遠巻きにこそっと目配せされたり…。
表面には出しませんがそれに対して傷ついている両親…。
ですが、親しい人はとても良くしてくれていました。
子供ながらに、人によって態度が違うのはなぜだろうか?と考えた結果、お互いの事を知らないからだ、知って行けば仲良くなれると結論付けました。

大人になった今でも、根本の考え方は変わっていないと思います。

私は最近まで中間管理職と言われる立場にありました。皆それぞれ良くして行きたいと思っている筈なのに社員の諍いが絶えない。
そういった人達が分かりあってもらう為に話しをしたくても多くの事を話せないジレンマ。何故話してくれないんだという部下や上司からの不満。
それらに疲れてしまいとうとう辞表を出してしまいました。
要は逃げたんです…。

毎日顔を合わせているもの同士分かりあえないのなら、不特定多数だったらどうなるのだろうと考えてしまい、今では外出できなくなってしまいました。

他者同士が傷つけ合うのを見るのが怖いのです。
自意識過剰だとは思いますが、傷つけ合うのを止める事が出来ない自分自身も怖いのです。

そして、自分も誰かを傷つけているかもしれないという事が怖いのです。
もしかしたら、それが一番怖いのかもしれません…。

このような状態から、まともに生活できるようにするにはどのように考えれば良いのか教えて頂きたいです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「自分は」・「自分が」という心が諍いを生む

亀山純史と申します。今回の私の回答が、多少の参考になれば幸いです。先ずはじめに、お互いを知って行けば、自分たちのエゴ(我執)が表面化し、そこから対立が生まれることがあります。それは、お互いによくわからない者同士の間には、自分たちのエゴ(我執)は表面化しづらいのですが、相手のことがわかってくれば、つまり、親しくなってくれば、人は自分の我を通そうとするのです。したがって、「毎日顔を合わせているもの同士分かりあえない」のは、「毎日顔を合わせて、お互いのことがよくわかっている」から起こりえることなのです。ですから、不特定多数だったら、と心配することはありません。まだ親しくないので。(笑)したがって、ご両親への態度が良かった人は、親しかったから良くしてくれたのではなく、良くしてくれる人だから、親しくなったと私は考えます。そして、良くしてくれる人には、エゴ(我執)の表面化は少ないのだと思います。是非、そのような人を見つけてください。必ずいるはずです。そうは言っても、人は自分を中心に考え、そして行動する、と言ってよいと思います。故事成語のひとつに「他山の石」がありますが、これは「よその山のつまらない石でも、自分の宝石をみがくのに役立つ」という中国の『詩経』の言葉からきています。ここで、自分も他山の石になっていると思っている人は、どのくらいいるのでしょうか。私が思うには、ほとんどいないのではないかと思います。なぜなら、他山とは、よその山であり、それは自分の山ではない、という意識があるからです。しかし、見方を変えれば、私の山は他人から見れば他山になるわけです。理屈ではわかると思います。でも、心はそれについていけないのです。それは自分を中心に考える心、エゴ(我執)ー「自分は」・「自分が」という心―が私たちにはあるからなのです。それは、私たちの目は、常に外を向いており、内面には向いていないからです。そして、この常に外にしか向いていない私たちの目が、エゴ(我執)を生み出しているのです。ですから、「自分も誰かを傷つけているかもしれない」という見方が出来ることは、大変素晴らしいことです。是非、自信を持って生きてほしいと思います。

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hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧侶です。令和6年3月に、公立高校の教員を勧奨退職しました。その後、縁あって、令和6年4月からは「まちサポ雫石」というNPO法人のお手伝い、また、令和6年10月からは公立高校の非常勤講師をしています。 浄土真宗における僧侶は、仏さまの教えに生き、その教えを伝える者であり、人を悩みから救う能力を有した者ではありません。人の悩みを救う救いの主は阿弥陀さまです。ですので、hasunohaにおける私の回答では、仏さまの教えに救われているこの私の生き方、考え方を、皆様にお見せするだけです。そして私自身、お答えできるご相談の範囲はそう広くはありませんが、皆様のお役に少しでも立てればと思い、回答させて頂いております。

自分も目の前の相手も傷つかなくなる方法

親の事をバカにされて苦しかったですね。悲しかったですね。
「何でみんな私の大好きなお父さんとお母さんにヒドいことを言うの?お父さん、お母さんの事を悪く言うなー!」
本当に苦しかったことと思います。
あなたを世に存坐至らしめた自分の親をバカにされて平気でいられる人なんていません。
わたし共があなたのご両親をバカにした人たちに代わってお詫び申し上げます。
悪言、悪口が世にはびこるのも私たち僧侶の力不足ゆえです。
今後あなたが傷つかないですむ方法を考えていました。
おそらく、あなたは過去のそういう傷つけられた経験を思い出すときに、胸に嫌な気持ちが生ずるのでしょうね。疑似体験からくるものでは?その時、あなたの望ましくない事が目の前で起こる。☆体が、反応する。記憶が付随するしないがあっても、体が警戒態勢に入って嫌ない持ちが起こる⇒防衛反応。そして、その状況を変えたくても変えられないのでジレンマ、ストレス心のドロドロ状態にハマってくるしくなる、という流れではないでしょうか。間違っていたらごめんなさい。
大切なのは☆の時点で、頭の世界に自分を向かわせないことなのです。
「ああ、またか…こういうの、イヤだ…」と思ってしまうかもしれません。ですがそこがサインです。
私は☆の時点でちゃんと事実を観るようにしています。目の前で起こっている事が、過去の体験に通じる暴力暴圧的なシーンであっても、それはその場で出会っている、最も真新しいケース、一期一会のそれっきりの最新の出来事なのです。
今後あなたが望ましくない出来事や過去の類似体験が起こったにせよ、キチンとその現実の場面の相手に対応してみるように努力しましょう。
人は思ったよりも、思っているよりも、現実より、自分の心の中のイメージを強く相手にしているからです。ここに気づいて頂くことは大きな進歩です。
そうすることで、あなたは人を傷つけるのを見ても、自分が傷つかなくなる!自分の負のイメージで自分を害されなくなるからです。と同時に、人が害されている事に対して、冷静に現実的な対応をすることができます。理屈でわからなければ坐禅会にお越しください。私もサイタマケンアルよ。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

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