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なぜお墓に線香をたてるのか、遺骨は墓にあるのに仏壇があるのか

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お彼岸などでお墓参りをするとき線香をたてますが、そういえばなぜ線香をたてるのか考えたこともなく、何気なく行っていました。なぜお線香をたてるのでしょうか?

また我が家には仏壇はありませんが、親の実家には仏壇があります。
遺骨はお墓に眠っているのに、なぜ仏壇があるのでしょうか?


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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

お線香と仏壇

中間管理職様

宗派により、またお伝えにより違うところはあるかと思いますが、私の聞いてきたところを申しますと。

「お線香」
むかしインドでは、尊敬する人を家に招く時にお香を焚いたことからきていると聞きました。
お香の中を歩くと、暑いインドでもすこし涼しく感じるのだそうです。
また、同じように暑いインドの大地をすこしでも涼しく歩いてこられるように、花びらを歩いている人の前にまいたのがお花を飾ることになったとのこと。
それと、尊敬する人にロウソクを贈ることからロウソクを飾ると聞きました。

このように尊敬する人に敬意を表しているのが、いまのお荘厳だと教わりました。

「遺骨と仏壇」
これは宗派により、より解釈が分かれるところですが。
お釈迦様がガンジス川に遺体を流してくれとおっしゃったように、遺骨に執着することはよくなかったのではないでしょうか。
お釈迦様にそう言われてもその通りにできなかった一般信者がお釈迦様の葬儀を執り行い、遺骨を持って帰ったそうです。
その際、出家者の葬儀への出席はお釈迦様からかたく戒められていたと教わりました。

その信者が持って帰った仏骨をおさめたのが仏塔で、いまのお墓の原型になっているそうです。
それを中心に仏教が各地に広まったのが大乗仏教だと授業で習いました。

また仏壇に関しては、真宗では仏様にあう場所です。
そして浄土往生し仏になられたご先祖にあう場所でもあります。
お骨を礼拝しているわけではないので、お仏壇が必要なのだと思います。

お伝えや宗旨が違うと思うので師匠に聞くのが一番だと思いますが、私のお伝えではこう聞いてきました。
ご参考になれば。

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平松理薫(釈理薫)
真宗大谷派(東本願寺)僧侶 東京品川 日夜山正徳寺 住職 主な活動...
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「功徳聚」のすがたとして

御香には「身心を清める」という意があると伺いました。
法句経という経典には、   
 「花の香りは風にさからって進んではいかない。
 栴檀もタガラの花もジャスミンもみなそうである。
 しかし、徳のある人びとの香りは、風にさからって進んでいく。」
というように、香りというのは仏教では特別なチカラをもつものだとされて
います。

お墓に御香を供えるというのは、徳(他者・他生への恵み)のかおりを
供えることなのだと思います。亡き人の供養において、いまだ徳の足りてる
とは言えぬ自分をかえりみ、実際に香りのよい香木からとった抹香や線香
を供えて自身の徳を供える、というのが線香を供える意になっていくのでは
ないかと考えます。

遺骨は墓に、仏壇は家に。という事ですが、
釈尊の遺言といえる大般涅槃経において、アナン尊者に転輪聖王、つまり
釈尊自身の遺体の処置法を話しますが、そこにおいて遺骨はストゥーパに
納める、つまりお墓の建立のことを示しています。
前述のように、お墓は遺された者が自分の徳をかえりみる場所であります。
お墓の別名として禅学大辞典というものには「功徳聚(くどくじゅ)」とも
記載されております。自身の功徳を積むこともまた亡き人の功徳になる、
という意なのだろうと思います。

仏壇は、仏教そのものの教えを受ける場所や、或いは沙門、僧侶を迎えて、
いきぼとけに対して供養することもまた自身の徳を積むことであるとして、
そうした方々を迎える場所を自宅に一室設けたのが仏間であり、
更にミニマム化していって仏壇となったのだと考えます。
ようは自宅内の本堂であります。御実家にお仏壇があっても、
自分の家にも簡易的でいいので仏壇をもうけ、ほとけさまや御先祖様に
ご供養する場として頂けたらとは思います。強制ではありません(^^;)

供養とは、自分の中から湧き出る「せずにはおれない感謝・報恩のこころ」
があってそれが形として表されていったものであります。
おひさまが何も求めずともこうこうとひかりを照らすが如く。
ほとけさま、御先祖様がいのちの限りをもって今に私といういのちを遺し、
育んで下さっていることを尊び、そのご恩に報いていく生活の中に、
仏壇やお墓という「徳を聚める」場所があるのだと小生は仏典のことばから
感じるのです。
さちあれさちあれ。合掌。

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浄土真宗の立場でお答えします。

〉何故、お墓に線香をたてるのか?
お香は『私を清めて下さる仏様の香り』です。
お花=仏様のお慈悲のお心、蝋燭=煩悩を焼きつくす仏様の光(働き)を表します。
墓前にこれら三種をお飾りすることで、私に対して働きかけて下さる仏様を表現しています。
無くても問題はありませんが、作法の上においては無作法ということになります。

〉遺骨はお墓にあるのに、なぜ仏壇があるのか?
お墓は遺骨を安置し故人を偲び、後世に伝えていく為のモニュメントです。
無くても何も問題ありませんが、特に故人を後世に伝えていくためにはとても大切なものです。
お仏壇は阿弥陀仏のお世界である極楽浄土を模したモニュメントです。
阿弥陀如来が礼拝信仰の対象であり、お仏壇は日々の生活の拠り所です。
お浄土は故人が往かれたお世界でもありますが、あくまでお仏壇の中心は阿弥陀如来ということになります。
信仰の第一歩はお仏壇を迎えることから始まるとも言えます。
本来は誰が死んで迎えるものではありません。

様々なものに疑問を持つことから理解が深まります。
貴重なご質問頂きありがとうございます。

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始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学...
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開眼供養すれば、墓石も仏壇も仏様と同じです

  供養の仕方について様々な分類方法がありますが、最もポピュラーな分類に五供があります。五供とは、仏前にお供えする五種類の供物(香・華・燈明・飲食・閼伽)を言います。

  仏教では、仏道を増益する良く薫るお香、仏が好まれる匂いを、好香と呼びます。仏界に居られる如来や「あの世」に往かれたご先祖様は、現世の食べ物を口にしません。香食と言って、好香の良き匂いを食します。如来は供えられた好香を食し、それに感応して衆生のために手を差し伸べます。香の事を「仏への使い」といい、香を焚く事を通して仏へ信心を捧げてきました。以上の事から、我々は香を焚き、仏様や御先祖様に真心を供えるのです。お墓参りで線香を焚くのも、御先祖様に「食べ物」を供し好香を捧げて我々の真心をお伝えするためです。

  仏壇や墓石をどう理解するかについては、宗派によって、また同じ宗派でも人によって説明の仕方は異なる部分はあると思います。「遺骨は墓にあるのに、なぜ仏壇があるのか」について思うところを述べさせていただきます。

お墓も大事。同じように仏壇も大事。何故なら、どちらも開眼法要を行い、仏様と同様のものとしたからです。これが私なりの答えです。

以前、ブログに以下のような記事を書いたことがあります。参考にして下さい。

「千の風になって」が流行っていた時に質問されたときに次のように答えました。
「 仏教の立場から言えば、墓石は仏塔や位牌と同じ礼拝対象です。墓石を建立した時、点眼という儀式を行います。いわゆる御真入れです。位牌や仏像と同様に、仏様の命を移すという儀式です。だから、位牌や仏塔と同じようにお参りするのです。そして、お墓は亡き人の遺骨を埋葬する場所であり、墓石は亡き人の俗名と戒名を記録する記念碑でもあります。仏弟子となった御先祖を記念し供養するのが、お墓です。ですから、強いて言えばそこに居なくても、眠っていなくても、構わないということになります。しかし、実際問題として亡き人のために手を合わせお参りしようとする場合、その行き先として第一に考えるのが、遺骨が埋葬されているお墓であり、第二に自宅の仏壇であり、第三に菩提寺の位牌堂となるでしょう。
http://blogs.yahoo.co.jp/dorinji/14855811.html

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 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努め...
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宗派によって解釈は異なりますが…

仏壇・墓参・焼香の解釈は、最終的にはそれぞれの宗派の方にお聞きするのが一番だと思います。しかし、それでは満足のいく回答にはならないと思いますので、私の考えを少しばかり述べさせていただきます。

①仏壇とお墓の関係について
仏壇が意味するところは、各宗派によって解釈が異なると思われますが、仏壇の中心に安置されているのは、どの宗派でもご本尊で、故人ではありません。つまり、仏壇はお寺の内陣と同じです。それに対して、お墓は遺骨を安置する場所です。

②墓前での焼香(線香をたてること)の意味について
墓前でのお参りも、各宗派によってその解釈は異なると思いますが、墓前での焼香(または線香をたてること)は、墓前でのお参りが、仏教儀礼としてのお参りの一つであることを表すものだと言えます。

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hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...
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「お墓」問答一覧

縁を切ったらお墓等は無縁仏になりますか?

母が癌になりました。 母が自分が亡くなったら夫と同じ墓に入れないでくれと言います。 とてもややこしい話なのですが相談させて下さい。 母は養子なのですが、叔母夫婦の養子として迎えられ育てられました。 既に叔母夫婦は他界しており、近所の寺の納骨堂に納めてあります。 実の親とは昔はたまに会ったりしていましたが、実の妹に嫌われており親戚の集まりなどはあまり積極的に参加しておりませんでした。 父は(私からしたら祖父)他界してますが母(祖母)はまだ健在しております。 多分、自分が癌である事やそちらの墓に入りたい事は伝えてません。 もし、断られたら骨を何処に納めたら良いのか分かりません。 出来れば自分の骨と叔母の骨も納骨堂から持ってきて、実の親の墓に入れてくれと言いますがそんな事は可能なのでしょうか? 私は納骨堂にある義理の祖父のお参りは、しないですし管理する気はないよと言ったら、無縁仏にしていいと言います。 納骨堂に入れてある義理の祖母の骨だけ取って祖父の骨を引き取らないと言う選択は出来るのでしょうか? また、他のお墓に移すことは可能なのでしょうか? 仏壇も今現在父方の父母と母方の義理の父母の為に置いてますが、仏壇もまた何か移すとか廃棄するとかできるのでしょうか? よろしくお願いします。

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間違えて人様のお墓を掃除してしまいました

この日は朝から何故かソワソワがとまらず、気がついたら父の命日でした。 ここのところ気分が落ち込みやすく、鬱気味で、仕事以外は外に出る事がなかったのですが、何故かいつもの自分のようではなくハイテンションで躊躇すること無くソワソワしたまま導かれるようにお墓参りに行きました。 なんの疑いもなく、枯れていたお供えのお花を買っていったお花に差し替え、お墓の周りの雑草を抜いたり掃除をしていたのですが、ふと視線を上げたら、お隣の人様のお墓でした。 なんて失礼な事をしてしまったのかと震えてしまいました。 お線香をあげ、仏様にお詫びして、持って行ったお花はさげてきました。 その時は出来ることは、パニックでこれしか思いつかなかったのです。 後から考えたら、仏様に失礼な事をてしまった事はもちろん。 勝手にお花を処分したりお線香あげてきた事で御家族がお墓参りに来た時に、不審に思われるのではないかと、怖くて怖くて眠れません。 お寺の方にお話すれば良かったのかと思うのですが、お墓を継いでいる親戚の家族に苦情が行ってしまうのは、避けたいのでそれも出来ませんでした。 情けないのと不安とで動悸が止まりません。消えてしまいたいです。 父の命日を忘れていたり、普段の行が悪かったり、お墓参りも怠っていたのでバチが当たったのかも知れません。 どうか心を鎮めたいです。

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お墓(納骨)について少し悩んでいます。

実は先に妻が気を使って相談をさせていただいた案件についてなので 内容がかぶってしまいますが、相談させていただきたいです。 30年ほど前、父は弟(叔父)と姉(伯母)の3人出資で祖父母の墓を立てました。 その後叔父はその墓に入りたいと親戚が集まる度に父や私(長男)にお願いを してきましたので、父は断らず了解しておりました。その叔父が数年前に病気で なくなり、その墓に入ることになりました。今年叔父の息子と法事の際話す機会があり、叔父の納骨時に叔父がかわいがっていた犬の遺骨も一緒に納骨して いたことを聞かされました。私の父はその時不在でしたので、母と私だけが その事実を知ることになり、母はショックを受けたようで「父にこんな事 絶対に話せない」と言っています。 叔父の妻が病気で叔父より先に亡くなって既に墓に入っており、その時も母は 叔父の妻が墓に入ることを(事情で)あまり快く思っていなかった事もあり 今回の犬の遺骨も入ってしまっていた事がショックだったようです。 母はお墓で祖父母が嫌がっているのではないか、こんな事になって 祖父母に申し訳ない、もう墓には入りたくないとまで言い出しています。 私としては、納骨してしまっている犬の遺骨を出すわけにもいかない でしょうし、なんとか母が安心できるように上手く話して上げたいと 思っています。つまり、遺骨は入ってしまいましたが、魂は別のところに いるよ、的な。両親は安心して墓に入ってほしいと思いますので、 どのように母に言い聞かせればいいのか、アドバイスをよろしく お願いいたします。

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ペットの骨を勝手に墓に納骨されました

主人の実家の墓について相談させていただきます。主人の父は姉と弟の3人兄弟の長男です。約30年前に3人で両親の墓を建てられました。5年前に弟、4年前に姉を亡くされました。 弟さんは連れ子のいる女性と結婚し自分の子はいませんでした。奥さんが先に亡くなり、自分で墓を建てずに両親の墓に奥さんを、将来は自分もと主人達に懇願しました。先日の弟の七回忌で、弟のペットの骨を弟の長男が勝手に納骨していた事が分かりました。骨壷に直接混ぜ入れたのか骨壷が2つなのかは分かりませんが、納骨式の時は気づきませんでした。 七回忌には義父は高齢の為か行きませんでした。主人と義母が大変ショックを受けていて、義母はとても義父には言えないと言います。義母は元々長男の墓に次男、次男の嫁を入れるのは大反対でしたが、最終的に優しさが勝ったようでした。それなのにペットの骨を無断で納骨し、悪びれもせずにそんな事を今になって言われて可哀想です。 私的には、ペットと墓に入るのは個人の自由ですが、ひとの墓に無断で勝手に納骨したのが許せません。 将来的には義父、義母、主人、私と墓に入り、娘が墓じまいということになるかと思います。その際、娘が困らないようにしておきたいのです。 義母と主人と娘の為に、今のうちに弟さんと弟の奥さんのお骨を今の墓から出す準備をした方がいいのではと思います。 弟さんの長男はこの墓に入るつもりはないとは思うのですが、、、。弟さんの長男の子も娘です。娘達の時代になると、一人暮らしや結婚などで土地を離れ墓参りしにくくなり、どちらの近くの霊園に移すなど揉めないかと心配です。 普段は現実的な主人が、仏教的に墓とは、、と色々調べて悩んでおります。どうすれば義母と主人の気持ちが救われるのでしょうか。よろしくお願いいたします。

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夫の家族と一緒の墓に入りたくありません

こんばんは。よろしくお願いします。 私は夫の家族が大嫌いです。付き合っていた頃からひどいことを言われ、それでも夫は別だと思って結婚に至りました。 結婚してから、私なりに関係性を良好に保とうと努力してきました。その甲斐あって結婚してから少しずつ関係性は良くなっていきました。 しかし先日、新年の挨拶を兼ねて会いたいと言われ、(コロナ禍でご家族や親戚とはリモートでしか面識がありませんでした)県を跨ぐ移動でしたが、行く機会がありました。 初めてお会いするし、いろいろな話ができるだろうと思ったのですが、終始家族だけの内輪ネタ、義兄夫婦の子供にべったりで誰も私に話しかけてくれる人は1人もいませんでした。やっと話しかけてくれたと思ったおじさんも聞いて欲しくないデリケートな話題を振ってきて誰もフォローすることなくゲラゲラみんなで笑っていました。 ましてや親戚や家族からは嫌味の数々。私のせいで旦那が変わったなどと、私にとってはトラウマになるくらいの最悪の一日になりました。 そこで受けた仕打ちが忘れられず、今でも思い出すと泣けてくるし、怒りが湧いてきます。 一番腹立つのは横にいて何にも言わない助けてくれなかった夫です。正直離婚もちらつきましたが、夫は本当に極度の人見知り+自分の母親の機嫌を損ねさせたらとんでもないことになるという恐怖もあり、何もできなかったのでしょうが、そこはやはり守って欲しかったし、どうしても気持ちを切り替えることができず帰ってきてから悶々としています。 結婚式の時も参加してくれる予定だったのに突然参加をやめる、もしこのまま結婚式をやるなら縁を切るなどと突拍子もないことを言われて台無しにされても目を瞑ってきたのにもう我慢の限界に感じました。 私はもう向こうの家族と関わらないし、たとえ誰かが亡くなっても葬儀に出席する気もありません。 前置きが長くなってしまったのですが、今一番気がかりなのは死んだ後に夫の家族と同じ墓に入りたくない、自分たちの墓を建てるにもお金がまたかかる。そうなる前に離婚して苗字を変える?でもいつ死ぬなんてわからないし、夫のことは嫌いにはなれないし。 仏教の世界では、死んだら嫁いだ先の人たちとやはり一緒になるんでしょうか? もしそうなら解決策はありますか?

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お墓に対する気持ちの持ち方を知りたいです

はじめまして。 購入した家についてご相談させていただきたいです。 中古住宅を購入し、先日引き渡しがありました。 お寺の多い地域で窓から正面に五重塔が見えてそれはそれは美しく、良い家を購入したなと気に入っています。 しかし、内見の際に全く気付かなかったのですが、その窓から外を覗き込むとお墓が見えるのです。 お寺さんがあるからお墓があるのは当たり前といえば当たり前ですが、チラッと目に入ると何故か怖く感じます。 私自身、身内のお墓に対しては恐怖より、亡くなった祖父母と繋がりが持てる大切な場所と思っています。 良くない事があったらお墓参りに行って祖父母に話を聞いてもらうこともあります。 それなのに、なぜ他所様のお墓になると恐怖心が生まれるのか……。 自分の祖父母のお墓が知らない人に「気味悪い」と言われたら失礼な!思うくせに、他所様のお墓は嫌だと感じるのは自分でも矛盾していると分かっています。 きちんと供養された仏様が私に何をする訳でもないし、後からやって来た者が「怖い!」なんて言うのは筋違いだなぁ……申し訳ないなぁ……と思っています。 このように他所様のお墓への漠然とした恐怖心を持っている場合、どのような考え方をすれば良いでしょうか。 また、見えているお墓のお寺さんにご挨拶へ伺った方が良いのでしょうか? 購入した家については、本当に良い縁が結ばれたと思っているので満足しております。 変な恐怖心を持たず、ただただ心穏やかに過ごせる心持ち方を教えていただきたいです。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ