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あと1歩が怖くてたまりません。

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有り難し有り難し 13

 お忙しい中、失礼致します。
 二十代も半ばながらまともな職歴がなく、いわゆるニート状態です。半ば引きこもりに近く、せっかく進学した大学も卒業できず、ずるずると閉じこもってしまいました。
 身内の不幸が続いた、どうすればいいか分からない、働きに行かなければ、税金はどうなっているのか、体調不良だ……と言い訳をしては嫌な方向に思考が向き、こうしてずるずると何年も過ごしてしまったのです。

 不幸ごとや問題が色々続き、本当にこのままではダメだと起き上がったものの、「資格なし、職歴なし、大学は引きこもって卒業できてない」状態で果たして職を得られるのか?

 体の不調を調べると手術が必要そうな病が多く、税金のことを思えば経済的な不安に恐れどうするべきかとうろうろしています。

 同じ年代の、大切だった友人にも劣等感や嫌
な意地のようなもの、同年代なのにきちんと労働の義務をしていない羞恥から顔向けできず他人、特に知人、近所さんへの恐怖が増して顔を隠し合わないであろう場所を探しては夜にこそこそ活動している状態です。

 恐れる恥ももうないだろうと、ここでまた踏みとどまればまた悪化すると冷静な自分は「外に出て、まともにならなければ」と急き立ててきます。

 「働くというのは当たり前のこと」と分かっているからこそ、自分はその「当たり前すらできていない」と羞恥に憤悶しているのに行くべき機関へあと1歩、踏み出せていません。

 どうしたら、そのあと1歩を踏み越えられるでしょうか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「端楽」

がらん様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

まず、「働くというのは当たり前のこと」とあまり思い込み過ぎて、そこにとらわれて、こだわってしまってはいけません。

世の中には、病気など、色々な因縁(原因と条件)によっては、働けない方も当然におります。そのための社会保障制度、医療制度、福祉制度でもあります。

「福祉」の目的は、仏教と同様に、全ての人々の幸せというものとなります。

私も何とか頑張って今のところは働けていて、税金を納めさせて頂けて、その税金が福祉のためにも使われておりますことは、仏教的にも功徳に繋がることであり、誠に有り難いことであると考えております。

何かに依存していかないと成り立たないこの世界においては、助け合い、支え合い、分かち合いで過ごしていくことが大切となります。

とにかく、まだ今は無理し過ぎずに、良いきっかけがあれば、少しずつでも働いていけるように調えていかれれば良いのではないだろうかと存じます。

「働く」という語源は、「端楽」で、「端(周り)を楽(幸せ)にする」という意味合いからきているらしいです。

いずれ自分に少しでも余裕が出てくれば、誰かの幸せのための助けや支えになって頂ければと存じます。それまでは、誰かの功徳に甘えて頂いても構わないと思っております。

いや、更に仏教的には、功徳を積まさせて頂ける存在がいなければ、悟りへと向けて必要となる徳積みをすることができずに大変に困ったことになります。

ですから、功徳の対象となる方がおられるこの世界は、実に貴重で稀有なのでもあります。もちろん、かといって、それを奇貨として甘えすぎてもいけないことなのですが・・

とにかく無理せずに少しずつ、一歩一歩です。あまり自己嫌悪に陥り過ぎて、卑下して、自分で自分を苦しめ過ぎてもいけませんよ。

川口英俊 合掌

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