hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

父親との揉め事

回答数回答 2
有り難し有り難し 13

初めてご相談させて頂きます。以前から父親の暴言にはほとほと手を焼いており、今年の初めに母親が亡くなり、その後予定していた娘の結婚式を挙げた事に腹を立て母親の49日には来るなと暴言され、また家内に対しての悪口も目に余るものがあります。母親は生前自分がもしもの事があっても結婚式は挙げなさいと言っていましたが父親は信用していません。また弟も父親の財産目当てで父親の言いなりで母親の葬儀の時も父親から葬儀委員長はおまえだと言われありがとうございましたと言う始末です。この様な状況でとても49日に出席したくないのが本音です。と言うか出席するつもりは無いです。49日過ぎた後で我々だけで母親を供養したいと思います。家内共々心身つかれ切っております。
よろしく御指導お願いいたします。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

誰もが「自分にとって」を持っている

人間はこの世に生まれてくると共に、自分の命を守る働きとして、自我、我愛、自己執着の機能が備わっています。
一言で「エゴ」といってもいいでしょう。
これは他人との共存、共生の中で、薄まっていくべきものなのです。
独自のルール、自分にとってのルールは誰もが持っています。
ですから、自分の思い通りに事がうまく運ぶと❝都合がいい❞のでしょうね。
そういう能力が人間誰にでもそなわっていて、それを克服できる人間は優れています。
そこに向き合おうとしない人間は、一生、エゴ、自我を大切に生きるだけの虚しい人生を歩みます。
特に、人とあまり交わらない人ほど、自己中心的、エゴイスティック、自分の思い通りに事を運ぼうとする心が強くなっていくように感じます。
別角度で申し上げますが、誰かを悪者にすれば、そこで問題は解決して、ああやっぱり親父が悪いんだ、弟はこすからい奴だ、で話は終了です。
そして、誰もがみんな正義。…で完結ですが、誰かが不幸せになるはずです。
あなたも遺産はもらえない。兄弟は一生不仲です。
本当の所を申し上げます。
お父さんの暴言の中から、
SOS信号を感じ取ることです。
ウソの孝順、孝行でもいい。
男なんて生き物は、みな気持ちを上手に表せん所があるのです。ウチの坐禅会では男性だけだとお通夜状態、キッカケ一つで和やかに変わります。
男だからこそ守るもの、見栄、プライド、自尊心、虚栄心がある。
そこで❝同族❞になって頂きたいのです。男なんざおんなじなんだ。守るものがあるんだな、と同族意識を復活させていただきたいのです。
年齢的にお父さんもこう言っちゃなんですが、そろそろです。
師匠の禅会に70代の方が「このままで終わりたくない」といって参禅に来られました。
家族に手をあげたり、暴言ばかりで、誰も相手にしてくれない、と。
話したくても、息子もだれも相手にしてくれない。
お父様にも、そういう心はあらわさずともあるはずです。
あなたの為にも、お父さんの為にも、最後くらいはお互いに上手に締めくくるべきではないでしょうか。
二男は次男として、あなたはあなたでお父さんと最後に、今から出来る限りの良い関係を作るべきです。
ヒント:カニタマは火を入れすぎると固くなって美味しくありません。ほっとくとどんどん固くなります。
・ウソでも孝行は孝行 ・人は従順を求む ・乱暴な言葉の裏に潜むもの 

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

せっかく娘さんが結婚して幸せになろうというのに対して暴言をはく人と、お付き合いする必要ありません。奥さんの悪口をいう人とお付き合いする必要はありません。ご自身のご家族だけで4 9日をされるということ、それで結構だと思います。ご自身のご家族が平和に暮らすことが、お母さんが最も喜ばれることだと思います。今までお父さんとの関わりは、さぞ大変だったことでしょう。どうか奥さんを、解放してあげてください。ご自身のことも解放してあげて下さい。そしてこれからは平和にお暮らしくださいね。そしていつしかお父さんが反省する時があったら、その時は笑って許してあげて下さい。

{{count}}
有り難し
おきもち

僕はウイキペディアでは以下のように紹介されています。 「日本、アメリカ、カナダ、ヨーロッパ、オセアニア、中東、タイ、バングラデシュで活動する指圧師、作家、音楽家。タオサンガ・インターナショナル代表。京都浄土宗和田寺の僧侶。タオ療法、タオ指圧、気心道の創始者。著書は数カ国語に翻訳され世界各地で出版されている。」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%A0%E8%97%A4%E5%96%A8%E5%8F%8A が実は、元家出少年です。ティーンエイジャーの頃は、徹底的に自己破壊的な行動を繰り返し、高校も2つ中退しています。現在は、浄土宗和田寺の住職で、一般の人が気軽に修行できる場として、京都と東京に道場を作りました。(道場はその他、世界各地にもあります) なので、修行したい方、人のために涙する方、楽しいことが好きな方はぜひ来て来てください。あなたを歓迎します。 ※毎週、法話を配信しています。書き起こされた法話は、下記でご覧いただくことができます。 http://taosangha.com

質問者からのお礼

御導師様 暖かいお言葉ありがとうございました。何か心に詰まっていたものが取れた気がいたしました。親に対する心の葛藤があり悩んでいました。重ねてお礼申し上げます。またご相談に乗って頂けるとありがたいです。よろしく御指導お願いいたします。

御導師様、ありがとうございました。多少認知も有るかとおもいますが、言葉のDVが続くと辛いものがあります。いままで介護してきたのは何だったのかと思いますが、自分も修行が足りないのかもしれません。重ねてお礼申し上げます。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ