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人間関係に悩む

回答数回答 1
有り難し有り難し 15

年々歳を取る共に、友達も減ってしまいました。
結婚して出産、子育てに忙しく仕事もしてバタバタと毎日が過ぎて行くと、
気がつけば周りに昔の友達は居なくなっていました。

実の親との関係も悪く、もう何年も会っていません。
むしろ会いたくない自分がいます。
介護とかになったらどうしようと思い悩みます。
母親は毒親なので、私はトラウマで会うことが出来ません。

そして、主人の親にも私は嫌われていてもう話もしなくなりました。

自分が段々孤独に思えるし、人との付き合い方が下手なのかも・・・
いつも落ち込みます。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

人対人ではぶつかる、仏に向かうものとして出会っていく

ご相談拝読しました。

これは程度の差はあれ、誰もが抱えている悩みですよね。人間関係の悩み。

悩むということはどうでもいいとは思っていないということ。

できる事なら手を取り合って生きていきたいという願い、それが私たちの奥底に流れているのでしょう。

人は一人では生きていけない。それなのに一人で生きようともがいてみたり、さも一人で生きているような顔をしてみたり。

目の前の人と本当の意味で出会っていけない。形の上では出会っているんだけれども、お互いがお互いの姿を見ようとせず、傷つけあってしまう。

それでもどこかでつながりを求める。寂しいという思いが身も心も苦しめる。

結局、人と人は人対人では出会っていけない。そう身の事実として教えてくれるのが仏教であるかもしれません。
その出会っていけない人も、どんな人でも実は仏に願われて生きている。出会いなさいという願いがかけられている。
その願いに目覚めるならば人対人ではなく、同じく仏に向かうものとして目の前の人と出会っていけるのかなと私は思います。
仏というのは真実を教えるはたらきです。あなたもその人も同じいのちを生きているという真実なる事実を教えてくださいます。

嫌いな人のことが好きになるというのではない。私の根性ではどこまでいっても嫌い。嫌いなんだけれどもこの人もまた私と同じく仏に願われているのだ。共に手を合わせ教えを聞いていこう。今私を苦しめるこの悩みこそ、仏法として今、私にはたらきかけているのだろう。

そう感じた時、目の前の嫌いな人、出会っていけない人がそれはそのままとして嫌いながらも共に歩めるいのちというものを賜れるのかなと感じています。

本当に難しいですよね。一緒に仏法に尋ねていきましょう。

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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質問者からのお礼

悩みはつきません。
どうして人は、生きるのでしょうか?
子供の頃は、生きたくなくていつも死を考えていました。
こんな私でも子供が生まれて生きて行こうと思えたのは、本当に最近の事です。
苦しいです。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ