いつまで悲しいのか
いつもありがたいお言葉に感謝しています
娘が今年3月に首吊り自殺をして
半年が過ぎました
始めは死んでしまった事が受け止められず
今はもう娘と2度と会えない事
娘と話が出来ない事
ごはんも食べれない事
笑い合えない事
実感してしまい毎日が悲しみで
泣かないでいれる日がありません
死んだほうが苦しくないけれど
まだ家族がいるので 出来ません
一生娘のいない人生が続くと思うと…
生き甲斐が無くなり…
同じような思いを抱えてる方も多いと思いますが
みなさん耐えてるんですよね
娘は夢でさえ会えません 来てくれないです
いつも長文ですみません
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ずーと覚えてあげてください。
忘れたいのに、早く気持ちの整理をしたいというお気持ち、
痛いほどよくわかります。
明けても暮れても、忘れることのない、懺悔と後悔の淵に沈んでいらっしゃると思います。
走馬灯のように無念の想いが蘇ってこられていませんか。
忘れたいのに、なぜ、乱暴に思われたかもしれません。
私も20年前に親友で職場の同期を自死で亡くしています。
会社内の人事評価が原因だといまでも思っています。
なぜなら干されて、その1年後の異動内示の日に自死していますから。
処遇が非常に似ていた、はっきりってお互い干されていて、
お互いの傷を舐めあうような状況であったことから、
人事担当者や会社に対する猛烈な義憤、
彼に対してなにもしてあげることができなかった強い後悔、懺悔
そして、自分も自死に追い詰められてしまうのではないかとの恐怖にかられたものです。
波のように押し寄せる悲しみや辛さ。
どうここから立ち上がったらいいのか、試行錯誤しました。
というよい、もがき苦しみましたよ。
思い浮かぶ彼はいつも下を向いて無表情でした。
自死した人はどうなるのだろう?地獄に落ちる=限りない恐怖心だったんです。
自分で自分の命を絶たなければならなかったような方を、さらに、地獄に堕とすのだろうか?
仏さま、阿弥陀さまはこの娑婆世界で苦しみ、悩んで自死を選ばざるを得なかった方こそ、
最も救わなければならない目当てなんだということに気づいたんです。
そう考えたら、気持ちがすーと楽になりましたよ。
彼は救われたんだと、確信が持てました。
そうしたらどうでしょう。目を瞑ると笑顔ででてくれるようになりました。
気のせいかもしれませんがね。
生きていようが、死んでいようが、この救いようのない私たちは、
阿弥陀さまに救いを求めるしかない、念仏を唱えるしかないという、
信念に変わりました。
ただし、途中下車してしまった彼には、もう一度、やり直してと思います。
彼の命は彼だけのものではない、婚約していた彼女や、回りのすべての人たちによって、
育まれた、願われた命だったんですから。
お嬢さまも、お浄土でしっかりご病気を治れれて、再起されることを
阿弥陀さまにお祈りいたします。
お母さまもお嬢さまのために、阿弥陀さまに祈りましょう。
※今までのご回答にきちんと、お礼してください。
質問者からのお礼
暖かいお言葉
ありがとうございます
これからも変わらず娘を愛して
供養して生きていきます