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生きる

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有り難し有り難し 45

いつも、相談にのって頂き有難うございます。
今日、83歳になる父親から「この世が嫌になったよ…。」と、言われました。

父は、病気を抱えながら要介護1の母と二人で暮らしています。
よく、仏教の話をしてくれるので、「いつも仏教を学んできた、お父さんらしくないじゃん。私もこの頃、勉強しとるんよ。一切皆苦、世の中思い通りには、ならんらしい。」と言うと、ラジオで、いい法話やっとるの聞いてみんさい。と教えてくれました。

病気を患い気弱になっている父が心配です。何か、前向きになる、お言葉があれば教えて頂けないでしょうか…。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

生きるということ。

法華経好きの私は、やはり、宮澤賢治の「雨ニモ負ケズ」が年々深く心に沁みてきました。

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ陰ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

信仰で必ずしも人の苦しみが救われるわけがありません。生老病死の苦しみの中で、泥臭く生きていく人生にしたいと思っています。読めば読むほど自分の人生を見つめることになります。この詩の本はたくさんあるので、是非ネットで探して購入し、お父さんにプレゼントしみてください。

明日、9月21日が、宮澤賢治の命日です。

合掌

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病気のご縁を活かして

娘さんとしては心配ですね。
83歳の父親、私の師匠の祖父は91歳。
バリバリの仏教徒(当たり前か)でしたが、似たようなことを言う時あります。

20代の目線、30代の目線…80代の目線。
その年齢になってこそ見える景色や想いはあろうかと思います。
高齢者は特に、同世代が亡くなっていくこと、身体の自由がきかなくなること、死が現実のものとして近づいている気がすること、、、
色々と切ない胸中を抱えることがあることでしょう。

お釈迦さまは「私の教えを頼りにしなさい」「教えを私と思いなさい」と仰いました。
「私も仏教を学び始めたよ、だからまだまだ色々教えてよ」って言葉は嬉しいと思います(^^)

元気付ける言葉になるかどうかはわかりませんが、病気という観点から祖師の言葉を…

「浄名経涅槃経には病ある人仏になるべきよしとかれて候、病によりて道心はをこり候なり」
(お経には病がある人は仏になると説かれています。なぜなら病によって仏道を求める心が起こるからです)

病気は辛いものですが、それによって新たに見える見解があります。
病気になるということは、実体験によって仏教とさらに縁を深めるチャンスなんです。

病気でも何でも「思い通りにしようとするから苦しむ」のですが、それを踏まえた上で「お父さんの当病平癒を願ってお参りするからね」って励ましてあげて欲しいです。
私も願っています!合掌。

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困っている人や悩んでいる人にとって、仏さまの教えが少しでも良薬となれること...
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いま、ここを生きること。それ自体が美しい修行です。

若葉よしわくら葉もよしくれないに
黄に染め上げて散りゆくもよし

春秋のよそおい捨てし裸木の
ただ粛然と天に向かえる

曹洞宗の青山俊董老師による二首です。

萌ゆる若葉、色とりどりの紅葉、虫食いや病葉(わくらば)。全てが木の一部であり、それら全てがあるからこそ、木々には奥深い美しさがある。人生も同じではないでしょうか。生老病死やそれに伴う喜怒哀楽があるからこそ、味わいがある。

年を重ねることは、それ自体が大きな修行だ、と思うことがままあります。

若さに任せて「未来」や「ここではないどこか」を追いかけることも、「過去」や「あのときの自分」に戻ることもできません。健康な若者よりも「今」「ここ」にある命に肉薄し、己というものに深く向き合わなくてはならない。その真剣勝負を思うと、自然と頭が下がります。

私は、こういうことについて考えると、祖母のことを思い出します。
祖母は、共働きの両親に代わり留守中の面倒をみてくれていましたが、晩年は、認知症や病気で家事をする機会も減っていました。

そんな祖母の最後の家事分担は、洗濯物をたたむことでした。

一枚のシャツを膝にのせて、居住まいを正す。
ひとつひとつ丁寧にしわをのばし、端と端をしっかりとあわせる。
ゆっくりと重心を動かし、次の洗濯物に手を伸ばす。
聞こえるのは、祖母の呼吸の音と、外の道路を走る車の音だけ。
祖母自身には、それすら聞こえていなかったかもしれません。

偶然その姿を目撃した私は、その美しさに驚き、しばらく声をかけることができませんでした。

祖母の代わりに私が畳んだほうが、早く終わったかもしれません。
しかし、注目すべき点は、効率や出来栄えではなかった。

祖母が洗濯物を畳んでいるという行為そのものが、尊い修行だったのです。

結果を問うことも、何かと比べることもなく、淡々と目の前のなすべきことに専念する。その姿勢がなんの変哲もない作業を、息をのむほどの美しさにしました。

今振り返れば、あの時の祖母の姿は、「ただ粛然と天に向かう」裸木であり、坐禅する仏の姿そのものであり、それは祖母の病や老いた肉体があってこそ、行きついた境地だったと思います。

過去や未来がどうであろうと、大切なのは今ここで、どう修行をするか。
お父様が日々の営みを修行とし、そこから生きる喜びと誇りを得られますように...
合掌

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おきもち

前向きになれるかどうかはわかりませんが

http://www.higashihonganji.or.jp/sermon/shoshinge/shoshinge68.html

これが私は好きです。

われわれは、すでに救いのなかにある。
だけれど、煩悩によって、その事実が見えなくなっている。

現代語の意訳だとこんな感じでしょうか。

http://seiten.icho.gr.jp/html/401.html

>前に生まれん者は後を導き、後に生まれん者は前を訪え、連続無窮にして、願わくは休止せざらしめんと欲す。

真実の教えが、師匠から弟子へ、またその弟子へを伝えられてきた。
これからも、伝えていきたいと願っていますよ。

現代語意訳だとこんな感じだと思います。

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おきもち

浄土真宗、真宗大谷派です。
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質問者からのお礼

染川様
日顕様
佐藤様
妙香様

有りがたい、お言葉を頂き感謝します。
その後、姉と実家に帰る日をできるだけ増やして、父と話を沢山するようにしました。
すると、食欲も出てきたように感じます。病の不安と寂しさを抱えて、日々生きているんだなあと思います。

雨ニモマケズ…。

病がある人は、仏になる。新たに見える見解。

前に生まれん者は後を導き。

今、ここでどう修行をするのか、日々の営みを修行する。

どれも、心の中に刻む大切な有りがたいお言葉です。
忘れないように、ノートに記しこれからの人生に共に学び生かしていきたいと思います。
有難うございました。

「生きること・生きるとは」問答一覧

生きていることが恐いです

今年の夏は、異常でした。でもあれは、今年の夏だけの異常さではないと思います。 今、南半球では、異常な夏が訪れています。私たちの住む北半球でも、30度を超える冬、魚の大量死など、異常な冬の訪れを告げるニュースがあちこちで流れています。 地球が壊れかけています。異常な暑さと、環境の変化による食糧不足、水不足、それらを起因とした人々の争い。これから先の未来を考えると、恐ろししか感じません。 そんな世界に子供を産んでしまったことが、申し訳なくて仕方がありません。自分はもう死んでしまいたいと、こんな怖ろしい世界にいるくらいなら、もういいと思います。でも、そんな恐ろしい世界に親もなく残された小さな子供たちのことを考えると、苦しくてたまりません。 必死で生きてきました。仕事も見つけ、色々ありながらも、家族を養える程度には何とかなっています。でも、これからの大きな変化の中では、そんなもの何もなりません…… 逃げ場はないですし、それでも生きていくしかないと頭ではわかっています。でも、恐怖は、変えられません……。 化石燃料を無駄に使う人を、憎む気持ちすら浮かびます。こんなもの、なくていいじゃないかと、エネルギーの無駄ではないかと思うものを見るたびに、落ち着かない気持ちになります。でも、ヒトが生きていくには、時に「無駄」に見えるものが重要なことも知っています。 こんな状況で戦争なんて、何をやっているんだと思います。個人でできることを必死で探してやろうとはしています。でも、そんなもの何もならないことも、やはり頭ではわかってしまうのです。 こうした不安を、エコ不安というようです。世界でも増えているようですが、無理からぬことだと思います。出口のない、ないことを知ってしまっている、苦しさがエコ不安の難しさだと感じています。 出口がないのなら、しのごの考えずやるべきことだけをやる。分かってはいるつもりですが……苦しいです。

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回答数回答 1

生きていることだけでも褒めて頂きたい

 生きることに疲れてしまいました。まだ若いのに何を言ってるんだと思われるかもしれませんが、どうか私の過去を聞いてください。  幼稚園の頃の先生からの虐めが全ての始まりでした。先生たちは、いつも私を馬鹿にしたように笑い、私の目の前で私の悪口を言いました。腕を脱臼した時は気のせいだと聞いてもくれず、一日中その状態で放置されました。いつも適当に扱われ、泣くと面倒臭そうな顔をされ、私は段々死にたいと思うようになりました。その程度で病む私が弱いだけなのですが、とにかくそれが原因で自分はダメな人間なのだと思い込んでしまって、人の目が怖く、笑っていても内心嫌っているのではないかと常に人を疑うようになりました。  小中と虐めが続き、暴力や陰口、物を隠されたり捨てられたりしたこともありました。今思えば私の性格も悪かったのではないかと思いますが、当時はそんな俯瞰もできず、ただ受けたことに対する怒りと悲しみで一杯でした。そしていつしか私までもが、仕返しまがいに人の悪口を言うようになっていました。  中学の頃、仲の良いと思っていた友達が、実は裏でずっと私を笑い物にしていました。私が相談した悩みを言いふらし散々馬鹿にし、私の盗撮写真を勝手に友達に送り不細工だと笑っていました。  それをきっかけに私はもう誰も信じれなくなり、自分に一切の自信を持てなくなりました。環境が変わり悪口をやめても優しく接しても結局好かれることはありませんでした。みんなから嫌われている、信じても裏切られる、そんな私のただの被害妄想だったものが、いつも現実になって突きつけられるのです。何も思い通りにならないのに、それだけは必ず予想通りになるのです。  悪口を言い出した時点で私はもうただの被害者ではなく“どちらも悪い”と言われる立場だと思います。人と上手く付き合えない私に問題があることも、全て自業自得であることも私が一番よく分かっています。こうして悲観的な部分も、見苦しく思われるでしょう。それでも今だけはどうか私を責めず、生きていることだけでも褒めて頂きたいのです。生きているだけでいい、そんな言葉にいつも憧れ、自分も誰かに言ってもらえたらどれだけ幸せかと思っていました。少しでも、何かお言葉を頂けたらと思います。

有り難し有り難し 27
回答数回答 2

生まれてきたのが間違いだった

今回もお世話になります。 前回と被る内容もありますが、どうかお聞き頂けると幸いです。 私は発達障害があり、勉強や人間関係の構築がとても苦手です。そのせいで、小学生の頃は自己中で友達を嫌な思いにさせ、中学は先輩に失礼な態度を取り先生にも愛想をつかれ、3年間ほぼ全て不登校になりました。また、高校に進学してもすぐ辞めてしまいました。 16歳~18歳はパートをしていましたが、いびられて私自身耐えることが出来ず職を転々としました。そして、18歳を最後にそれ以降無職です。 また、19歳の頃にネットで知り合った人に粘着してしまい、一度は許してもらったもののその後も長文メッセージを何度も送ったりして怖がらせ、嫌われ縁を切られました。 そして現在は、過去の過ちの罪悪感でとても苦しいです。 もちろん反省していますし、今後は気をつけようと誓いました。 それでも私のしてきたことは許されないですし、罰せられるべきだと思います。 生きている価値がない、幸せになってはいけないと思います。 なにより、血縁関係者の中で私が一番の落ちこぼれですし、生きていることが恥ずかしいです。 それでも母は私の事を愛してくれるので心が痛いです。 全て己の過去の過ちのバチが当たったのだと思います。 私は産まれてくるべきではありませんでした。早く死にたいです。 長文乱文失礼致しました。 なにかお言葉を頂きたいです。

有り難し有り難し 8
回答数回答 1

生きていてはいけない人間はいるのか

書いている内にダラダラと長くなってしまったので、質問内容をできる範囲で簡潔に書きます。「働きたくない、それのために努力もしない、ゲームばかりする人間で、それが周りに分かれば自殺する人間は感情論などを抜きにして死ぬより生きる方が周りに迷惑なので死ぬべきか」です。 今学年上では大学4年ですが、実質的には大学3年です。その理由は、研究室に入らず、内定も決まっていないからです。 ですが、そのことは家族や友人など周りの人には隠しています。その始まりは研究室選びの時期を間違えたことが原因でした。 元々やる気も無かったのですが、研究室に入っても毎日大変で、それが終わっても就職して働くことを考えたら今死んだほうが良いと考え、道具や場所などを考え、イメトレをしました。 それでも本当にバレるまでの間は遊んでから死ぬことを選びました。しかし嘘の日程である内定式ももう明日には迎えるので、きっと死ぬだろうと思います。好きなときに遊べないのならば生きようとは思いません。勉強もしたくありません。仕事したくもありません。 思えば子供の時も、もし犯罪を犯して懲役刑になったら自殺することを考えていました。そのくらいゲームなどの遊びは好きでした。 カウンセリングも9ヶ月ほど前にも受けましたが、やはりこんなクズは死ぬしか道はないと思います。 私自身の意見は、実際に自分の子がそんな子であると分かれば、無理矢理にでも働かせるか、勘当するかのどちらかであると思います。将来確実に働かないのであれば、養ってる意味がないからです。 私はそれが分かっているので、迷惑だとは思いますが自殺すれば迷惑や恥などの意識もなくなり関係ないので、自分としても楽だと思うし、迷惑かけ続けながら死ぬよりもそれが結果的に周りも最善であると思います。むしろ、生きていては今すぐ死ぬよりも他人を不幸にする人間であると思います。 しかし、このようなことを調べてもここまでのクズはいないのか、うつ病などの症状、自殺はダメなどの情報しか出ません。結局全く努力しない、非生産的な人間には価値はないと考えています。 なのでここならばより多い情報で正確な回答がもらえると感じ、質問しました。 結局は社会からも死ねと言われて死ぬことすらも正当化してもらおうとしているだけなのかもしれません。相談内容、文脈が滅茶苦茶なこと、長文であることすべて申し訳ありません。

有り難し有り難し 15
回答数回答 2

思う様に生きるという事

私は命に関わる病を経験した後、 コロナ禍の自粛生活の中で人生を見つめなおしていました。 考えてみれば今までの人生、 周りの目を気にし過ぎてやりたい事をやらずに 無難な選択ばかりしてきました。 子供の頃から我慢をして良い子を演じて来ましたし、 人生の選択も周りから見て印象が良い選択をしてきました。 しきたりや世間体を気にする家庭で育ったせいかもしれません。 今まで考えた事が無かった心からやりたい事、 将来の目標が見えてきたので 心を入れ替えて本心からやりたい事をし これからは悔いの無い人生を歩みたいのです。 ですが、心に引っ掛かる事が有ります。 私の生まれ育った家庭が、歴史の有る田舎の家で 亡くなった祖父母が生前に家の土地を守っていく事を心配していました。 家を継ぐのは当然の事の様に教えられてきましたし 病と年齢的に子孫を残す事が難しくなった私は 先祖に顔向けが出来ず時折恥ずかしい気持ちになります。 その上、今まで家で抑圧されてきたのに自由に生きようとしています。 本当は早く結婚し、実家からそう遠くない場所で暮らし 子育てをする事を想定していたと思いますが それが出来なかったので情けなく思います。 (でも、本心では子育ては向いていない方だと自覚しています。) 兄弟はいますが後を継いで貰うのはあまり期待が出来ないです。 近所でも最近は古い家を手放し 出ていく人が増えてきているので 今となっては珍しい事では無いのですが 本心からやりたい事を考えると 祖父母の言葉が頭に蘇って 跡継ぎを産めず地元に残りたいとも思っていない 私は罪悪感を感じてしまいます。 考えすぎなのかもしれませんが 先祖は私が本心からやりたいと思っている事を 応援してくれると思いますか。 奇妙な質問ですがお答え頂けると幸いです。

有り難し有り難し 9
回答数回答 1

自分の生き方

お忙しい中ご覧くださりありがとうございます。 私は、プロフィール欄や、前回の質問にも書いてあるとおり、沢山の過ちを犯してきました。 今は、過ちに気づいてからの自分の選択が正しかったのか、悩んでいます。 SNSの件では、謝って、周りから軽蔑されるようになると、不登校になりました。被害者の心配は殆どせず、自分が一番辛いと勝手に思い込み、逃げてしまいました。もし通い続けていたら、更にストレスが溜まり、また新たな過ちを犯していたかもしれないですが、でも沢山の方に迷惑をかけたこと、逃げた事には変わりないのでどちらが正しかったのか自分でもわかりません。 最近も、被害者の方を見かけることはありますが、自分が傷つくのが怖いからか、その方もせっかく楽しそうに生活してるし私との件について思い出したくないだろう、と自分に言い聞かせて気づかれないよう逃げています。 テストでカンニングした件でも、もう時効だ、その時の担当した先生も異動してるし今更謝っても仕方ないと自分に言い聞かせ、結局謝れませんでした。もしカンニングをしていなかったら、内申点が変わっていて今通っている学校にも合格しなかったかもしれません。 拙い文章でごめんなさい。 このような私の選択は間違っているでしょうか。気持ちを切り替えて生きようとしている私は正しいですか。

有り難し有り難し 10
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ