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お経を今の言葉でわかりやすく説明してほしい

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お経は漢字ばかりで見ても聞いても難しくて何のことかわかりません。
たぶんすごくいいことが詰まっているのでずっと読まれていると思うので、何を言ってるのか現代の言葉でわかりやすく口語訳して欲しいです。長ければ一部でもいいです。

2013年5月16日 23:37

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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

般若心経 禅宗風。

あらゆる苦しみから救われ幸せを手にしたいと思うならば、ありのままに物事を観る力も大事であるが、出来事を観た時にその価値観点が自由自在になれる“観自在力”をこそ得るべきである。

そのためには心のあらゆる働きに手を加えることをやめ、静かに坐禅することが一番良い。
我見の鎮まった状態、無私ビジョンに至ることができる。
無視ビジョンとは、たとえばこの✌をチョキとも2ともピースともVサインとも言わない、それをそのまま✌あるがまま✌に見る力であり、
人間の考え、マインドを介さずして✌そのものをダイレクトに観る力である。

人は常日頃、自分にとって都合の良いことを好み、悪いことを嫌う。
自分の都合の良し悪しを中心とした我見が、多くの人間のものの見方、捉え方の中心である。
その我見の無い心で一切世界を観ると、あらゆる存在はすべて海、雲、雨、川の流れのような現象的存在であることがわかる。
たとえば雪を手にとって、雪と呼べどもその言葉がいつまでも真実を言い続けられないように、真実の世界は常に真新しく、我々の思いの働きとは無縁に存在している。

心もまたかくの如く目も耳も体も心も、気持ちを注いだ所に心が向かう。心は思ったこと、念じたことに“なる”。
あたかも蓮の華が泥沼から咲けども、泥の色に染まらぬあり方のように、あなたの心があらゆる過去を経ても、それらに影響されずクリアーな心を、今、咲かせていることに気づくべきである。
“世界はいつも新しいように、我々の心もまた、何時でも前のことから離れて今を生きている”
このことに自覚をすれば、人間は宗教宗派を超えて万人が救われる。
心は思ったこと、念じたことに“なる”。向かっている出来事に“なる”。
だからこそ、如何なる出来事に処すれど、そこに一念も生ぜずに、そのままでいられて、如何様にでも自由自在に活用出来る力をこそ、あなたは真剣に求めるべきである。

一切はそれが、今、そこに、ただ、そうしているありようであって、それ以上でもそれ以下でもない。
✌一切はただ、かくの如し。そこにもとどまるべからず。
ギャーテーギャテー、我かくのごとし、
ハラソーギャーテー、汝もまたかくの如し。
悟りという事も無いほどに確かな今、ここ、という確かさが、あなたの上に体現されていることを自覚するべきである、。
願わずとも頼まずとも、今は何時でも、真新しい、喝。

2013年5月17日 1:01
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おきもち

丹下覚元(たんげかくげん)
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延命十句観音“和讃”

kyosukeさん、こんにちは。

鎌倉は円覚寺 管長 横田南嶺老師という方がいらっしゃいます。
この方が、『延命十句観音経』というお経を意訳し、和讃のかたちにしたものがあります。『延命十句観音和讃』といえるでしょう。
和讃(わさん)とは、仏・菩薩、祖師・先人の徳、経典・教義などに対して和語を用いてほめたたえる讃歌のことです。七五調となっているので、リズムをとって詠むことができます。

“現代の言葉(でわかりやすく口語訳)”とは言えないかもしれませんが、くりかえし詠むことを考えると、以下のかたちは・・しっくりします。
十句観音経は42文字と短いお経ですが、ギュッと内容が詰まっています。ちなみに、意味がわからなくても、呪文のようにお唱えする・・・という方法は十分にいいことですよ。

『延命十句観音経』
観世音 南無仏
与仏有因 与仏有縁
仏法相縁 常楽我浄
朝念観世音 暮念観世音
念念従心起 念念不離心

『延命十句観音和讃』
大慈大悲の 観世音
生きとし生ける ものみなの
苦しみ悩み ことごとく
すくいたまえと いのるなり
苦しみのぞき もろともに
しあわせ祈る こころこそ
われらまことの こころにて
いのちあるもの みなすべて
うまれながらに そなえたり
ほとけの慈悲の 中にいて
むさぼりいかり おろかにも
このこころをば 見失い
さまようことぞ おろかなる
われら今ここ みほとけの
みおしえにあう さいわいぞ
おしえを学ぶ 仲間こそ
この世を生きる たからなり
われを忘れて ひとのため
まごころこめて つくすこそ
つねに変わらぬ たのしみぞ
まことのおのれに 目覚めては
清きいのちを 生きるなり
朝に夕べに 観音の
みこころいつも 念ずなり
一念一念 なにしても
まごころよりは おこすなり
一念一念 観音の
慈悲のこころを 離れざり

2013年5月17日 13:11
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おきもち

「~です」とは、「~だと、ぼくは思うのです」ということです。 回答は、書...

なむ・あみだ・ぶつ

そうですね、お経はワケわからないですね (^_^;)

もともとの狭義のお経は、インドのお釈迦さまが説かれた教えです。お釈迦さまが亡くなりしばらくは口伝でしたが、やがて文章として残されるようになりました。

インドから中国に仏教が伝わると、古代インドの言葉から中国語に翻訳をされました。ちなみに翻訳家として有名なのが、かの有名な三蔵法師・玄奘さまです。

中国語訳をされた際、意訳された部分と、音訳した部分が混在することになりました。なのでお経は難解なのです。
ちなみに意訳とは、インド語で「パンニャ」という言葉を「智慧」と訳すことです。
音訳は「パンニャ」を「般若」と表記することです。

お経は約3000種類、1万2千巻もあります。とてもここで口語訳は出来ません。
岩波文庫などで主要なお経が訳されていますので、詳しくはそういったものをご覧下さい。

さて「一部でも」との事ですので、ここは「なむあみだぶつ」を解説させて頂きます。
なむあみだぶつ(お念仏)は、サンスクリット語で「ナマス アーミータ ブッダ」という言葉を「南無阿弥陀仏」という漢字に音訳したものです。

ナマスは、帰依する・信じる・任せる、の意。
アーミータは、無量・無限という意味です。
ブッダは、真理に目覚めた者という意味で、仏と音訳されます。

掘り下げると、アーミータの後に2種類の言葉が隠されています。
「アーブハ=光」と「アーユス=命」です。

ですので「なむあみだぶつ」は「無限の光と命を有する仏に帰依をする」となります。

ここの字数を超えてしまいますので、今回はここまで m(_ _)m

2013年5月17日 1:42
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おきもち

浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...

推薦 「よくわかる お経の本」講談社・由木義文氏著

kyosuke様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。

仏説は「八万四千の法門」と言われますように、御仏はその尊い慈悲の御心により、数限りない無数の衆生のそれぞれの機根(悟りへと向かうための性質)や、各々の迷い・苦しみや煩悩・無明(根本的無知)・悪業などに応じて、善巧方便を用いられて教えをお説きになられたと言われております。

釈尊の教えは、後世に弟子たちや、様々な聖者・学僧によって文字にまとめられて、現在ある「お経」として今日に伝わっているものとなっています。釈尊在世時においては、その教えを文字にして表して残すことを許されなかったため、現在伝わっている「お経」の全ては、釈尊入滅後、数百年経ってから、書き記されていったものとなっています。

http://ja.wikipedia.org/wiki/仏典

http://ja.wikipedia.org/wiki/結集

釈尊が使用されていたとされるマガダ語から、その後、教えを記憶していた弟子たちの主要使用言語によって文字化されることとなり、初期においては、パーリ語やサンスクリット語で表され、その後に各地への伝播に伴って、地方言語に訳されていくこととなりました。日本では、中国においての漢語による訳出の経典が伝来しているため、漢文経典が中心となっている次第であります。

もちろん、訳出の過程では、訳者の意図的・恣意的な思想や哲学が入ってしまうこともあり、完全に原典の意がそのまま表されているのかどうかといった問題もございますが、言語学・文献学の進歩により、かなり忠実な訳出も可能になってきているのではないだろうかとは思われます。

どの経典に興味がおありであるのかは分かりませんが、各宗派の主要経典についてまとまった入門的な口語訳としましては、『「よくわかる お経の本」講談社・由木義文氏著』をお薦めさせて頂きたいと存じます。

更にそこからもっと詳しく内容をお知りになられたいと思われる経典がございましたら、専門書や注釈書などをお読みになられたり、各宗派・各寺院主催の講座、大学や研究所における講座などを受講されたり、深く学びを進められても良いかとは存じます。

仏教の教えをしっかりと学び進めて、悟り・涅槃へと向けて共に精進努力して参りましょう。

川口英俊 合掌

2013年5月17日 11:53
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おきもち

川口 英俊
「僧侶は、悩む人に正しいくすりを調剤できる薬剤師であれ」 http:...

「お経・経典」問答一覧

【プロフィール参照】お経をあげる意味について

最近、疑問に思っていることがあり各ご僧侶様のご意見を頂きたく質問させて頂きました。 まだ小学校低学年の頃から、30年以上前に亡くなった曾祖父に会いたがったり、誰に教わるでもなく仏像をねんどで作ったり絵に描き起こしたり何かと仏教とご縁のある身なのだなとありがたく思っております。 大学でも仏教学部に在籍していたこともあり学問的な仏教にも大変興味があります。 この1か月間で無量寿経、薬師経、阿弥陀経、般若心経等、10以上の真言、経典を読んでいました。 釈尊の言葉をまとめたものがお経なのであれば、なぜ葬式や法事であげるか少し理解できずにおります。教えを書き起こしたもの(学校でたとえるならば教科書でしょうか)を故人にあげる意味とはどういうことなのでしょうか? ある本には六道の中で人間界でしか仏教を聞く事ができないと書いてありました。 人の思う天国も六道では天界というところだそうですが、苦しみもあるとのことでした。 葬式や法事等であげるお経は人間界でしか学べぬ仏教を、故人にもその教えをお経として聞かせ参列している人もまた教えを一緒に聞く、という意味合いなのかなと解釈しております。。 菩薩や天部のエピソードは多少脚色されたものもあるのかもしれないなと物語として楽しく学んでおります。 また各浄土にいらっしゃる仏様それぞれが得意とする分野をお持ちですが(薬師如来なら無病息災や病気治癒など)、病気になった時はお薬師様、強い心を持ちたい時はお不動様などそれぞれの仏様に拝んでもよいのでしょうか? 全ての仏様のお師匠様が阿弥陀様ということを本で見かけましたので基本的に元をたどれば一つであると考えればどの仏様にお祈りをしてもよいのかなと、、 仏様のご利益は願って叶うものではなく、願ったのち自身が前を向き努力した時にそっと後押しをしてくれる存在と最近は思います。 ご僧侶様のご回答ご意見を、宗派関係なくお聞かせください。 ※曾祖父時代は浄土真宗、現在は真言宗ですが私自身はどの宗派も元をたどればおおかた同じと思っておりますので気に入った仏様や宗派を勉強しているようなかたちです。

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