人に近寄られると傲慢になり、離れられると辛くなる
ご覧下さりありがとうございます。タイトルの通り、周りに矛盾した態度をとっていることに気づきました。
古くからの友達で、離れそうにない人にはメールの返事をぞんざいにしていたり、多くの友達がいて私に関心をなくしそうな人には、擦り寄っていたり。
そんなことをしていて、旧友を呆れさせたのかも知れないのです。
旧友も大変な時期で返事が出来ないのかもしれない。相手の事を考えれば、静かに見守るべきでしょう。せめて私が冒頭のような態度をやめて、いつかまた縁のあったときには、いびつでない関係を築けるようにしたいのです。
どのような心持ちで、今後を過ごすべきでしょうか。アドバイスを頂ければ幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人の心は弱いもの。慢心もあれば、「へつらい」の心も有り。
仏教用語の多くは一般の方々には難解です。しかしそれらの仏教語は仏弟子たちが釈尊の教えに照らされて修行に努め、人間の心理や行動を丁寧に観察し深く分析してきた所産です。人間の中にある悪い心を「煩悩(ぼんのう)」と言いますが、一口に「煩悩」と言っても、『倶舎論』などの研究書では「煩悩」をかなり細かく分類しております。
「古くからの友達で、離れそうにない人にはメールの返事をぞんざいにしていたり」という行動は、仏教の中の煩悩の「慢」に当たります。「多くの友達がいて私に関心をなくしそうな人には、擦り寄ったり」することは、煩悩の中の「諂(てん)」に当たります。
仏教で「慢」は、思い上がりの心をいい、その心理状態を七つに分けたものが「七慢」と言います。七慢とは下記の通りです。
1、慢とは、他と比較しておごり高ぶること。
2、過慢とは、自分と同等の人に対し、自分の方が上だと思うこと。
3、慢過慢とは、自分より優れた者に対し、自分の方がもっと上だと思い誤ること。
4、増上慢とは、悟りの域に達していないのに、既に悟っているという自惚れの心。
5、我慢とは、自分に執着することから起こる慢心のこと。
6、卑慢とは、はるかに優れた者と比較し、自分は少ししか劣っていないと思うこと。
7、邪慢とは、間違った行いをしても、正しいことをしたと言い張ること。
諂 (てん)とは、「へつらい」の心です。自分だけの利益や世間の評判を得るがために、他者をだまして迷わそうとして、人に媚びへつらい等など従順を装い、人の心を操縦する心である。
慢や諂という心は、あなただけに有るものではありません。私を含め、すべての人間の中に有り、日々の行いの中で表面化してくるんです。ですから、決して悲観する必要は有りません。自分の心理と行動を点検し、内省する。KNさんは謙虚で実直な方だと思います。
月並みな回答ですが、自分自身の中に有る煩悩の一つ一つを自覚し、日々の仏壇への礼拝に心を込めて努めて下さい。そして、朝の礼拝で今日一日の精進を誓い、夕べの礼拝に懺悔(さんげ)と感謝の念を込めて締めくくりましょう。
尚、人の世は諸行無常です。他人との関係が時に親密となり、時には疎遠となるのは、或る程度止むを得ないことです。http://hasunoha.jp/questions/857
質問者からのお礼
吉田様
お礼が遅くなり、ご無礼お詫び申し上げます。ご回答ありがとうございました。
人の心について、詳しくご解説頂き、理解が深まりました。
アドバイスを実践いたしましたところ、文中の疎遠になりかけた友人とも適度な距離を保つことが出来ています。また、諸行無常…のくだりも心にしみ入りました。
最後になりますが、大変親身なご回答に、心より感謝申し上げます。ありがとうございました。
吉田様
お礼が遅くなり、ご無礼お詫び申し上げます。ご回答ありがとうございました。
人の心について、詳しくご解説頂き、理解が深まりました。
アドバイスを実践いたしましたところ、文中の疎遠になりかけた友人とも適度な距離を保つことが出来ています。また、諸行無常…のくだりも心にしみ入りました。
最後になりますが、大変親身なご回答に、心より感謝申し上げます。ありがとうございました。