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気にしない心とは

回答数回答 2
有り難し有り難し 30

いつも相談にのってくださりありがとうございます。

先日、いろいろ気になり腹が立ちますと相談させていただきました。
あれから些細なことをいちいち気にしないようにと気をつけてきましたが、すごく我慢している自分がいます。

腹が立ってもニコニコして、気にしないふり。
これは常識的におかしいと思っても、気にしないふり。
何も言わず黙ってる。

これはただの我慢ですか?
それともこれが気にしないということですか?

もし我慢なら自我を抑制しているように感じます。
それがストレスにもなるような…。

自分がどうすればいいのかわからなくなっています。
どうかご指導よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

型を作る・あきらめる・明らかに知る

ご相談拝読しました。

拝読したところ、う~ん…それは「ただの我慢」かなと感じました。ただ、その我慢を継続する先に「気にしない」の境地も待っているのかもしれません。

イライラやストレスの感情は起きてしまうものですね。自分が起こしたのではないから我慢する心の持ちようだけでコントロールはできないかもしれません。

おっしゃるように、腹が立っても「ニコニコ」。それが大事かと。表情やしぐさや癖で身体を整える。型をつくる。そうしたら型に心がついてくるかもしれません。いきなりではないですよ。徐々に、じょじょにです。

イライラしたらニコニコの笑顔をつくってみる。優しい言葉を発してみる。目を閉じて深呼吸してみる。

そうした型が、我慢を少し助けてくれるかもしれません。我慢がいつしか我慢じゃなくなるまで型が浸透したらそれは「気にしない心」の境地かと。

それでもダメなら荒療治で危険を伴いますが、

イライラしたことに全部怒ってみる
我慢せずどこまでも自分の主張を叫んでみる

やってみてください。たぶん逆に怒られます。それか怒ってもどうにもならないということを知れます。徹底的に突き付けられます。
そしたら「怒ってもどうにもならないこともあるんだなあ、気にしないでおこう」という「あきらめ」の境地に達するかも。
それは思い通りにならないということを「明らかに知る」という「あきらめ」の境地です。

日々の我慢・ストレスが緩和されることを念じております。

17
有り難し
おきもち

個別相談可能
はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

自分らしく

あじさいさん初めまして。
今までのご相談も拝読させて頂きました。あじさいさんは素直で向上心のある方だと感じました。
たくさんの僧侶の方のお話を受け止め、実行する…素晴らしいです。
私が水をさすのは申し訳ないのですが「それでもいいんだよ」と思うのです。
自分の常識と人生、人には人の…それを分かろうとする、納得するのは大変なことです。
自分のことですら分からないのに、更に分からない相手や他人のことまで笑顔で受け止められないことは当たり前のことと考えてみませんか?
私は浄土真宗の僧侶です。阿弥陀様の救いは「そのままでいいんだよ」という慈悲。
私にはあげればキリがないほど悪いところがあります。分かっていて治せないところも。
先日、家族ビデオをみてビックリしました。
文句ばっかり言ってるんです。見ながら「文句ばっかだなー」と言うと、同じタイミングでビデオの中の私が同じ事を言っていました…呆れて家族で大笑いです。
自分の文句を笑って受け入れてもらえる「そのままでいいんだよ」と大笑いしてくれる環境に、改めて幸せだと感じました。
同時に「周りが笑ってくれる間に私が変わらないとな」と反省しました。
私の決意がなければ変化もないですが、その決意が自分の為だと持続力もなく、無理矢理感も出てきます。
自分の弁当はぐちゃぐちゃでも、誰かのお弁当はキレイに詰めるのと似ています。
人の為というきっかけが、決意から行動まで丁寧に出来る大切な要素でもあると思うのです。
今、「こんなの自分じゃない」と感じていらっしゃるのなら、一度自分に戻ってみましょう。
文句ばっかり言ってみる!
自分の姿に思うところがあるはずです。
少し前のあじさいさんより成長されているんですから。
「この文句は言っても仕方なかったわ…人のこと言えないわ」と思ったり納得できたことに関しては無理せず我慢できたことになりませんか?
同じことで考えないのも大切です。
「なんでゴミ出すのにこんなに時間かかるんだ…イライラする…」(主人に対する文句です汗)
でも、私も洗濯には時間をかけてこだわってるしな…よし、主人はゴミ出しに「こだわっている」と考えよう !などと、別のフィールドで考えたりすると私の「許容範囲」が広がりました。
作り笑いも必要ですが、どうせなら心底笑いたいですよね。
あじさいさんが、まずは大笑いできますように念じております。

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有り難し
おきもち

普通のOLから、結婚をきっかけに仏教に興味を抱きお坊さんになりました。 離婚・再婚などなどお坊さんらしくない、経歴もありますが、様々な経験をしたからこそ仏教に出遭えたんだと前向きに捉えています。 仏の教えは、慈悲や優しさだけではありません。 自分を見つめ続ける、厳しい教えです。その先にある慈悲の素晴らしさを少しでもお伝えして、ともに味わっていきたいと思っています。 仏教は生きるための教科書だと思っています。まだまだ勉強が足りませんが、悩み考えて仏教を深めていっています。 少しでもお役にたてるように私自身も勉強させていただきたいと思いますので、どうぞよろしくお願い致します。

質問者からのお礼

吉武様、ありがとうございます。
やはり、日々の中で心穏やかに過ごすようにできないと私のような人間はただただ生き辛くなるだけだと思いました。
我慢から気にしない心へとなれるように、心がけて過ごしていきます。
ありがとうございました。

光西寺様、ありがとうございます。
確かに、自分のことですらわかっていません。
完全に自分というものを見失っています。
外に出ればほぼ、しかめっ面です。
自分を理解しながら、生きやすくしていこうと思います。
ありがとうございました。

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