心に余裕がない友人
最近仕事がうまく行っていない友人がいるのですが、前より性格が意地悪になってきたので距離を置こうとしています。ですがときどき連絡をしてくるので返してしまいます。
自分が辛い時に身近な人に意地悪な態度や言動をしてしまった経験が私にもあるので理解はできるのですが、されたときの気持ちの整理の付け方や距離の取り方がわかりません。
連絡がくるので困っているのかと思い親身に返すとあからさまに適当な返事が返ってきたり、私が気にしているコンプレックスに関する言動をしてきたり、以前だったらあまりなかったようなことなので対応に困っています。誰にも相談しづらいのでどなたかに聞いていただきたく投稿しました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
吐き出すことによって救われる心もある。
拝読させていただきました。
心に余裕がなくなっている人は、相手を思いやる気持ちが弱くなっているのは事実ですよね。我に囚われていると仏教の立場ではとります。
友人関係であるからこそ
・言いたいこと
・言ってあげれないこと
・また友人ことを思うからこそ
まずさんも困惑してしまうのも分かります。
自己に囚われているときは他人に対しては、解決の糸口であったり、ストレスの発散(攻撃的)な対象として利用していることもしばしばです。身近だからこそ他人に対しての甘えの弱さであります。
距離を取りたくなるお気持ちは分かります。また返信などしてしまう恩情あふれるやさしさがあるのも分かります。
世の中には同じような状況下におかれた人はたくさんおり、友人関係にピリオドした人もすくなくありません。
仏教では「施し」というものがあります。この施しはいろいろです。
例えば)金銭で困っている友人などから相談された場合は、友人は金銭を貸して欲しいというお願いをしている心境ですが、お金は私も余裕がある訳ではないから貸せないけども、友人だからこそ自分に今できることは、話しを聞いてあげることはいくらでもできると伝えてあげることです。
これは遠回しでも金銭を断っている意思表示ともなります。そのとき友人は、アテに出来ないと思えば去っていく態度をとるか、もしくは話しを聞いてもらうことで前向きな気持ちをもてるかに二分されていきます。
やがて時間が経ったときに、話を聞いてくれただけで、こころが救われたと感じてくれる日が来ることです。
仕事のどの部分で上手くいっていないことを解決することよりも、囚われている内は成長は見出せないのも事実です。それは利己的であり利益(自分をはやく楽になりたい)の気持ちが優先されているからです。
人間は愚痴はあまりよくないものです。しかし、吐き出すことによってスッキリするのも事実です。
話しを聞いてあげるだけでも立派な慈悲となります。
参考程度にしてください。
合掌
質問者からのお礼
話を聞いてみようと思います、ありがとうございました。