思考を落ち着かせたい
テレビやネット等でニュースや、それにまつわるコメント見ていると、様々な感想や意見が思い浮かんでくることがあります。
それだけならいいのですが、頭の中でネット上のコメントに反論したり、こんなこと言っている人がいるだろうなと想像上の敵を作り出したり、自分の感情を上手く消化でず、鬱屈としたような気持ちになることがあります。あまり考えないようにしようと思っても、気がついたらまた同じような状況になってしまいます。
元々、自分なりに色々と考えるのは好きなのですが、最近はそのせいで割り切れないような気持ちになることが多いです。
こうした状態になってしまうようなニュース(議論が巻き起こっているニュース)はなるべく見ないようにしていますが、完璧に避けることは出来ませんし、ニュースに無関心でいすぎるのも良くないよなとも思ってしまいます。
どうしたら、このような頭の中で議論したり、想像上のコメントに反論したりといったことを止められるでしょうか。また、そうしてしまうことで釈然としない気持ちになることとどう向き合えば良いでしょうか。
大学生です。
お坊さんからの回答 4件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
立場が変われば違いもある。一つの見方として捉え私は私を生きる
世間を騒がせるニュースが次から次へと入ってきますよね。今は何でもすぐにネットニュースになり、いろんな人が書き込みもできて、それに人は流されていく。
私もネットやSNSは一応チェックをしますが、あたかもその話が世界の中心かのような錯覚になったり、誰かの言葉がよく言った!と正義になったり、まぁ〜勝手なものだなと俯瞰して見ています。
いろんな人がいて、いろんな考えが生まれる。人の数だけ価値観があり、そこに正しいも間違いも無いわけです。
それならば、一つの見方として捉えていけばいいだけのこと。揺さぶられそうになったら、一緒に揺れながら(立場が変われば違いがあって当然だよね)と思えばいいし、(私は私を生きればいい)と納得していきましょうね。
自分をなだめる呼吸
のい 様 相談ありがとうございます。
思考を落ち着かせたいとのご希望ですね。
世間のニュースやSNSなどの投稿やコメントにざわつく心を落ち着かせたい。
ということでも良いですか?
私がお薦めするとしたら、
今の自分の状態に判断せず評価せずただ注意を向けていくマインドフルネス瞑想と、今・ここの呼吸に意識を向けて、段々と呼吸をゆっくりゆったり深くして、
心地よい感覚を得て心を落ち着かせていく、自分をなだめる呼吸法です。
ざわつくていることや振り回されていることで、消化できないとか、こんな状態ではいけなとかで、自分を責めたり卑下したりすると、さらに混乱し落ち込みます。
ですので、ざわついたり、感情が振り回されたら、そっとやさしく自分を責めずに
自分を否定せずに、その思考から離れて、今ここの自分の呼吸に戻り、出る息・入る息に意識を集中させて、段々と心地よい呼吸にしていき、穏やかに落ち着かせていく。というのが実践しやすいと思います。
その都度何度でも繰り返しおこない、習慣化すると良いと思います。
練習が必要ですが、身につければいろんな場面で役に立つでしょう。
人の心は揺れるものです。脳は刺激を受けて反応するようにできています。
上手く処理できなかったり、思考や空想に振り回されたりするのです。
誰でもそうです。
ですので、感情がざわついたと気づいたら、自分を責めずにやさしく穏やかに、その感情や思考から離れて、自分に思いやりを持って、ゆったりとした呼吸から心を穏やかにしていきましょう。
難しい時があるかもしれません。そんな時は、信頼できる人にそばに居てもらって
癒されて安心安全を感じるようにすることも必要です。そしてゆったりと呼吸するというのが良いでしょう。ぜひ実践してみてください。
しばらくほおっておいてみましょう
拝読させて頂きました。
あなたがおっしゃるように様々な情報が氾濫して心がざわついてしまって割り切れないお気持ちとてもわかります。あなたのそのお気持ち心よりお察しします。
私も最近の報道を見ていてとても心が動揺してどう考えたらいいのかと思い悩んでしまう気持ち気になりますね。
その様な世の中のわずらわしさから少しでも離れてみることかと思います。
あなたのお住いのところがいかがでしょうか?
今日も朝日が光り輝いてあなたに優しく降り注いでいるのではないでしょうか。
その朝日に照らされて私の住んでいるところからは北は日光や那須の山々が、南は富士山が美しい姿を現しています。
寒いですが清々しい空気で青い空が無限に広がっていっています。
私達の愚かさと比較して素晴らしい自然が悠然とその時を刻んでいるのです。
しばらくネットやTVや様々な情報をほおっておいてゆっくりと自然に囲まれたあなた自身を見つめ直してみてはいかがでしょう。
あなたの身近にも様々な鳥たちが来ているでしょうし、寒い中でも椿や梅の花が咲き始めているでしょう。それらの生きるものへもゆっくりと目を向けてみるとあなたの心も穏やかになってくるのではないでしょうか。
あなたがこれからの毎日を沢山の素晴らしいものごとの恵まれながら健やかにご成長なさっていかれます様に、心から豊かにおおらかに生き抜いていかれます様に切に祈っております。そしてあなたを心より応援させ頂きます。至心合掌
釈然としない事実が現実だから
世の中には釈然としない事実や利害の不一致が現実としてありますから、それを知って釈然としない気持ちになることは仕方ないと思います。
この世に生きる私達は煩悩(惑)にまみれた愚かな生き物であり、そのために愚かな行動(業)を繰り返し、悩み苦しみ(苦)を感じ、苦しみのせいで余計に煩悩(惑)が騒ぎだす。
惑→業→苦→惑→業→苦
を繰り返し、そのために輪廻転生から卒業(解脱)できずにこの世に留年している、そんな問題児の集まりが我々なのです。
まぁ、「人間も動物だから、基本的には弱肉強食だな」と思えば不平等にもある程度納得はできます。
また、格差についても「親から優秀な才能をもらえた人もいれば、財産や教育環境をもらえた人もいれば、知識やコネをもらえた人もいる。親以外から何かをもらった人もいる。いただいた恵みの形や量が違うだけであり、妬んでも仕方ない。」と考えればある程度納得はできます。
無能なお金持ちと、貧乏な秀才、貧乏でバカな美男美女、どれが一番恵まれているとかは単純には比較できないが、例えば結果的にいくら稼いだかによって払う税金が変わるなど、数値化できる結果に対して調節するくらいはできる。
そして、どんな選択肢にも苦しみはあり、メリットとデメリットを勘案して自分なりに生きて死んでいくしかないのですね。
いずれにしても、死ぬまで生きれば良いだけです。
だから「まぁ、いいか」と思いましょう。
質問者からのお礼
ご返答ありがとうございます。自分自身や身の回りのものに意識を向け、緩やかに生きていきたいと思います。