心なんてなくなれば良い回答受付中
私はHSP気質があり、他人の発言や態度に敏感に反応してしまいます。そのため、人と会った後はいつも酷く疲れ、何事にも手を付けられないことがあります。
お釈迦様は、「反応しない」ということを教えられたかと思いますが、私のように神経質で何事にも反応したくなくても勝手に反応してしまう人もいるのです。
こうなってしまうのは、人間に「心」があるからであり、心というものがあるから、いろんな物事に反応して苦しくなってしまうのだと思います。
私のような反応したくなくてもしてしまう人間は、一生苦しんで生きていくしかないのでしょうか?
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
一切皆苦
HSP気質があるとのことでご苦労されていることと拝察します。私は医療やサポートについて専門的な知識を持っておりませんので仏教的な視点からの回答となります。
実際にあなたがお抱えの問題を解決する、あるいは問題を抱えながらでも生きていく方向性を見い出せるためには仏教的な視点だけでなく様々な医療的・社会的サポートを得ることが大事かもしれません。
さて、仏教でも「心」というものを想定しますが「心という実体(固定的なもの)」を想定するわけではありません。あなたがおっしゃるところの「反応」するはたらきを「心」という言葉で表しているにすぎません。その反応するはたらきは誰にでもあります。反応しない人はいないのです。
反応はコントロールできるわけではありません。つまり反応=心であっても、それと「あなた」は=ではありません。心が苦しんでもあなたが苦しむ必要はない、というのがまずは言えることです(実際には難しいですが)。
心の反応は心にまかせておいて、あなたはあなたのなすべき行動を主体的に選択する。心をどうにかしようとするのでなく、行動を整える。それでも心が疲れるときは心を休めるために身体を休めるという行動をあなたが主体的に選択する。
心は方々に荒れ狂おうとも、「また心のやつは好き勝手しやがる(でもそこに私の本質はないぞ)」くらいに受け止められると大分変わるかもしれません。
>一生苦しんで生きていくしかない
それは実はあなただけでなく全ての存在に言えることと仏教では見ます。とても良い視点です。
「楽しい」という反応も反応である点においては「苦しい」と本質的には変わりません。そして反応はいずれも無常です。その無常の事実こそがより本質的な「苦」であり、楽しいとか苦しいとか全部引っくるめて抜け出したいというのが仏教なのだと思います。
あなたのペースをさぐりつつ、ぼちぼち心と付き合いながらいきましょう。
あなたの心身をいやしてあげて下さい
拝読させて頂きました。
あなたが人のことについ反応してしまいとても疲れてしまうことを読ませて頂きました。詳細なあなたのことはわからないですけれども、あなたのその辛い思いを心よりお察しします。
そうですね、ほんのちょっとしたことでも敏感に反応してしまって感情も振り回されてしまうととても疲れてしまい辛くなってしまうでしょうね。あなたがとても辛くて苦しんでおられることはわかるように感じます。
反応するなと言われてもなかなか難しいかもしれませんよね。
ですから先ずあなた自身の心身を優先なさりできるだけ事前に休むようになさってみてはいかがでしょうか。仕事でも目いっぱいなさるのではなくちょっと余裕をもってやめてみて、早めに帰ってあなた自身をゆっくりと休めてあげて下さい。ですからあれこれと引きずられて残ったりせずにしっかりと割り切ってさっさと帰ってしまってもいいと思います。そしてあなたをしっかりといたわってあげて下さい。
そしてあなたの心にゆとりを作って下さい。
人と打ち合わせする等でもギリギリまでなさるのでなく半分くらいで切り上げてもいいと思います。何でもそうですが、時間を掛けながら一つ一つ達成していけばいいのですからね。
また人よりも別のことに気持ちを振り向けてみてはいかがでしょう。あなたは今日もあたたかい日差しに照らされていますでしょうし、沢山の美しい花々があなたを囲むように咲いているでしょう、沢山の鳥達や美しい鳴き声を聞かせてくれているのではないでしょうか。その様に心和むことに注意してお向き合いなさってみて下さいね。
あなたがこれからも沢山の恵みを受けながら心から穏やかに豊かな毎日を生きることできます様に切に、日々健やかに成長なさっていかれます様に仏様や神様やご先祖様にお祈りさせて頂きます。そしてあなたを心より応援させて頂きます。至心合掌